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    2、年増女

 部屋は隅に布団、かまどに釜と鉄瓶が置いてある。辺見は妙に落ち着いた気分になった。


 もうすぐ昼時と言うのに街外れのせいか、辺りは静かである。何だか気持ちがゆったりする。


 深川の街中から引っ越して来たには訳があった。3か月前に若夫婦が隣に越して来た。毎晩の秘め事に辟易した。


 街中から遠くはなったが、4畳半から6畳と部屋は広くなった。ゆつたりとするのはそのせいもあるだろう。


 腹も空いて来た。先ほど、めし屋の場所を聞いた。立ち上がるとふらりと外へ出た。めし屋は街中にある。


 長屋から一番近い蕎麦屋に入った。先客が二人いた。一人は漬物を肴に酒を飲んでいる。浪人だ。


 もう一人は隠居風の老爺で、蕎麦をおいしそうにすすっている。狭い店内だ。辺見ははす向かいの角に座った。


 何にしようかと店内壁の品書きを見回していると、隠居風の老爺が、


「もり蕎麦がうまいですよ」


 とにっこり笑いながら声を掛けて来た。


 辺見はうなずくと、もり蕎麦を頼んだ。蕎麦が来るまで時間があると思い、店内壁の品書きを再度見回した。


「お侍様、お初にお目にかかりますが、お近くですか?」


「いや、ここからは少し遠い」


「うまいと評判を聞きつけて、お出でになりましたか?」


「いや、一番近いところだからだ」


「そうでございましたか、ここの蕎麦は深川一と言ってもようござんす。蕎麦だけでなく絡めるつゆがまたうまい」


「それは楽しみだ」


「お侍様、よろしかったらこちらへお出でなせえ。そこは角で窮屈です。これから込んで来やす」


「そうか、そこへ移ろう」


 座ったところへ蕎麦が来た。


「お待たせいたしました」


 見ると年増女である。20歳半ばを過ぎているだろうか。鈴を張ったような目が優しそうだ。


 蕎麦屋には珍しい美形だ。辺見は思わず見つめた。女は気にもせずにそのまま厨房に戻って行った。


「お侍さん、綺麗でしょう。ここいらじゃちょっといませんね。後家さんなんですよ」


 老爺に見透かれた気がして、返事をしなかった。黙って蕎麦をすすり始めた。


「お侍さん、あっしは心配でならねえんです。悪い虫でも付きはしねえかと」


 辺見がおやっと思い、箸を止めて老爺を見た。よく見ると


老爺と言うにはまだ早い。50歳に少し前であろうか。


「すみません、食事中に」


 そう言うと後は黙った。そこへ女が食べ終わるのを見計らっていたかのように、


「蕎麦湯お持ちしました」


 と老爺の前に置いて行った。老爺は嬉しそうに蕎麦猪口になみなみと注いで、うまそうに少しずつ飲み始めた。


 客が1人2人と続けて入って来た。見る間に満席になった。殆どの客がもり蕎麦を注文した。


 辺見の隣も老爺の隣も客が座った。老爺は構わずゆっくりと蕎麦湯を楽しんでいる。


 辺見は食べ終わり壁の品書き通りに、勘定を置くと立ち上がった。


「お侍さん、ちょっと待って下せえ。お話がごぜえます」


 蕎麦好きは早食いだ。満席の客は半分になっていた。それぞれ仕事場に戻って一服するのだろう。辺見は座り直した。


 後家のことに興味があり聞きたかったからだ。幸いなことに、辺見の隣も老爺の隣も帰って行った。老爺が声を潜めて言う。


「実は、後家さんのことでご相談したいことがあるのですが…」


 辺見が返事もせずにいるので、老爺は話すのをためらいがちに話し始めた。


「ここの親父はあっしの友達でして、その娘です。亭主の大工は3年前、屋根から足を滑らして亡くなりました」


「それは気の毒に」


「あっしは、その大工の棟梁をしていやした。時々様子見に食べに来てたんですが、親父が困って相談に来やした」


 そんな内輪の話を、初対面の自分にするとはどういう事だと辺見は思った。老爺は言葉を続けた。


「この3年の間に、嫁に貰いたいとの話が10人を超えました。しかし、娘が全て断わってしまいます。どうしたら良いかと相談されましてね」


「そんな話を私にしてもどうにもならない」


「いえね、お侍さんがあまりにも様子が良いものですから、いいお知恵を頂けるのではないかと思いまして…」


「あいにく、知恵と金はない。残念だが他を当たってくれ」


 そこへ後家が徳利を2本持って来た。


「親父さんからです。どうぞ」


 周りを見ると、客はもう誰もいない。後家は徳利を差し出した。老爺と辺見に、にっこりと笑いかけた。


「お雪さん、こちら…」


 と言って老爺は名前を知らないことに気付いた。


「身どもは辺見と言う。よろしく」


 辺見は咄嗟に自分から名乗った。


「あたし、雪と言います。よろしくお願い致します」


「ははは、お名前を伺ってなかった。失礼しやした。あっしは源蔵と言います。よろしくお願い致しやす」


 お雪はそのまま、厨房へ戻って行った。辺見はそれを目で追った。


「辺見様どうぞ!どこまで話ましたっけ」


 目線を遮るかのように源蔵は徳利を差し出した。


                        つづく

次回は3月31日火曜日朝10時に掲載します