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    34、美乃の心

 雪駄はすぐ選べたが、かんざしを買うのは初めである。迷いに迷った。決めるのに四半刻程の時間が掛かった。


 治療所に着いたのは暮6つ(午後6時)少し前。丁度最後の患者が帰るところで、入れ替えるように入って行った。


「ただいま帰りました」


 後ろ手で引き戸を閉めながら言う。


 旅姿の俊介だ。二人は驚いた。3日も早い帰りである。美乃は片付けの手を止め、すぐに寄って行った。


「お帰りなさいませ。直ぐにすすぎを用意いたします」


 美乃は木桶を持つと井戸端に走っていった。


 その嬉しそうな様子に、市之進も嬉しくなったが、ふと不安が心を過った。美乃が出て行くと、


「兄上の具合はどうだった?」


「ご心配おかけしました。兄はすっかり良くなっておりました」


「おお、それは良かった。名医はいるものだな。疲れただろう。そこに座ると良い」


「はい、ありがとうございます。それがとんだ名医でして、風邪と胃の病の併発を労咳と誤診したようです」


 俊介は3日間の帰り道中で、言い訳を周到に考えてきた。


「兄は勘定役に執り立てられ、精神的な重圧に胃を壊したようです」


「出世もをするとありがちなことだ。だが、時機に慣れる」


「それであれば良かったのですが、食欲を無くしたようです。それは体力を落とすことになり、風邪を長引かせたようです」


「そうか、咳が続いたのは風邪で、喀血は胃が原因だったのだな。なるほど労咳と誤診するはずだ」


 そこへ美乃が、木桶に水を入れて入って来た。


「どうぞ、おみ足をお出し下さい」


「いえ、自分でやります。すみません」


 俊介の言葉よりも先に、美乃は草鞋の紐をほどき始めていた。それを聞いていた市之進は、


「おい、遠慮するな。やってもらえ」


 市之進は満面の笑みを浮かべ、嬉しそうに言う。


「美乃さん、汚れた足をすみません」


 美乃はにっこり笑いながら嬉しそうに、


「はい、今度はこっちの足ですよ」


 両足の紐をほどくと片方づつ木桶に入れて、丁寧に洗い始めた。


 俊介は足の疲れがどんどんほぐれていくようで気持ちが良かった。また、美乃の手触りが程よくてドキッとした。


 美乃にはこの7日間、毎日が長かった。早く10日過ぎることを、毎日指折り数えていた。寂しくて待ち遠しかった。


 俊介と会えない日がこんなに辛いとは思いもしなかった。朝から晩まで俊介の顔が浮かぶ。


 早く帰って来て!心の叫びだった。そして、心の中で一生懸命に祈った。


 祈りの願いが叶った。俊介は3日も早く帰って来た。嬉しくてその足を宝物でも扱うかのように丁寧に洗っている。


「お兄さまの具合はいかがでしたか?」


「ご心配おかけいしました。元気になっていました。労咳は誤診だったようです。ご迷惑をおかけいたしました」


「それは何よりです。良かったですね。私くしも毎日気がかりでした」


 市之進は美乃の言葉を嬉しそうに聞いていた。


「美乃、酒を出してくれ、三人で乾杯しよう」


「はい、直ぐ用意いたします」


 早速、市之進の音頭で乾杯をした。


 美乃は立ち上がると大忙しだった。野菜の煮物と大根と人参の紅白の糠漬けを出し、飯を炊き始めた。


「お腹空いてるだろう?直ぐ飯も出来る。それまで飲もう。さー、飲め。明日はゆっくり休んでくれ」


「いえ、明日から出てきます」


「駄目ですよ。明日は、身体をゆっくり休めて下さい」


 美乃はそう言いながら、小さな火鉢を持って外に出た。


 めざしを焼くためだった。かまどは二つしかない。一つは飯を炊き、もう一つはみそ汁を作っていた。


 市之進は美乃が外に出て行くのを目で確かめると、俊介に小声になって、


「美乃を貰ってくれるな」


 俊介の心は複雑だった。結論は出したはずだったが、おちかのことが頭から離れなかった。


 三日間の帰りの道中、結論は出ているのに繰り返し考えた。自分がせつなかった。しかし、美乃を見て心が決まった。


「はい、よろしくお願いします。しかし、美乃さんのお気持ちが……」


「心配か?よし、聞いてやろう。美乃ちょっと来てくれ」


 美乃は前掛けで手を拭きながら、畳に上がって来た。


「そこに座れ」


 美乃は指された俊介の隣に座った。


                        つづく

次回は5月28日火曜日朝10時に掲載します