Shopping Cart
Your Cart is Empty
Quantity:
Subtotal
Taxes
Shipping
Total
There was an error with PayPalClick here to try again
CelebrateThank you for your business!You should be receiving an order confirmation from Paypal shortly.Exit Shopping Cart

    9、夫婦の手紙

 その言葉は隣に座る夫に聞こえていることは承知だった。


夫は盃を手にしたまま、身体を固くした。


 女房はおつるより4、5歳程上であろう。思いあぐねてか、すがるように聞いて来た。


「つらいのは旦那様も同じですよ」


「主人は一言も口を利いてくれません。着替えもせず黙って部屋の隅に座ったままでした」


 おつるは返事に窮した。


「私は女です。取り返しのつかないことになりました」


 おつるは少し間をおいて、思い切ったように、


「実は私も同じようなことを経験しました。生きることは死ぬことよりつらいことがあります。でも生きています」


 思い詰めていたことを言われ、女房は両手を顔に当て、声を抑えて泣き出した。


「ちょつと、失礼致します」


 目の前の松崎に会釈して夫は立ち上がると女房の前に座った。


「静江、許してくれ。助けられなかった自分が情けなくて悔しくて、そのことしか考えていなかった」


「そうでもなかろう。我々をこの宿に誘ったことは、その心配をしていたのであろう」


 松崎が重い口を利いた。


「静江さんと言ったね。あの人数では侍でも防ぎきれない」


「この人は命を捨てていた。そこまでしてあなたを助けようとした。その命を粗末にしてはならない」


「お武家様、ありがとうございます。その通りでございます。女房にはなんと言って慰めていいやら、考えあぐねていました」


「静江さん、無言でいたのはそう言うことですよ。早まったことを考えてはだめですよ」


 おつるが諭すように言う。


「静江、今日のことは悪い夢だ。忘れてくれ。明日からもこれまで通り店を切り盛りしてくれ。それと一太が母の帰りを首を長くして待っている」


「あら、お子様がいらっしゃるのですか?」


「はい、5つになる男の子がおります。かわいい盛りでございます。この子のためにも頑張ってもらいたいと思っております」


 静江は子供の話が出た途端、声を上げて泣き出した。余程気にかかっていたのだろう。夫は静江の背中を優しく擦っている。


 松崎はおつるに手で合図した。二人はこの部屋をそっと出て行った。


部屋に戻ると6畳の間に寝床が二つ並べて敷いてあった。松崎は寝床の一つを4畳半の間に引きずって行った。


「おつるさんは、そこに寝なさい」


 6畳の間を指さした。おつるは二つ並べて敷いてあった寝床か恥ずかしくて、私が4畳半の方へと言えなかった。


 翌朝、松崎は腹が空いて目が覚めた。隣のおつるも起きている気配がする。気を利かして洗面に部屋を出た。寅の刻(朝4時)の鐘が遠くに聞こえた。まだ暗かった。


「おはようございます」


 洗面中におつるに挨拶された。やはり起きていたのだ。


「おはよう、眠れたかな?」


 どう言う意味で言ったのか、にやりと笑って言った。


 二人が部屋に戻ると、寝床は片づけてあった。どこかで見ていたのであろうか、すぐに朝飯の膳が運ばれてきた。


「おはようございます」


 続いて女将が入って来た。


「お休みになられましたか。お手紙をお預かり致しております。どうぞ」


 と、手紙と何やら包みをうやうやしく差し出すとすぐに部屋を出て行った。


 松崎は手紙を開き読み上げた。


〝謹啓、昨日は夫婦共々命をお助けいただきましてありがとうございました。


 さらには、温かい配慮あるお言葉を頂きまして、妻も生きる勇気を戴きました。心からお礼を申し上げます。


 尚、敢えてお名前をお聞きしませんでしたがお察し下さいませ。大変失礼ではありますが、私共も名を伏せさせていただきます。ご容赦下さいませ。


 この度のことは、生涯忘れることはありません。重ねてお礼申し上げます。ありがとうございました。


 お二人様のご健勝とお幸せをお祈りいたします。謹言


 追記、万感を込めて感謝の気持ちを表したいのですが、どうしていいのかわかりません。ご無礼を承知の上で包みを添えさせていただきました。とは言え、旅先にての手元です。ご無礼をお許し下さい〟


 切り餅(25両)が一つ半紙に包まれて添えられていた。


松崎は渡された手紙と金子をおつるに渡した。


「これは松崎様に渡されたものです。お返しいたします」


 二人は明け6つ(朝6時)に、女将達に総出で送られ宿を出た。


 ここから川越まで2里半である。遅くとも昼4つ(朝10時)までには川越に着く。


                        つづく 

次回は8月13日火曜日朝10時に掲載します