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    21、満月

 鐘撞堂の鐘が亥の刻(22時)を告げた。裏道に潜んでいた吉蔵は月夜の明かりを恨めしく思った。ほぼ満月である。


 山形屋は通りに10間の幅を面していた。左脇に木戸があり、そこから手代や店の者が出入りしていた。


 二百坪の土地は周囲に高さ1間半の塀がめぐらされ、蔵が2つ、それに隠居所と別棟があった。今は両方空き家である。


 吉蔵は頬かむりを結び直し、着物の裾を尻っぱしょりした。敷地の一番奥にある蔵の後ろの塀をよじ登ろうとした。


 無理だった。梯子でもなければどうにもならない。人目に付くが裏木戸に回った。ここも縄でもなければ登れない。


 月夜で明るいことも考えると今夜は諦めた。準備不足を後悔した。闇夜に出直そうと思い直し、どこかに消えた。

 

 今朝は、朝5つ半(9時)から品台の反物を見比べる客がいる。それにつられてかどうか、他の客も寄って来た。


 店脇の通用口から中を見渡す女がいた。治助が気付いて出て行った。


「およね、どうした?何か用か?」


 年の頃、25,6の少しあか抜けした女である。


「お嬢様がお店をなさっていると聞いたものですから、女中に雇っていただけないかと思って……」


 半年前まで女中として働いていた。吉蔵に辞めさせられた。今は、城下の飲み屋に働いている。客の噂を聞いて来たようだ。


「まだ、開店休業のような状態だ。無理だと思うよ」


「給金なんかいらないんだ。お嬢様の役に立ちたいんだよ。何とか取り次いでおくれよ」


「だめだと思うがな、ちょっと待っててくれ」


 治助はおよねが15歳の時、奉公に来た時から知っている。吉蔵に辞めさせられて不憫に思っていた。


「女将さん、およねが来てます。女中に使っていただけないかと言っています」


「およねが来てるの?ここに連れていらっしゃい」


 にっこり笑って言う。およねが治助に連れられて入って来た。


「お嬢様、ご無沙汰致しております」


「元気そうね。安心したわよ。いつから来てくれます?」


「えっ、使っていただけるのですか?」


「もちろんよ。およねの使っていた部屋はそのままですよ」


「はい、ありがとうございます。今日から是非お願い致します。これから、荷物を取りに行って参ります」


 およねは涙を浮かべながら店を出て行った。治助も嬉しそうな顔をして頭を下げた。


「この値段の半額で良いのね」


「はい、そうでございます」


 吉松はにっこり笑顔で言う。


「じゃ、これいただくわ」


 客は金を渡した。


「良い品をお選びになりましたね。この色と柄はめったにありません。奥様に良くお似合いです。今、包んで参ります」


「あら、それ良いわね。同じようなものないかしら?」


 隣で見ていた客が聞く。


「はい、全て1点ものでございますのでございません。ただ、お色ですとございます。少々お待ちください」


 吉松は帳場に反物と代金を持って行った。


「ご購入されました。代金です」


「うちの風呂敷に包んであげて下さいね」


「風呂敷は差し上げてもよろしいのですか?」


「そうして上げて下さい。他のお客様にもね」


 おつるはにこりとして言う。


 3日前の夕7つ(16時)。松崎は深川の長屋に着いた。旅装を解き銭湯に行った。疲れが出たのか長湯になった。


 銭湯を出て長屋に戻り、衣服を改めると同じ深川の市松屋を訪れた。旦那の一松は驚いたが、おくびにも出さず、


「先生、お疲れ様でございました。色々ありがとうございました」


「いや、まだ片付いたわけではない」


「と申しますと…」


「賭博の取り立ては、旦那のおかげで調達できたがこれからが目が離せない」


「とんでもありません。僅かばかしのお祝いをさせていただきました。しかし、さすがおつるさんですね。三百三十両の大金を良く工面されました」


「うん、それはさすがだったな。娘と思っていたがなかなかやる。ただ、今後の心配はあるが…」


「博徒は何かと因縁をつけて来ますから、商いの支障をきたすかも知れないと言うことですね」


「それもあるが借金の張本人、吉蔵のことが気になる」


「あくどい男ですから、今後どうするやら。それもありまして、しばらく山形屋をお助け頂きたいとお手紙致しました」


「うん、すまぬ。野暮用があってそれを済まさねばならぬ。終わればすぐに川越に戻るつもりだ」


「ありがとうございます。先代様には大変なお世話になりまして、今があるのも先代様のおかげです」


「あっ、そうだ。吉松は残って修業がしたいと父に伝えてくれと言っていた」


「そうでしたか、お世話お掛け致しました」


「しかし、しっかりした男だ。ものになるぞ」


「先生に言われれば、太鼓判を押されたようなものです。ありがとうございます」


「では、今日はこれで失礼致す」


「先生、粗宴ですが今用意させております。月夜の花見と参りましょう」


「野暮用を済ませねばならない。ごめん!」


「わかりました。それがお済になりましたら、お立ちより下さい。ご相談がございます」


「心得た」


 松崎は外へ出た。満月が松崎を明るく照らしていた。


                      つづく

 次回は11月5日朝10時に掲載します