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               38.傘の忘れ物

 夕暮れから小雨が降り始めた。秋の小雨は冷たい。帰宅時に立ち寄る喫茶店。今日はビールでなく珈琲にした。


 いつもなら小雨ぐらいでは傘は断るのだが、外の肌寒さと『お返しにならなくて結構ですよ』との言葉に借用した。


 山手線に乗ると座れたが、その傘の置き場に困った。左右の人に濡れた傘が触れないように、両足の間に挟んだ。


 小ぶりの透明傘から両足のズボンに、しずくが薄っすらと染みてきた。


 傘を出来るだけ持ちたくないのは、差さずに持ち歩く時の不便さが嫌だった。


 歩く時は片手に鞄を持つので両手が塞がってしまう。車内では本を読むにもPⅭやスマホを操作するにも邪魔になる。


 降車駅に近くなり、ドア口へ移動した。男は何気ないふりをしてドア横の手すりに傘をかけた。


 ドアが開くと男は傘をそのままにして出てきた。2,3歩歩いたら、


「傘お忘れですよ!」


 会社員風の男が親切に渡してくれた。


「どうもありがとうございます」


 男はありがたくなかったが、お礼を言って受け取った。改札を出るとまだ小雨が降っていた。傘をどうするか迷った。


 目の前の女子高校生二人が話していた。


「傘買うのもったいないね。どうする?」


「でも、止まないよ。濡れて帰る?」


「君達、これ使って!あげるよ」


「良いんですか?でもおじさんは?」


「おじさんは近いから、走って帰る」


「えっ、大丈夫ですか?」


 二人は顔を見合わせながら言う。


「じゃ!」


 男は小雨の中を走り出した。男は良い事をしたと嬉しくなった。外気の冷たさに反して心がぽっと温かくなった。


 人の好意を無にするところだった。喫茶店の親切。傘を渡してくれた人の親切。全てを無にするところだった。


 男はアパートに着いた。タオルで頭や肩を拭きながら、はっと思った。借りた傘だ。


 返さなくて良いと言ったから貰った気になっていた。差すのが面倒だから捨てるつもりでいた。


 翌日、喫茶店にビニール傘を持ってお礼に行った。男は来年三十歳になる。世の中が少しわかった気がした。


                        終わり

次回は9月28日金曜日朝10時に掲載します