うちのひろと

♪退屈な待ち時間などに3分小説をどうぞ
面白い!気分が明るくなります。読後感が爽やかです
3分41話.5回8話.10回6話.15回7話.23回1話
時代小説9話
[朝陽におむすび][ひきょうもの][やぶ医者俊介]
[どんぶりめし][人に華あり][おつる][ちんこきり]
[護り屋異聞記] [片腕一刀流]
23、おつるの涙
「あっ、先生!」
吉松は店の前に立ち、品台につかず離れずに客を誘導していた。閉店に近い夕7つ(16時)
「先生のお帰りです!」
吉松は店の中へ向かって大声で叫んだ。真っ先におつるが出て来た。もう涙目であった。帰ってこないと思っていた。
手代二人も続いて出て来た。店前にいた客は何事だろうと、手にした反物を置いて振り向いた。
菅笠を被っているが、澄んだ切れ長の目に一文字の眉。鼻筋通った面長の顔。すらりと着流した黒の単衣。
両刀落とし差しの姿は、江戸からの旅姿とは思えない。ふらりと街中を歩いて来たように見える。
今朝、松崎は上板橋村を出て大和田まで来た。立ち止まると長刀を背中に斜めに結び、着物を腰に端折り走り始めた。
おつるに会えると思うと胸が高鳴った。大和田を過ぎると川越がもう近い。おつるの顔が浮かび心が堪らなくなった。
大井を過ぎて城下に入った。小川を見つけると顔を洗い汗づくの体を拭った。着物の端折りを下ろし埃も払い落した。
両刀も落とし差しに改めた。普通に歩くつもりが、自然と急ぎ足になっていた。もうすぐ店である。
店のすぐ前に来た。胸の高鳴りが大きくなった。生まれてこのかた、このような気持ちになったのは初めてである。
「松崎様、お帰りなさいませ」
おつるはこぼれる涙を抑えもせず頭を下げた。
「どうした?何かあったか?」
思わず松崎はおつるの両肩を掴んだ。
「いいえ、何にもありません。嬉しいのです」
「嬉しい?」
「もう、お戻りにならないのかと思っていました」
「……」
松崎は答えに詰まった。川越を出る時、戻るつもりはなかった。だから、野暮用で江戸へ帰るとしか言わなかった。
江戸に着いたその夜、おつるの悲し気な顔が浮かんでは消え、せつなくて寂しくて眠れなかった。
野暮用を済ませた後、はっきりわかった。おつるに恋をしていたのだ。
「どうぞ、お入りください」
おつるは脇木戸開け、先に入りながら言う。そのまま通用口先の玄関に入り、およねにすすぎの用意を言いつけた。
そのすすぎはおつるがした。およねは茫然と立っていた。
「おつるさん、すまないね」
おつるは慈しむように指一本一本まで丁寧に洗った。
松崎は胸の鼓動の音が、おつるに聞こえないかと心配した。頬が赤く染まっていた。
二人はおつるの部屋へ入って行った。およねはすすぎ桶を片付けると、すぐにお茶の用意をした。
およねがお茶を持って行くと、おつるはいつもの位置に座らず、二人は並ぶように座っていた。
「およね、風呂を直ぐに用意してね。それと、一心(鰻屋)に仕出しを頼んでね」
(当時風呂は銭湯が主であったが、上級武士や大店では3畳ほどの湯殿を作った。中には直径1m程の湯桶があり、そこに湯を張り中へ入った)
おつるは障子際に座わり、松崎はその奥に座っていた。およねが下がると、にっこり笑って、
「いない間に何事も無くて良かった」
「いいえ、ありました。店前の品台を、台ごとひっくり返されました」
「なに!あったのか?酷いことをする。誰だそいつは?」
「わかりません。そのまま逃げてしまいました。吉松が追いかけたのですが、見失いました。頬かむりをしていたそうです」
「丸源のしわざではないな。丸源なら逃げない。それに源蔵とは話をつけてある」
「はい、私もそう思いました。それに、同業でもないと思っています。だから、不安なのです」
「吉蔵だな」
「えっ、吉蔵ですか?」
「そうだ。逃げきれず、隠れていたのだろう。借金が返されたと知り、安心して出て来たのだ」
「どこまでも卑劣な男ですね」
「馬鹿な奴だ。借金が返えされても、博徒が逃げた男をそのままに捨て置くわけがない。やくざの面子に関わることだ」
「どうしたらいいでしょうか?」
「今日から戸締りに気を付けることだ。しかし、私がいる。何も心配することはない」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
「そうだ、部屋はこの前と同じで良いのか?」
「もちろんです。そのままにしてあります」
「では、部屋に行く」
「どうぞ、ゆっくりなさって下さい。風呂ももうすぐ用意出来ます。出来ましたらお知らせに伺います」
「よろしく頼む」
おつるは、松崎が部屋を出て行くと帳場へ向かった。手代二人がすぐに寄って来た。
「女将さん、良かったですね。先生はもうお戻りにならないのかと心配しておりました」
治助が嬉しそうに言う。治助もほっとしたようだ。
「今日は店内で2反売れました。お客様が心配していらっしゃいました。ありがたいことです」
「再開して初めてですね。治助の力です。これからもよろしくお願いね」
「それから、品台では5反も売れました。再開して今日が1番売れました。明日も頑張ります」
「ご苦労様でした。今日はこれでお店を閉めて下さい」
おつるに明るい希望が湧いて来た。
次回は11月19日火曜日10時に掲載します
- トップ・ページ]
- 新作時代小説 片腕一刀流
- 新作人待ちおでん屋台
- 新3分連載 覚悟の失業
- 時代小説 護り屋異聞記
- 3分連載小説 心の隙間
- 3分連載小説 誤解
- 時代小説 ちんこきり
- 3分連載 マスク美人
- 3分連載 独身主義
- 時代小説 おつる
- 3分連載 不妊の幸せ
- 3分連載 素敵な人
- 3分連載 愛すればこそ 5回
- 連続3分小説 百円玉と雨 15回
- 時代小説 やぶ医者俊介
- 3分小説 1.忘れ物2,思わぬ言葉3.やさしい嘘
- 4.おいて行かないで 5 春一番 6.道案内
- 7.書きかけ手紙8出さなかった手紙9泣き笑い
- 10動いたバス停11寝たふり12意地悪な女
- 13見知ぬ方々失礼致14きつねそば15水たまり
- 16人の心17エレベーターの掟18浅はか思込
- 19思い違い20別れは紙一重21予期せぬ出来事
- 22通り雨 23やきとりの串 24主婦の溜り場
- 25聞いて良かった26鈍感な男27今為すべき事
- 28ちびた鉛筆 29駄目なのは私30春が来た
- 31言わなければ32意地の張り合い33泣くな
- 34内緒 35生きる 36諦めない 37優先席
- 38傘の忘れ物 39節操 40悔い 41黒電話
- 時代小説 朝陽におむすび 1〜24
- 朝陽におむすび 25〜45終
- 時代小説 どんぶりめし
- 時代小説 人に華あり
- 時代小説 ひきょうもの
- 連続3分 あなたは恋を知らない 15回
- 連続 3分小説 偽浮浪者 15回
- 連続3分小説 食欲の飽き 15回
- 連続3分小説 人込み 15回
- 連続3分小説 すれ違い 10回
- 連載3分小説 女の幸せ 10回
- 連続3分小説 恋の終わり 10回
- 連続3分小説 女の誤算 10回
- 連続3分小説 心の花 10回
- 連続3分小説 騙し続けて欲しかった5回
- 連続3分小説 淡き想い 5回
- 連続3分小説 どこかで見た人5回
- 連続3分小説 風邪の引き合わせ 5回
- 連続3分小説 男の面目 4回
- 朝陽におむすび 43.44.45
- 朝陽におむすび 40.41.42
- プロフィール
- ブログ
- ♪お問合せ
- 護り屋異聞記 8.
- 7,夜祭り
- 8,夫婦(めおと)
- 9,商家の護り
- 10、宮本武蔵
- 11、意外な入門
- 12.胸のときめき
- 13、雨降り
- 14、片腕一刀流の真髄
- 15、酒茶漬け
- 16、水滴切り
- 覚悟の失業 1.
- 覚悟の失業 8.
- 覚悟の失業 9.
- 覚悟の失業 10.
- 覚悟の失業 11
- 覚悟の失業 12.
- 覚悟の失業 13
- 覚悟の失業 14
- 覚悟の失業 15.
- 覚悟の失業 16
- 覚悟の失業 17.
- 覚悟の失業 18
- 覚悟の失業 19.
- 覚悟の失業 20
- 17.料亭つたや
- 18.待ち人来たる
- 19.心の花
- 20.入門者
- 人待ちおでん屋台 1.
- 人待ちおでん屋台 2.
- 人待ちおでん屋台 3
- 人待ちおでん屋台 4.
- 人待ちおでん屋台 5.
- 人待ちおでん屋台 6.
- 人待ちおでん屋台7.
- トップ・ページ]
- 新作時代小説 片腕一刀流
- 新作人待ちおでん屋台
- 新3分連載 覚悟の失業
- 時代小説 護り屋異聞記
- 3分連載小説 心の隙間
- 3分連載小説 誤解
- 時代小説 ちんこきり
- 3分連載 マスク美人
- 3分連載 独身主義
- 時代小説 おつる
- 3分連載 不妊の幸せ
- 3分連載 素敵な人
- 3分連載 愛すればこそ 5回
- 連続3分小説 百円玉と雨 15回
- 時代小説 やぶ医者俊介
- 3分小説 1.忘れ物2,思わぬ言葉3.やさしい嘘
- 4.おいて行かないで 5 春一番 6.道案内
- 7.書きかけ手紙8出さなかった手紙9泣き笑い
- 10動いたバス停11寝たふり12意地悪な女
- 13見知ぬ方々失礼致14きつねそば15水たまり
- 16人の心17エレベーターの掟18浅はか思込
- 19思い違い20別れは紙一重21予期せぬ出来事
- 22通り雨 23やきとりの串 24主婦の溜り場
- 25聞いて良かった26鈍感な男27今為すべき事
- 28ちびた鉛筆 29駄目なのは私30春が来た
- 31言わなければ32意地の張り合い33泣くな
- 34内緒 35生きる 36諦めない 37優先席
- 38傘の忘れ物 39節操 40悔い 41黒電話
- 時代小説 朝陽におむすび 1〜24
- 朝陽におむすび 25〜45終
- 時代小説 どんぶりめし
- 時代小説 人に華あり
- 時代小説 ひきょうもの
- 連続3分 あなたは恋を知らない 15回
- 連続 3分小説 偽浮浪者 15回
- 連続3分小説 食欲の飽き 15回
- 連続3分小説 人込み 15回
- 連続3分小説 すれ違い 10回
- 連載3分小説 女の幸せ 10回
- 連続3分小説 恋の終わり 10回
- 連続3分小説 女の誤算 10回
- 連続3分小説 心の花 10回
- 連続3分小説 騙し続けて欲しかった5回
- 連続3分小説 淡き想い 5回
- 連続3分小説 どこかで見た人5回
- 連続3分小説 風邪の引き合わせ 5回
- 連続3分小説 男の面目 4回
- 朝陽におむすび 43.44.45
- 朝陽におむすび 40.41.42
- プロフィール
- ブログ
- ♪お問合せ
- 護り屋異聞記 8.
- 7,夜祭り
- 8,夫婦(めおと)
- 9,商家の護り
- 10、宮本武蔵
- 11、意外な入門
- 12.胸のときめき
- 13、雨降り
- 14、片腕一刀流の真髄
- 15、酒茶漬け
- 16、水滴切り
- 覚悟の失業 1.
- 覚悟の失業 8.
- 覚悟の失業 9.
- 覚悟の失業 10.
- 覚悟の失業 11
- 覚悟の失業 12.
- 覚悟の失業 13
- 覚悟の失業 14
- 覚悟の失業 15.
- 覚悟の失業 16
- 覚悟の失業 17.
- 覚悟の失業 18
- 覚悟の失業 19.
- 覚悟の失業 20
- 17.料亭つたや
- 18.待ち人来たる
- 19.心の花
- 20.入門者
- 人待ちおでん屋台 1.
- 人待ちおでん屋台 2.
- 人待ちおでん屋台 3
- 人待ちおでん屋台 4.
- 人待ちおでん屋台 5.
- 人待ちおでん屋台 6.
- 人待ちおでん屋台7.