Shopping Cart
Your Cart is Empty
Quantity:
Subtotal
Taxes
Shipping
Total
There was an error with PayPalClick here to try again
CelebrateThank you for your business!You should be receiving an order confirmation from Paypal shortly.Exit Shopping Cart

    29.高麗人参

 俊介はこの夜から心が落ち着かなくなった。治療所では美乃をまともに見れなくなった。


 美乃は兄市之進が、俊介に話したことは知らされていなかった。いつもと同じに笑みを絶やさなかった。


 この頃、俊介は顔を合わすと微妙に目を逸らす。美乃は気になっていた。あの夕食の翌日からである。


『あの日、兄は俊介さんと一緒に帰った。兄が何か良からぬことを言ったのではないだろうか』


 それは半月程続いている。美乃は疑心を起こした。今夜、兄市之進に問いただそうと思った。


 市之進も気付いていた。まだ聞くべきではなかった。もっと熟すまで待てなかったのかと後悔していた。


 しかし、それを思うと気が気でなくなった。今夜にでも美乃と相談しようと思った。


 二人はいつものごとく向かい合って夕食をしていた。市之進はどう話そうかと考えながら食べていた。


 美乃はどう聞こうかと考えていた。二人の間に気まずい空気が流れていた。


 市之進は箸を置くと、


「お茶にしてくれ。美乃、どうかしたか?何だか塞いでいるように見えるが……」


「いえ、何でもありません」


 聞こうと思った矢先の言葉に、思わず答えた。


 市之進は出されたお茶を持ったまま口を付けず、再び膳に戻した。


「美乃、相談がある」


「はい、何でしょうか?」


 美乃は不安になった。俊介さんのことに関係があるのかも知れないと思った。


「実はな、佐久間さんのことだが、兄上が労咳だそうだ。見舞いに帰してあげたいと思う」


「労咳ですか……」


「いや、なに、然程心配はないようだ。医者は2.3カ月で癒えると言っているそうだ。しかし、少し心配でな」


「兄上、いいお薬はないのですか?」


「ある。高麗人参だ。持たせてあげたい。しかし、近隣の藩とは聞いているが、何日かかるところかわからない」


「兄上、それは良いことです。佐久間様の留守中は私くしと兄上とで頑張れば良いではないですか」


「多分、片道2,3日のところだと思う。滞在日を入れて8日は必要だと思う」


「兄上、佐久間様のご様子がこのところ何だか変だったのです。私くしは気付いてました。お帰り頂きましょう」


「そうか、気付いていたか。ありがとう。では明日にでも佐久間さんに話そう」

次の日、俊介は最後の患者が帰った後、治療記録を書いていた。そこへ市之進が傍に来た。


「佐久間さん、少し話がある良いかな?美乃!ここに来てくれ」


 治療記録帳を閉じると市之進(橘)の顔を見た。美乃さんまで一緒とは、例の話をするのだと思った。俊介は緊張した。


「はい……」


「佐久間さん、兄上のことが気がかりだろうと思う。郷里に帰って来られたらと思う。私も気がかりで心配だ」


「いえ、大丈夫です。何かあれば知らせが来ます」


「治療所を心配してのことだったら大丈夫だ。昨夜美乃と相談した。往診を午後にして午前中は治療所に専念する」


 ここで美乃が口を挟んだ。


「午後は私のみで、お薬渡しを致します。患者さんが多くなりましたので、それのみの患者さんにお渡します」


「だから、安心して郷里の兄上を見舞って来て欲しい。万一のことがあったら私も美乃も立つ瀬が無い」


 市之進はそう言いながら、手元に用意しておいた小さな木箱を差し出した。


「これは、労咳に良い高麗人参だ。往診の患者が快復して必要がなくなった。それで残ったものだ。是非使って貰いたい」


「そんな高価なものはいただけません。それと見舞う必要はありません。医者は大丈夫だと言っています」


「この高麗人参は患者が払い終えている。だからタダだ。しかもこのまま保存すれば自然と薬効が落ちる。勿体ない」


「それとね、佐久間さん我々は医者だよ。身内の病を知りながら何もしないでは後々悔いを残すよ。だから是非使って欲しい」


 俊介が咄嗟についた嘘に、市之進は真剣に心配している。心が揺れた。嘘ですとは今更言えない。


 俊介にふとある思いが芽生えた。見舞いと言いながら前橋に行ってみたいと思った。


 おちかの帰った前橋に、様子を見に行きたいと何度思ったことか。しかし、治療所は休めない。運命と諦めていた。


 今、その嘘の話が現実になり、兄の見舞いを勧められている。しかも段取りまで考えられている。


 前橋に行くことは裏切り行為だ。どうしてこんなにおちかに未練なのだろうと自分が情けなかった。


 黙って考え込んでいる俊介を見て、美乃が口を開いた。


「佐久間様、私たちは佐久間様のおかげで診療所を開くことが出来ました。兄共々どんなにか感謝していますことか。又、こうして続けられるのも佐久間様のおかげです。どうぞお見舞いに行って下さいませ。御恩の何十分の一かですが、心が少し軽くなります。どうぞお願い致します」


「美乃、良く言った。佐久間さん、お願いだそうしてくれ」


 市之進は座り直すと両手を付いた。


「橘さん、お手を上げて下さい。わかりました。お言葉に甘えましてそうさせていただきます」


 俊介は申し分けなくて辛かった。美乃が心から喜んでいるのがわかる。胸が張り裂けそうだった。


 今度は俊介が両手を付いて礼を言う。辛くて悲しくて恥ずかしくて頭を上げられなかった。


                        つづく

次回は4月23日朝10時に掲載します