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    2、土こね

 佐久間は名を俊介と言った。江戸隣接の藩士の家に生まれたが、次男であり部屋住みに嫌気して江戸に出た。


 剣才があるわけで無し、学問に秀でることも無し。極平凡な男であった。しかし、容姿に秀でていた。


 藩内の女子は騒いだが、二十歳を過ぎても婿養子の話は一つもなかった。原因は利己的な性格に起因したようだ。


 それは俊介にはわかるはずもなく、藩内には己を正当に評価するだけの人材はいないと思い至った。


 一昨年22歳の秋、藩を逐電した。二年経ったが定職を得ず、経験不要の土こねを職として食いつないでいた。


(土こね…左官の下仕事で。壁土用に土に藁を混ぜこねる)


 二か月前のこと、土こねの現場に、新入りが入って来た。歳の頃は30歳を少し越えたぐらいだ。


 どこかの藩士であろうか、ほおっかむりをしていた。この仕事は泥と埃にまみれるからほおっかむりが許された。


 それは藩士の内職に都合が良かった。新入りとは言え俊介より手際が良く。先輩職人が名指しするようになった。


 いつの間にかこの新入りと立場が逆転していた。俊介は新入りに指図されるようになっていた。


 新入りは壁土を職人に催促され、俊介に急ぐように言った。俊介はむっとしたが急ぎこねた。


 急ぐ余り、こね土が新入りの顔に撥ねた。頭を下げたが睨みつけられた。睨みに気付かぬふりをして壁土をこねた。


 悪いことは重なるもので、今度は新入りの胸に撥ねた。新入りは、こね土を掴むと俊介の顔に投げつけた。


「バシッ!」


 俊介は顔中泥だらけになった。くわを置くと新入りを殴りつけた。しかし空振りであった。


 新入りは顔を軽く後ろへ反らしてよけた。勢い余って前のめりになったところを、軸足の右足を払われた。


 俊介は顔面から地面にへばりつくように倒れた。瞬間ぱっと立ち上がったが、鼻をぶつけて顔は血だらけだった。


 戦意は失せていた。拳で鼻血を拭いたが拭い切れない。新入りが黙って腰の手拭いを差し出した。


 黙って受け取った。小柄だが、とても敵う相手ではないと悟った。歳も上なら喧嘩も仕事も上だった。腹は立ったが仕方ないと思った。


 帰り際、新入りはにっこり笑って親指と人差し指で輪を作り、盃を持ち上げるような仕草をしながら、


「今日はすまなかった。一杯つき合ってくれませんか?」


「行きましょう」


 俊介は即座に返事した。


 そこは酒屋の店先だった。大工だろう二人連れが立ち飲みしていた。他にも職人風の男が一人で飲んでいた。


 みんな着の身着のままである。大工は木の匂いをぷんぷんさせていた。


 ほこりと泥まみれの、土こね二人を気にするものは誰もいなかった。目刺しを肴に五合の酒を飲んだ。


 新入りは名を榊市之進と名乗った。病弱な妹と二人暮らしだと言う。生活は苦しく、あちこちの土こねをしていた。


 市之進は自分から酒を誘っていながら弱かった。ふらふらで歩けないので俊介が道を聞きながら送って行った。


「お世話をお掛け致しました。ありがとうございました」


 長屋に着くと市之進の妹が迎えてくれた。質素ななりをしているが、清楚な美しい娘であった。俊介は一目で心を奪われた。


                        つづく

次回は10月9日火曜日朝10時に掲載いたします