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     3、鰻

 そこは、浅草の隅田川沿いにあった。うなぎ仁平と暖簾が掛かっていた。早速、小部屋に通された。


 うなぎは出来るまで半刻は優に待たされる。客はお茶に添えられた奈良漬けで酒を飲む。男も酒を頼んだ。(半刻=1時間)


「ここの親父は若い時は、うなぎ掻きだった。その繋がりでこの店は極上の鰻が持ち込まれる」

※うなぎ搔き…うなぎ取りのこと。長い柄の先に二股三股の鉤が付いた道具を用い、これでうなぎを引っ掻き取る。


「うなぎは調理やたれ等を比較するが、何と言ってもうなぎが勝負だ。天下一品とはここのうなぎだ」


「あなた、いい加減にして下さい。私は毎度で慣れていますが、おつるさんには退屈なお話ですよ」


「いいえ、私も祖父にうなぎの話は何度も聞かされました。楽しいお話です」


「おつるさん、そんなこと言うと図に乗って、うなぎが出されるまでずっと話が続きますよ」


「あっ、ごめん!大事な話があったんだ。その一兵衛さんの話だ」


 男は目の前の盃と銚子を脇に置き、座り直した。


「今から20年前、私は24歳の若造だった。川越への仕入れは5回目だった。深川を朝立ち、夕暮れに川越に着き宿へ泊る。翌朝から仕入れ先を回り、次の朝深川へ帰る」


「5回目で慣れたものだった。夕飯を食べていると隣の部屋から襖越しに一人で食べてもつまらない、ご一緒にいかがですかと言う。どうぞと言うと膳ごと持って入って来た」


「川越に来て遊んで行かないなんてもったいないと、そそのかされ男について行った」


「とある店の前に来ると『若旦那ゆっくりして来なせえ。あっしはちょいと忘れ物をしたから宿に取りに行って来る』と戻って行った」


「半刻程して帳場に聞くと、その男は来てないと言う。胸騒ぎがして宿に急ぎ戻った。旅行李の一番下に隠してあった百両が消えていた」


それでも間違いであって欲しいと思い襖越しに、


「お隣さん!いらっしゃいますか?お隣さん!」


 返事が無い、思い切って襖を開けてみた。何も無い、がらんとした4畳半。廊下を足音高く、宿の帳場に走った。


「隣の人がいなくなったのですが知りませんか?」


「隣のお客様なら半刻程前に出ていかれましたよ」


「出て行った?」


「はい、事情が出来たのでと、宿賃を払って出ていかれました」


「どっちへ行った?」


「左です。右なら江戸ですが、左ですから宿替えされるのでしょう。うちは建物が古いから仕方ないのです」


 私は最後まで聞かぬうちに、草履をはいて飛び出した。


 宿は左並びに3軒あった。一軒ずつ尋ねた。そういう客は来なかったと言う。右側の2軒の宿も、もしやと尋ねてみた。


 一刻程前から客は無いと言う。途方に暮れた。百両の大金だ。とぼとぼとわけもなく歩いた。橋の上に出た。


 刻は宵五つ半(21時)人の往来は無かった。草履を揃えると欄干に手を当てた。


「待ちねえ、そこからじゃ怪我するだけで死ねねーよ」


 語りかけるように静かに声をかけられた。反対側から歩いてきたようだ。気をそがれて黙っていると、


「近くに手ごろな橋がある。ついてくるか?」


 私は答えに困った。すると、


「ま、ついて来な!」


 声の主は歩き始めた。私は引っ込みがつかない。黙ってその後へ続いて歩いた。自分の宿の前を通り過ぎた。


 そのうち。夜目にも見覚えのある街並みに出た。一軒の大店風の店の前に来た。すると、その脇道を入って行った。


 大店の裏手のようだ。蔵がありそこを左に曲がると庵があった。入口に提灯が下げてあり、そこだけ明るかった。


「ただいま!」


「お帰りなさい」


 中から女の声がした。提灯の明かりで男の顔が照らされた。歳は50前後であろうか。柔和な顔をした老爺であった。


 右手で引き戸を開けると、


「お客さんだ。茶を頼む。ほれ、土産だ」


「良い匂い!うなぎですね」


 夫婦であろう。老爺と同じ年頃の女房である。土産を手に奥へ入って行った。


「お若いの!入んな」


 声につられるように入った。言われるままに座敷に上がった。座敷は6畳である。女房がお茶を持って入って来た。


「いらっしゃいませ。どうぞごゆるりとなさいませ。どうぞ」


 私が妙に緊張しているのを見て取ったのだろう。女房はお茶を出しながら言う。


 私はお茶を飲みながら、老爺の顔を見た。柔らかく微笑んでいる。その微笑みに安心感が湧き、心がほぐれてきた。


「余程のことがあったと見れる。わけを話してごらん」


 藁にもすがる思いで、私は事の顛末を話した。


「名前を聞いていなかったな。わしは山形屋の隠居で一兵衛と言う」


「はい、深川で呉服屋を営んでおります市松の息子です。名を一松と申します」


「ほう!市松さんの一松さんか。父君の期待がわかるのう」


「字が違います。市松のいちは商売の市です。私は数字の一です」


「一松さん、父君の期待を裏切ってはいけない。明日、お店においでなさい。百両分の品をお貸ししよう」


「えっ、本当ですか?本当に良いのですか?見ず知らずの私に…」


「二言は無い。儲かったら少しずつ返しなさい。これは私と一松さん約束だ。父君に話すことは無い」


 私は唖然とした。こんなことがあるのだろうか。夢でも見ているのではないだろうか。急におてんとうさまが出て来た気がした。


「おい、お客様はお腹が空いてらっしゃる。どんぶり作ってくれ」


「出来てますよ。うなぎは温かいうちに食べないと…。あなたの分はありませんよ」


「それで良い。わしは食べてきた」


 目の前にいい匂いとともに、うなぎどんぶりが出された。涙が溢れ出た。うなぎと一緒に食べた。


「旨かった。あんなに旨いうなぎは、今だに食べたことがない。旨かった」


 話す一松の目が涙目になっていた。


「おつるさん、不思議な縁だ。なんだか一兵衛さんが見ているような気がする」


 その時、うなぎ丼が良い匂いを漂わせて運ばれて来た。三人は食べながら、どんどんにこやかな顔になっていった。うまい食べ物は人を幸せにする。


                       つづく

次回は7月2日火曜日朝10時に掲載します