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    3、只飯只酒

 「いや、わからぬ」


「辺見様、思い出しました。嫁に行くのを断ってしまう話でした」


「本人に行く気が無いのでは、仕方がないだろう。亡くなった夫が忘れられないのだろう」


「いえ、それはありません」


「何を言うか、けなげな女ではないか。好きなようにしてやれば良い」


「お雪は夫に暴力を受けていました。顔にはいつも痛ましい痣。住んでいた長屋では知らぬものはおりませんでした」


「それは許せない。女に暴力を振るうとは情けない男だ。理由が何であれ許せない」


「酒です。普段はおとなしいのですが、飲むと人が変わりました。毎晩です。朝になればけろっとして現場に出て来ます。迂闊にも気付きませんでした」


「酒癖が悪いでは済ませれない。性根が悪いのだろう」


「ある時、親爺が近くに来たついでに立ち寄った。そんなことする親父ではないのだが、虫が知らせたのだと思います」


「顔は腫れあがって、瞼は塞がり見れたものではありませんでした。男が帰ってるのを待って焼きを入れました。親爺は元はやくざ者でしたから、我慢が出来なかったのでしょう」


「ところが言いつけたと言って、益々ひどくなりました。お雪にとって地獄のような毎日でした。そんな時です。屋根から落ちて死んだのは」


「天罰だな。報いと言うのはあるもんだな」


「以来、親元の蕎麦屋で働いています。住まいは近くの長屋に越して来ました」


「それは安心だな。気立てが良さそうだから。良い人に巡り合うと良いな」


「お雪さんは本当に綺麗な人です。夫を亡くして家に戻って来たと言うことは、すぐに知れ渡りました」


「あちこちから嫁にとか後妻にとか話がありました。ところが、本人は男の人はもうこりごりですと言う。それは相手には言えないので喪に服すと伝えたようです。それがいけなかったのでしょう。それまで待つと言う男が出て来たのです」


「うーむ。難しい話だな。それでどうなった?」


「断られた男が二人。ほぼ毎日店に来ています。夜は蕎麦屋とは名ばかりで居酒屋です。この二人を諦めさせたいのです」


「ほーう。どうやって?面白そうだな」


「それを辺見様にお願いしたいのです。役者顔負けのお顔で、しかもお侍様でいらっしゃいます。二人は必ず諦めるでしょう。ご無礼は承知の上です。どうかよろしくお願い致します」


 源蔵は座り直し、両手を付いて頭を下げる。


「わかった。二人には気の毒だが面白そうだな」


「ありがとうございます。どうぞよろしくお願い致します」


「それでどうすれば良いのかな?」


「はい、毎晩夕食と酒をこの蕎麦屋でお召し上がりいただきます。お代はいただきません。それも作戦のうちです」


「そうか、それはありがたいがそれで良いのか?」


「辺見様へのお礼の一つです。謝礼は二人が諦めたら2両出させていただきます。一人1両と言うことです」


 礼金としては少ない額だが、食事と酒が只と言うのはありがたかった。


「了解した。それから、辺見様と言うのは止めてくれ。辺見で良い」


「では、先生と呼ばせていただきます。それでは2人を呼びます。竹蔵さん、お雪さん、ここへ来てもらいたい」


 竹蔵は鉢巻を外し手に持って、板場を出て来た。後にお雪が続く。


「源蔵さん、どうかしたかえ?」


「こないだからのおまえさんの頼みだが、こちらの辺見先生が引き受けて下さることになった」


「それはありがとうがざいます。どうかよろしくお願いします」


 お雪も一緒に頭を下げる。


「それでな、今夜から先生が席に着いたら、お雪さんは直ぐ傍に行って『いらっしゃいませ』と嬉しそうに言い、板場へ戻って貰う。先生は一言もしゃべらないのに、直ぐに酒やつまみが用意され、締めは食事まで用意される。見てるものはあれっと訝しがる。しかも勘定は払っていかない」


 聞いていた竹蔵はピーンときたらしく大きく頷き、


「もちろんお代は頂きません。よろしくお願い致します」


 丁寧に頭を下げる。


「なるほど、お雪さんの良い人と言うことだな」


「すみません、勝手に決めて申し訳ありませんがよろしくお願いします。それで、先生にお出で頂く時間ですが、2人が揃う暮れ六つ半(19時)過ぎにお願いします」


「他にすることは無いか?」


「今のところはありませんが、二人が横恋慕だと文句言って来るかも知れません。しかし、お侍さんで良い男です。尻尾を巻いて来なくなるでしょう」


「ただ、大工の棟梁の息子は、気性が荒いから向って来るかも知れません。その時はよろしくお願いします」


 刻は暮れ六つ。呉服屋が閉店すると善吉は訪れた。半刻(30分)後に棟梁の息子甚兵衛は、銭湯でさっぱりした成りで来た。互いに顔を合わさない。言葉も交わさない。


 その時、からりと障子木戸が開き男が入って来た。鼻筋通った良い男だ。浪人のようだが、凛として隙がない。


 一斉に店の客が注目した。男は空いた後ろの席を見つけると、脇差を横に置いて座った。


 お雪が板場からすぐに出て来て、その男、辺見の前に立った。


「いらっしゃいませ」


 にっこりと嬉しそうな顔をして、板場へ戻って行った。お雪は愛想笑いをしない女だ。客は変に思った。お雪目当ての二人は、どうも気になって仕方がなかった。


                        つづく

続きは4月7日朝10時に掲載します