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     30、高崎宿

 市之進は美乃と俊介をどうしても夫婦にしたかった。そのためには、俊介の兄の病は必ず治って貰いたい。


 その強い気持ちが、両手をついてのお願いになった。美乃はそれを知らぬが、労咳と聞き心配で帰省を勧めた。


 翌朝、俊介は暁7つ(午前4時)まだ暗いうちに家を出た。10日の休みを貰った。


 高崎宿には、3日後の夕暮れに着いた。ここから前橋には3里程のところである。十分に歩ける距離だが宿を取った。


 俊介は逸る気持ちを抑えるのが大変だった。飯盛り女に良い呉服屋はないかと尋ねると、宿の主人を呼んで来た。


「お客様はお武家様と思っておりましたが、商いをなさいますか?」


「そうではないが、おやじは呉服屋に何か関りがあるのか?」


「へえ、生糸の仕入れに泊まられるお客様が多いものですから、ご紹介させていただいております」


「呉服屋に詳しいようだな」


「そりゃーもう、ここだけでなく前橋も知らない呉服屋はありません。あればそこはもぐりです」


「ほう、それはありがたい。ちと訊ねたいことがあるが」


 俊介は巾着から小粒銀を渡した。


「へぇー、こんなにいただけるのですか。ありがとうございます。知ってることは何でもお話し致しやす」


 それは半年前のことだった。おちかと六蔵は4日目の夕暮れ前橋に入った。実家、華丸呉服の近くまで来ると、


「おちかさま、六蔵が先に帰りまして大旦那様と大奥様に知らせて参ります」


 おちかの返事も待たずに、駆けだした。


 店の前には、大旦那を始め店の者7名が総員で出迎えていた。おちかを見て泣き出す者もいた。


 今夜は疲れているだろうから明日にでも相談したいと、大旦那である父に言われた。


「いいえ、疲れておりません。お父様のお話をお聞かせ下さい。そのために帰って来たのです」


「嘉兵衛が死んだのは、私にも責任がある。実は生糸の仕入れが難しいのだ。一昨年の秋から続いている」


「生糸の量がが少なくなったのですか?」


「違う。手付を置いて回る江戸の業者がいる。一昨年、嘉兵衛から相談があった。こちらもしなければと言うのを止めた」


「長年の付き合いだ。農家を信じていた。しかし、二年続きの米の不作が義理も人情も無くした。農家は蚕だけで生活をしていない。どこの農家も食うに困っていた」


「そこに手付を出されたら、断る者は少なかった。おかげで生糸が殆ど入らなくなった。うちの商売は生糸で反物を仕入れている。嘉兵衛には苦労をかけた」


「去年の暮れには人も半分に減らした。嘉兵衛は私に内緒で方々に借金して回っていたようだ。私に内緒で手付を出していたようだ」


「3月から4月にかけての質の良い春生糸の仕入れには、苦労を極めていたようだ。そんな矢先に倒れてしまった」


 父吉兵衛はそこで言葉を詰まらせた。


「お父様、私に相談とはどう言うことでしょう?」


「この店をお前に頼みたい。孫の与兵衛はまだ2つだ。いづれは継がせたいと思うが先はわからない」


「お父様、私の好きなようにしても良いですか?」


「もちろんだ。このままでは先は見えている。3代で潰したのでは先代に申し訳ない。全てお前に任す」


「わかりました。明日から店に出ます」


 おちかに勝算があったわけではない。夢中になることが必要だったのである。江戸を出るときに覚悟は出来ていた。


 兄亡き今、3代目を守りたいとその一心のみであった。兄の座っていた帳場に座ると、店内と通りまで見通せた。


 今まで帳場に女性が座っていたことはない。しかし、それが妙に華やいだ。通り行く人々も自然に目を向けた。


 おちかはにこやかな顔をするでもないが、店内には桜が咲き揃っているような華やかさと明日への希望に満ちていた。


 店の者も、昨日とは同じ人達とは思えない。柔らかく立ち振る舞っていた。店先と通りの境目がなくなっていた。


 これまで客は、店内に入るにはそれなりの心づもりをして入っていた。それがふらりと立ち寄った。


 ほうじ茶が出された。


「まだ、買うつもりはありませんよ。何だかふらっと寄ってみただけですよ。あの人おかみさん?」


「そうです。亡くなった旦那様の妹さんです」


「失礼を致しました。お立ち寄りありがとうございます」


 狭い店内。おちかは帳場で聞きつけて挨拶に来た。


「あら、おかみさん?買うつもりで入ったのではありませんよ。ふらっと様子見です」


「私も商売しているつもりはありません。通りを見ておりますと皆様お忙しそうに通り過ぎて行かれます」


「そうですよ。女は色々と忙しいものですよ」


「私、江戸にいた時のことを思い出したのです。買い物に疲れても、茶店に一人で入るわけにもいかず困ったことを」


「そうよ、実は私疲れていたのよ。だからふらっと寄ったのね」


「これからもぜひお立ち寄り下さい。空茶ですがいつでもご用意しております」


「あら、本当?これからそうさせて貰うわ」


 そういう客が日に何人も訪れるようになった。店先に縁台を二つ並べたが、それもいつの間にか人で埋まっていた。


 増えたには理由があった。女性は外出するとお手洗いに困った。華丸呉服は気楽に利用出来た。


 そう言う立ち寄り客の中から、反物を買う者が出てきた。ふた月近くなると反物の在庫が少なくなってきた。


 嬉しい悲鳴だった。しかし、次の反物を仕入れようにも売上金は、生糸の手付に回してしまっていた。


 おちかは精神的に疲労が溜まってきたのか、時々吐き気をもよおすようになっていた。


 さらに月の者が半月近く遅れている。もしやと思い乳房を出してみた。心なしか乳房が少し大きくなった気がする。


 両手を添えてみると。乳首の周りが少し黒ずんでいる。間違いない。おちかの目から涙がこぼれてきた。


                       つづく

次回は4月30日火曜日朝10時に掲載します