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     33、独り言

「何!おちかと言うのか」


「はい、お綺麗なお方です。この高崎にも中々見かけません。若くはありませんが、お上品なお顔でしたね」


「呉服屋で女の主人とは珍しいな。何かわけがあるのか」


「へえ、半年ほど前です。突然旦那さんが亡くなられたのです。それで後をお継ぎになったのです」


「では、嫁であったのか?」


「いえ、妹さんです。その奥様もお亡くなりになっています。不幸続きだったようです」


「婿入りした男は、店の主人に成り得なかったのか」


「お武家様、よく聞いて下さいました。婿は高崎では有名な道楽息子でした。人は変われるものなんですね」


「そのことではない。店の旦那にならなかったのかと言うことだ」


「そこなんです。千両の結納金ですよ。店の旦那になるとだれもが思っていました。ところが、丁稚仕事ですよ。店前の掃除から水撒き」


「それはひどい話だな。道楽息子がよく我慢したな」


「と思うでしょう。それが自分から希望したようです。番頭を始め店の者が困ったようです」


「感心な男だな。幾つぐらいだ?」


「31歳だそうです。大店の息子ですよ。体面もあるでしょうに。見上げたお人です」


「今は何をしている?」


「手代までの仕事を半年で順番にこなし、番頭見習いをしておりました。ところが女将さんのお腹が目立ってきたでしょう。急遽、女将さんの代理をしているようです」


「女将さんは、もう店には出てないのか?」


「出ていらっしゃらないようです。近所では評判のご夫婦仲のようです。女将さんを労わっていらしゃるのでしょうね」


 それを聞いた俊介は打ちひしがれたような気持ちになった。おちかは自分に関係なく幸せに生きているのだ。


 男が未練たらしく女の郷里まで探し求めてくるなんて。いつから自分はこんなに心が弱くなったのだろう。


「おやじありがとう。もう十分だ。酒を2,3本つけてくれ」


「お武家さん、まだお話は色々ありますよ」


 おやじは話し好きらしく、残念そうに下がっていった。


 俊介は女中の持ってきた酒を、立て続けに3本飲んだ。涙がこぼれて止まない。さらに2本の酒を注文した。


「明日は江戸へ帰ろう」


 俊介はぽつんと独り言を言った。


 翌朝、明け6つ(6時)俊介は宿を出た。ただひたすらに江戸へ向かって歩いた。


 歩き続ける程に、おちかの顔が浮かぶ。無心に歩いているつもりが、寂しそうに微笑んでいるおちかの顔が浮かぶ。


 置手紙を見たあの日、その寂しそうに微笑んだ顔が別れになるとは夢にも思わなかった。


 昨夜、おちかの幸せを考えると会いに行ってはならないと心に決めた。これで良いのだ。自分に言い聞かせた。


 無心に歩いているつもりが、いつの間にかおちかのやさしさが思い出される。


 医書に夢中の私の横に、いつの間にか火鉢が寄せてあった。眠いだろうに、縫物をしながらいつも起きていた。


 冷たい両足を挟んでやると、恥ずかしそうに顔を胸にうずめてきた。思い出すとせつなくなる。


 おちかに何もしてやることが出来なかった。俊介に出来ることは、今も何もない。


 会わずに来たことが、唯一おちかのためになったのだと俊介は思った。おちかの幸せを願って。


 3日間の江戸へ戻り旅は、俊介の心を強くした。立派な医者になると決意を新たにした。


 3日目の夕7つ過ぎ(午後4時)浅草に寄った。土産を買うのを忘れてきた。二人への土産を買うつもりだ。


 美乃にかんざし、市之進に雪駄を買った。そのまま治療所へ向かった。


                       つづく

 次回は5月21日火曜日朝10時に掲載します