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     26、武士の心持

 吉蔵は山形屋の裏木戸を、肩を落とし上背をかがめ、力を落とした老爺のような姿で出て来た。2、3歩歩くと、


「馬鹿野郎!こけにしやがって。小娘のくせに生意気な!何が餞別だ!はした金を出しやがって」


 頬かむりの間から頭に手をやり、


「くそっ、坊主にしやがって。札所回りだと。お遍路じゃあるまいし、今に見てろ!」


 肩を怒らせながら、早足で立ち去った。力を落とした老爺風の姿は微塵もなかった。


 おつるは、吉松とおよねに悲し気な顔をして、


「山形屋から咎人は出しません。吉松、およね、こんな遅くまでありがとう。それではもう一度戸締りを確認してね」


 二人は手分けして確認に回った。


「松崎さん、ありがとうございました。おっしゃる通りになりました。待ち伏せに合うとは思っ

てもいなかったでしょう」


「だが、これで終わったとは思えない」


「どう言うことですか?」


「うむ、あの男は性根から腐っている。紐をほどいたとき、謝るどころか逃げようとした」


「………」


 おつるは言葉がなかった。


「三人の前だから黙っていたが、改心どころか執念深い目をしていた。きっとまた来るぞ」


「そうでしょうか?私は、札所を参ってくれると思っています」


「わかった。この話は終わりだ。それでは雨戸を直そう」


 中からの雨戸は簡単に直った。


「直したよ。ただ、雨戸にくさび鍵が付いてない。明日にでも大工に付けさせることだ」


「はい、そう致します。今夜は本当にありがとうございました。松崎さんがいらっしゃらなかったらと思うと、ぞっとします」


 そこへ二人が戻って来た。


「塀に縄梯子がそのまま残ってました。これです。それから、蔵を含めて全て確認して来ました」


 吉松の報告に松崎が、


「梯子を外してどうやって降りた?」


「飛び降りました」


「1間半程の高さがあるが、良く飛び降りられたな」


「簡単ですよ。もっと高くても平気です」


「それは頼もしい」


「あたしは、お店、台所と中は全部確かめました」


 およねが続いて報告する。おつるが答えた。


「ありがとう。遅くまでご苦労様。今夜は、二人共お休みなさい」


 二人はそれぞれに部屋へ戻って行った。


「松崎さん、ご相談したいことがあります」


「なんだ、聞こうじゃないか」


「どうぞ、お座りください」


 十畳の部屋に二人は向かい合わせに座った。


「お願いがございます。先ほど吉蔵がまた来るとおっしゃいましたが、私も心配になってきました」


「おつるさんの言う通りかもしれぬ。そう心配しなくても良い。万一の場合でも私がいる。心配せずとも良い」


「ありがとうございます。そのことでございますが、月10両でお守りいただけないでしょうか?」


「ほう、用心棒か?それは結構だ。市松屋にも山形屋の守りを頼まれた。金は断ってきた。気分で来たのだ」


「気分とおっしゃいますと…」


「気まぐれと言うか……。そのようなものだ」


 松崎は言うに困った。おつるに会いたかった。無性に会いたかったのだ。


「月10両では少ないと思います。商いが軌道に乗りましたら、もっとお支払いしたいと思います」


「そう言うことを言っているのではない。のんびりした、川越の町が気にいったのだ。しばらく居させて貰うぞ」


「お気遣いありがとうございます。心からお礼申し上げます」


 おつるは両手をついてお礼を述べた。松崎が山形屋の現状を気遣ってのことだとは痛いほどわかっていた。


 おつるは嬉しかった。自然に涙が溢れてきた。


「どうした?」


 松崎はおつるの両手を取った。おつるの涙が松崎の手に落ちた。愛おしくてたまらない。


「何も心配することはない。山形屋は守ってやる」


「はい、ありがとうございます」


 おつるは、温かい手のぬくもりを全身で感じた。身体が解けるような気がした。ずっと握っていて欲しかった。


「おつるさん……」


 松崎は言葉に詰まった。自分の心がせつなかった。そのまま抱きしめたい、堪えた。ぎゅっとその手を握り締めた。


 想う気持ちを伝えられない。伝えてはならない。浪人はしていても、武士の心持はそのままであった。


                        つづく

 次回は12月10日火曜日朝10時に掲載します