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     25、竹蔵の涙

 この日から蕎麦屋はてんてこ舞いだった。竹蔵はお雪を辞めさせた。


「先生、お言葉はありがたく頂戴致します。しかし、それは出来ません。お雪は先生の嫁に出しました」


「そう固く考えないでくれ。それでは代わりが見つかるまでと言うことでどうだろうか」


「いえ、お雪には幼い時から苦労ばかりかけて来ました。やっと幸せになれる。その出鼻を親がくじいてどうします」


「心配するな。お雪は命にかけても幸せにする。暫くはそうしてくれ」


「先生、お言葉ですが二足のわらじは履けません。そんなことをしたら、お雪の母親に顔向けが出来ません。いまわの際に約束いたしました」


「・・・・・」


「お雪、親として苦労をかけるだけで何にもしてあげられなかった。酷い親だった。最後は鼻を持たせてくれ」


「おとっつあん・・・」


 お雪はそこにしゃがみこんで顔を手で押さえた。


「先生、そうさせて下さい。せめてもの娘へのはなむけにお願いしやす」


 辺見はお雪を抱えるようにして立ち上がらせた。竹蔵の固い決意にどうにもぶれないものを感じた。


「はなむけを心して頂く。お雪は命に代えても幸せにする。改めて伺うことにする」


 辺見はお雪と帰って行った。


「おんや!おめえが持って来たのか?お雪さんは?」


 目の前に徳利と盃が出された。左官の常吉が驚いて聞く。仲間の吉蔵が答える。


「お雪さんはお嫁に行ったよ。今日からいないんだよ」


「そりゃ急だな、誰と?」


「先生だよ。おめえだって聞いていたろう。許嫁だって」


「まあな、でも先生じゃしょうがねえや。残念だけどな。しかし寂しいな。ここによお、ぽっかり穴が開いたようだぜ」


 吉蔵は胸に手を当てながら言う。


「おめえだけじゃねえよ。ここにいるみんなそうだよ。おめでたいのに葬式みたいだよ。いけね!縁起でもないこと言っちゃった」


「そんじゃ、つまみはおめえに頼べば良いのか?」


「いんや、そこに大皿が3つ並んでるだろう。好きなもの食べてくれってさ。おやじさんのおごりだ。酒もだよ」


「へぇー!豪気だな。ありがてえ!」


 板場を見ると、竹蔵が板場の真ん中に腰かけて煙草をふかしている。聞いていたのか立ち上がると、


「みんな、今日は面倒を掛けて悪いな。お雪の祝いだ。好きなだけ飲んで食べて行ってくれ。お雪自慢のぬか漬けも今から出す。食べてやってくれ」


 常吉を含めて8人の客は大喜びだ。立ち上がると手を叩きながら口々に、


「おめでとうございます」


 竹蔵は何度も頷くと板場の端に行った。お雪の漬けたぬか漬けを出しながら、ぽろりぽろりと涙をこぼした。


 辺見に竹蔵のはなむけは痛いほどわかった。少しでも安心させてやりたい。


 蕎麦屋を後にすると、その足でお雪を連れて大家を訪ねた。


「おめでとうございます。心からお祝い申し上げます」


「ありがとう。届をしたいのだが町役を紹介していただけないか」


「すぐ近くでございます。ご案内いたします。一緒に参りましょう」


 午前中の内に手続きを終えた。二人は人別帳に夫婦と記載された。


 この日から二人は辺見の長屋に一緒に住むようになった。お雪の長屋は空き家になった。


 お雪の引っ越しを含め慌ただしい一日であった。


 遅い夕めしが始まった。宵5つ(20時)である。二人して銭湯に行ったのが暮6つ半(19時)辺見は空腹であった。


 辺見が引き戸を開けると味噌汁の良い匂いが漂っていた。途端に腹の虫がぐうと鳴った。


「お帰りなさい。夕ご飯にしましょう」


 膳には、里芋と人参の煮つけ、金平ごぼう。冷ややっこに大根のぬか漬けが並んでいた。お雪の手際の良さだ。


「うまい!うまいなあ!お雪さんの料理は素晴らしい」


「先生、お雪さんと言うのは止めて下さい。お雪です」


「そうか、そうだな。お雪も先生と言うのは止めてくれ」


「でも、先生を何とお呼びすれば良いでしょうか?」


「そうだな、あなたとでも言えば良い」


「とんでもありません、旦那様ではいかがでしょうか?」


「ははは、商人でもあるまいし、あなたと呼べば良い」


「いいえ、とても恐れ多くて言えません」


「そう呼ぶんだ。わかったね。呼んでご覧」


「あ・な・た」


 お雪は下を向いてか細い声で言う。


 この夜は結婚して初めての夜だった。全てが充実していた。お雪は三度も注がれて意識朦朧としたまま眠ってしまった。


 翌朝、お雪は何事も無かったような顔をして朝めしを給仕した。辺見も何事も無かったような顔をして食べていた。


 その時、引き戸を叩いて、


「辺見様、辺見様、大変です」


 まだ朝5つ(8時)。声の主は護り屋の太吉の声である。声がうわずっている。


「先生が襲われました。すぐに来て下さい」


                       つづく

続きは9月8日火曜日朝10時に掲載します