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    9、身の上

 寒い朝だった。俊介はおこした炭を火鉢に入れると、しがみつくようにして手を当てた。


「おはようございます」


 近頃は声を聞くと、直ぐ立ち上がり引き戸を開けた。おちかの両手が、お盆を持ち塞がっているからだ。


「あ、良い匂いだ!大根の味噌汁?」


「はい、寒い時は身体が温まります」


 大根の味噌汁から湯気が立ち上っていた。目刺しと大根の煮物にきゅうりの糠漬け。


 うまい朝飯だった。味噌汁はお代わりが欲しいと思ったが、おちかは食事を置くと直ぐ帰って行った。


 食べ終わるのを見届けたように、今日は熱々のほうじ茶を届けに来た。


「おちかさん、ありがとう。たまには一緒に、お茶飲みませんか?」


「あら、うれしいですね。では湯呑を用意して参ります」


「いや、湯呑は余分にあるから大丈夫。さ、上がって」


 二人は向かい合った。おちかは落ち着いた素振りで、お茶を注いだ。心はなぜか早鐘のようになっていた。


「おちかさん、みそ汁がうまかった。いや、いつもうまいのだがね。大根の味噌汁は私の一番好きなみそ汁なんだ」


「私も大好きなんです。母の仕込みです。大根の味噌汁は白味噌を使います。理由が最近やっとわかりました」


「お母上は今どちらへ?」


「母は5年前に亡くなりました」


「そうか、それは辛かったね。余計なことを聞いてしまった。申し訳ない」


「いえ、もう5年になりますから何でもありません。佐久間様のご両親は御健在ですか?」


「さあ、どうかな?元気でいると思う」


「お帰りにならないのですか?」


「おちかさん、お父上はご健在か?」


 俊介はそれには答えず、質問した。


「初めから父はおりません。小さい時から母と二人暮らしでした」


「苦労されたようだな。すまぬことを聞いてしまった」


 質問をかわすつもりがまずい質問をしてしまった。


「どうぞお気になさらないで下さい。どこにでもある話です」


 明るく言う。


 俊介は気まずさに、残りのお茶を一息に飲んだ。


「どうぞ」


 おちかは飲み干した湯呑にお茶を注いだ。


「今日はいいお天気になりましたね。そうだわ、洗濯物お出し下さい」


「いや、洗うものは何も無い」


「嘘ばっかり、その角に丸まっている物は何ですか」


 おちかは立ち上がると胸に抱えた。


 俊介は慌てた。浴衣と下帯を洗濯するつもりで丸めて置いていた。


「いや、それは困る」


 俊介は恥ずかしかった。下帯だけこちらへとも言いにくい。


「他にはありませんか?こんなに良い天気ですから一緒に洗います」


「いや、無い」


 下を向いてぶっきらぼうに答えた。強引に持ったから怒ったのかしら。


 それは井戸端の洗い場で理由がわかった。おちかははっとして身体を熱くした。下帯が入っていた。


 市之進の長屋に着いたのは巳の刻(10時)だった。引き戸は開け放たれ、雑然として引っ越しのような有様だった。


 美乃が俊介を見つけて、前掛けで手を拭きながら駆け寄って来た。


「おはようございます。先日はありがとうございました。兄は今、薬種屋へ出かけております」


「こちらこそ、ご馳走になりましてありがとうございました。あの後、本を借りに伺ったのですが美乃さんはお留守でした」


「それを聞いてがっかり致しました。兄に言ったのです。どうしてゆっくりしていただかったのですか?と」


 美乃はここで俊介を問いただすように見て、


「すると、あいつは凄い奴だ。大和本草を8日で読んだぞ。俺は全部読むのに2年かかった。何だか忙しそうで引き止められなかったと申しておりました」


「いや、ざっと読んだだけです。それは買い被りです」


「兄はもうじき帰ります。散らかっておりますがお上がり下さい」


 美乃は嬉しそうに前掛けを外し、お茶を用意し始めた。待ち兼ねていたように手際が良かった。


「どうぞ、粗茶ですが……」


 美乃はにっこり嬉しそうに差し出した。


「ごゆっくりなさいまし、お昼は食べて行って下さいね。兄が喜びますから。私もお茶を一緒にいただきます」


 美乃は話しながら俊介の斜め前に座った。俊介は思いがけないことに胸がどきどきした。


 何か話さなくてはと思うが、話すことが思い浮かばない。なぜかお茶を飲む手がぎこちなかった。


                       つづく

 次回は11月27日朝10時に掲載します