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   5、逃げない

 「お嬢様はどうしてここへ?」


  千代はお嬢様と聞いておつるを見た。おつるは涙ぐんでいた。


「私がしっかりしていないから、ごめんなさい…」


 後は言葉にならなかった。


「お嬢様のせいではありません。おいらが悪いんです。間違いばかりしたからです」


「えっ、お知合いですか?」


 千代が怪訝そうにおつるに聞いた。その言葉におつるは一瞬で普通の顔に戻った。


「そうです。一緒に働いていました。吉松さんよろしくお願いしますね」


 吉松さんと言われてくすぐったい気持ちになった。今年15歳になったばかりである。


「はい、よろしくお願いします」


 にっこり笑った顔はまだ童顔が残っていた。


「おつるさん、食事にしましょう。お腹空いたでしょう」


 この食事から4人は一緒に食べるようになった。


 この夜、おつるは眠れなかった。今日まで自分のことしか考えていなかった。その自分が情けなかった。


 店の者はどれほどの辛酸をさせられていたのだろう。卑怯にも自分だけ逃げて来てしまった。


 眠りついたのは明け方だった。それでもすぐに目が覚めた。暁7つ半(朝5時)。一刻(2時間)程寝たであろうか。


 台所へ行くと、千代が朝ごはん支度にとりかかっていた。


「おはようございます。おつるさんお早いですね。木戸を開けるとすぐ井戸があります。どうぞ使って下さい」


「おはようございます。ありがとう」


 おつるは顔を洗うと、千代に旦那様の朝の動きを聞いた。おつるは決心をしていた。


 一松は朝食終え、女房と無言でお茶を飲んでいた。障子は開け放たれていた。廊下の前は庭が広がっている。


「おはようございます」


 おつるは廊下の端に正座して、挨拶をした。


「おつるさん、おはよう。昨日は眠れたかな?」


「はい、おかげさまでゆっくり寝させていただきました」


「おつるさん、そんなとこにいないで中にお入りなさい」


「お内儀(おかみ)さん、昨夜はお着物などいただきましてありがとうございました」


「使い古しでごめんなさいね。とりあえずの間に合わせに使ってね。他に必要な物があったら遠慮なく言うんですよ」


「ありがとうございました。早速着させていただきました」


「そうか、お前の若い時に似てるなと思っていたのだ。そういうことか」


 一松は女房の絹江を見ながら笑い顔で言う。


「旦那様、実はお願いがございます。色々ご親切にしていただきましたが、川越に帰ろうと思います」


「それはどうしたことだ。何か嫌なことでもあったかな?」


「昨夜、吉松さんと会いまして反省致しました。店の者がどんなにひどい辛酸を受けているかと思うと、逃げ出してきた自分が情けないです」


「吉松のことは後で話そうと思っていた。昨年の秋からここで働いている。ちょっと事情があってのことだ」


一松は一呼吸呑んで、ためらうように言う。


「吉松は私の息子だ」


 おつるは唖然として答えようがなかった。


「昨年の春、15歳になる前に、他の店に修行に出した。もっと早くに出すべきだったが、子供可愛さに遅くなってしまった」


「修行先は一兵衛さんの山形屋さんと決めていた。しかし、お亡くなりになられていた」


「息子さんの仁兵衛さんに、事情をお話しすると快く承諾して下さった」


「ところが、1年半程で首になったと帰って来た。情けなくて吉松をどれだけ怒ったことか」


「見かねた絹江に言われて、わけを聞くとそれは酷い話だった。吉松の問題ではなかった」


「暗澹たる思いになった。一兵衛さんの悲しそうな顔が浮かび、仁兵衛さんの憤怒の顔が浮かんだ。何とかしたい、せねばと思っていた」


「法事で川越に行くことになり、山形屋さんの噂話を聞いた。やはり酷いものだった。二人で店の前を通ったが昔の面影はなかった」


「父や祖父に申し訳ない気持ちでいっぱいです。もう、逃げません」


 おつるは毅然とした顔で言った。決意がにじみ出ていた。


「おつるさん、良くお気付きになった。このままでは一兵衛さんの築かれた山形屋さんは無くなってしまう。応援させてもらいます」


「ありがとうございます。どうぞよろしくお願い致します」


                        つづく

次回はおつるがどのような方法をとるのか、お楽しみに下さい。※7月16日火曜日朝10時に掲載します