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      6.霍乱

 お米の胸はどきどきと音を立てて鳴った。太吉に聞こえはせぬかと片手で胸を押さえた。太吉の胸も同じだった。

 どうしょうと思っているともう着いてしまった。胸のどいどきなど何でもなかったように、

「ありがとうございました」

 改まったように言う。太吉は返事しようにも言葉が見つからなかった。手は握ったままでいる。

「すぐ着いたね」

 一瞬の間を置いて言った。手を離した。離れなかった。お米が掴んだままでいる。また握り返した。

 二人は黙ったままだ。太吉が握った手を惜しむように言った。

「お米ちゃん。明後日は夏祭りだ。一緒に行かないか?」

 太吉は惜しむように手を離しながら言った。

「行きます。昼ですか夜ですか?」

「昼が良いな。お店大丈夫?」

「はい、お昼は大丈夫です」

「では、9つ半(13時)にここに迎えに来る」

「はい、お待ちしてます。よろしくお願いします」

「じゃ、帰るね。また明日ね」

 太吉はそう言うと帰って行った。お米はその場に放心したように立ち、後ろ姿をずっと見送っていた。

 八幡神社の沿道は人々で溢れかえっていた。二人は手を引き合っていたがお米が立ち止まった。

「お米ちゃん、どうした?」

 お米の顔が青い。

「すみません、少し休ませて下さい」

 言いながらしゃがみこんでしまった。咄嗟に太吉は覆い被さるようにして通る人から護った。

後ろに続く人々は迷惑そうに避けて通る。沿道は一分の隙も無く出店が並び、休むところは無い。

「お米ちゃん、大丈夫か?」

「はい、少しこのままでいれば良くなると思います」

 お米の意識が少しずつ薄らいでいく。お米の身体は自然と太吉にもたれていく。

「お米ちゃん!しっかりして、お米ちゃん」

 太吉はお米を抱きかかえると人の流れから出て、沿道脇の出店向かって大声で、

「医者はどこだ!どこにある!」

「大変だ!この裏手の通りにあります。案内します」

 すぐ前の団子屋の親爺が店前に出て来て案内を買って出た。幸い近かった。5町(500㎡)程の所にあった。

「霍乱(かくらん=熱中症)じゃな」

 言いながら、綿に吸わせた水を口に含ませるように少しずつ入れて行く。

「半刻ばかりここに休ませて行きなさい。旦那はこの団扇で仰いで上げなさい」

 太吉は旦那と言われて違いますと言えなかった。こんな時であるのに、くすぐったいような嬉しさがあった。

「今年は暑くてな。日に2,3人は駆け込んでくる。心配ないよ。水をこまめに飲んで、精の付くものを食べさせることだ」

 お米は4半刻程で、顔に赤みが差して来た。目を開けると、

「若先生、ご迷惑をお掛けしました。ありがとうございました」

「気分はどうじゃな?」

 町医者は、自分が言われたと思い気を良くした。若い女房から若先生と言われた。声まで若そうに答えた。

「はい、お陰様で治りました。もう帰っても良いでしょうか?」

 お米は医者と太吉を交互に見ながら言う。

「そうだな。旦那が付いていることだし帰っても良いよ」

 医者は40歳近いが、若先生と言われて大分気を良くしたようだ。

 太吉はお米の家まで送って行った。

「若先生、ご迷惑をお掛けしました。申し訳ありませんでした」

「いや、良くなって良かった。無理に誘ってすまなかった。申し訳ないのはこちらの方だ」

「いえ、とんでもありません。外はまだ暑うございます。お茶を差し上げたいと思います。どうぞ少し休んで行って下さい」

「おっ、それはありがたい。ではそうさせて貰う」

 お米は水瓶から少量の水を急須の緑茶に注いだ。軽く回すように振り、湯呑にゆっくり注いだ。水出しお茶だ。

「どうぞ」

 にっこり笑いながら湯呑を差し出した。太吉は喉が渇いていた。一口口にした後、一気に飲み干した。

「うまい!もう一杯くれるか?」

「はい、すぐお入れします」

 お米はいつもと変わらない元気を取り戻していた。やはり霍乱だったのだ。二杯のお茶を持って来た。

 太吉は二杯目も一気に飲んだ。余程、喉が渇いていたとと見える。落ち着いたのか三杯目はゆっくり飲んでいる。

「どうぞ、お使い下さい」

 お米が水を絞った手ぬぐいを差し出した。

「あ、かたじけない」

 早速手ぬぐいを受け取り、太吉は首周りから胸回りを拭い、背に手をまわした。傍でお米が見ていた。見兼ねて、

「お拭きします」

 手ぬぐいを受け取り背中にまわった。首の後ろ、背中口の着物を広げた。さらっとした男の匂いが漂ってきた。

 お米はその匂いに身体の芯が甘くなった。思わず溜息が出た。そのままゆっくり背中を撫でるように拭き始めた。

 太吉は、お米が身体を寄せるように傍にいてくれるのが嬉しかった。女の甘い匂いが鼻腔をくすぐる。

 お米は背中全体を拭おうと、入れた手を背の下まで伸ばした。自然にお米の横顔が太吉の肩に付けられた。

 伸ばした瞬間吐息が漏れた。その吐息に太吉ははぞくっとした。思わず後ろに向き直りお米を抱きしめた。

 突然のことにお米はびっくりしたが、じっとしていた。口を吸われた。身体の力が抜けて行く。

 その時、爽やかな風が二人の頬を撫ぜた。太吉は目を開けた。入口の戸が開けたままだ。

 うっかりしていた。長屋の夏はどの部屋も引き戸を開けたままにする。お米の部屋も同じだ。さっと太吉は離れた。

 太吉は何だかきまりが悪かった。

「ごめんね…」

 それ以上言葉が続かなかった。お米もどう返事して良いかわからない。立ち上がると俯いたまま、

「手ぬぐいを湿らせて来ます」

 お米は手ぬぐいをすすぎながらも、ぼーっとしていた。初めての口づけだった。せつなく嬉しかった。

 なぜ途中で止めたのか。もっと吸って貰いたかった。そのままでいて欲しかった。入口のことなど頭になかった。

 好きです。若先生が好きです。どうしょうもなく好きです。もっと口づけをして下さい。心の叫びだった。

 すすぎ終わり、お米は俯いたまま太吉の前に座った。太吉も目が上げられない。二人は黙って座ったままでいた。

「お米ちゃん。すまなかった。許してくれ」

 太吉は両手を付いて謝った。

「何のことですか?」

 それを聞いて、太吉はえっと言う顔をした。お米は逆に申し訳ないような顔をして、

「今日は申し訳ありませんでした。せっかくお祭りに連れて行って下さったのに、霍乱になってしまいました」

 お米は両手を付いて謝った。太吉はお米が無口でいるのは怒っているからだと思っていた。意外な言葉だった。

 訝し気にお米の顔を伺うようにして、

「暑かったからね。治って良かった。お米ちゃんさえ良かったら、いつでも連れて行ってあげるよ」

「本当ですか?連れて行って下さい。あたし、愛想つかされたのかと思ってました。もう霍乱にはなりませんから」

 ぱっと顔を明るくして言う。太吉もつられて笑顔になり嬉しそうに言う。

「よし、一緒に行こう。祭りは明後日15日までだから、いつにする?」

「15日はお店が休みだから、明後日是非お願いします」

「そうか、それは丁度良い。だったら夜祭にしようか?」

「夜祭ですか!あたし初めてです。絶対行きたいです。連れてって下さい」

「よし、決まった。それじゃ、涼しくなる暮6つ(18時)に迎えに来るよ」

「はい、よろしくお願いします。嬉しい!」

 顔を両手でぱっと抑えた。涙ぐんでいた。

 太吉は気付いていなかった。お米が口づけのことに触れてこなかったので、ほっと安堵していた。

                                         つづく

次回は7回は8月24日火曜日朝10時に掲載します