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    20、焼き団子

 「嬉しそうだな。何かあったか?」


 竹蔵はお雪の鼻歌まじりの仕事ぶりを見て、自分も嬉しそうに言う。お雪には苦労させた。負い目がある。


「ううん、何でもないの。ねぎはこのくらいで良いかしら」


「それだけあれば十分だ。暖簾を出して客が来るまで休んで良いよ」


 牛の刻(12時)にはまだ4半刻程ある。竹蔵は蕎麦を切り終え腰を伸ばすと、片手で叩き始めた。


 お雪が何度も私がやりますと言うのを、蕎麦切りまではどうしても自分でやらなければ気が済まないと断った。


 暖簾を出した途端、休む間もなく二人の客が入って来た。


「かけ蕎麦の大盛りにめしをくれ!」


「俺も同じだ」


 近くで普請をしている大工だ。蕎麦屋に半月ほど通っている。今日はいつもより来るのが早い。


「おい、さっき兄貴が言ってたな。甚兵衛さん棟梁になるんだってな」


「大変らしいぜ、嫁さんも貰うらしいよ」


「へーっ、あの遊び人がか」


「だからよ。あっちこっちで揉めるるらしいぜ」


「しゃあないな。年貢の納め時ってやつだな」


「親父の跡次いで棟梁になるのは羨ましいが、突然のことで色々具合が悪そうだな。可哀そうにな」


「ばか!可哀そうなことあるか。嫁さん貰えるんだぜ」


「そうだな、俺たちにゃ嫁貰いは一生の夢だな」


(当時、江戸の人口は男性が7割だった)


 大工の声は大きい。板場に筒抜けだ。竹蔵はお雪に目で合図した。娘を嫁にやらなくて良かった。


大盛り蕎麦とめしは重い。お雪は一人分ずつ運んだ。


「おっ、来た来た」


 さっと手を伸ばし、箸を持ちながらどんぶりを両手で抱えると、


「それがな棟梁仲間の娘だとよ」


言い終わるといきなりずるずると音を立てて食べ始めた。もう一人も気にもせず同じくずるずると食べ始めた。


 店は立て混んで来た。客は職人が多い。さっと来てさっと帰る。最初の客はとっくに帰った。


 混むのはほんの半刻(1時間)だけで、もう誰もいなくなった。竹蔵は傍のたたきに腰を下ろし、一服を始めた。


「お雪、さっきの大工の話、先生にはするんじゃないぞ。確かな話かわからないからな」


「はい、わかりました」


 竹蔵は辺見の来る理由が無くなると困ると思った。お雪の様子も理由である。竹蔵はわかっていた。


「今日は先生の引越しだったな。終わったのか?」


「はい、お手伝いして来ました。荷物が少ないのですぐ終わりました」


「そうか、昼でも食いに来れば良いのにな。そうだ!そうすれば良い。ちょっと呼びに行ってくれ」


「はい!行って来ます」


 辺見はさっき食事をしたばかりだ、それは竹蔵には言えない。それよりも、さっきまで一緒に居たのにもう会いたい。


 お雪はいそいそと嬉しそうに出て行った。竹蔵は後ろ姿を横目で見た。わかっている。


 引き戸を軽く叩き、


「先生、先生、先生」


 返事が無い。わくわくしながらそっと開けてみる。


 (この時代鍵などしていない)


 誰もいない。辺見は出かけた後だった。お雪はがっかりして、力が抜けたようになった。何も言ってくれなかったことが寂しかった。


 辺見は引っ越し先を知らせに近い順から訪問した。煙草屋を回り護り屋を訪問した。


 帰り道、団子屋の焼ける醤油の匂いに魅かれるように立ち寄った。生まれて初めて土産を買った。


 お雪への土産である。いつでもお雪のにっこり笑った顔が浮かぶ。思えばせつなくなる。


 長屋が近くなるにつれて胸がどきどきして来た。どうしたのだろうこの気持ちは。お雪の長屋の前に来た。


「お雪さん」


 周りをはばかるような小さな声で声を掛けた。それでもお雪は気付いた。


「はい!」


 辺見の声だ。落ち込んでいたお雪の心はぱっと明るくなった。すぐ立ち上がり引き戸を開けた。


「焼きたての団子だよ」


 にっこり笑った辺見が竹の皮包みを差し出した。焼き醤油の良い匂いがする。


「どこに行っていたのですか」


 お礼よりも先に咎めるように言う。


「引っ越しの知らせに行って来た」


「さっき呼びに行ったんですよ。親爺さんがお昼どうですかって」


「それは悪かった。しかし、お雪さんに食事ご馳走になったばかりじゃないか」


「あれは朝ごはんです。お昼は別です。良い匂いがしますね。お茶を入れますね。どうぞ入って下さい」


 辺見は入口のたたきに座った。


「先生、そんなところに座らないで上がって下さい」


「いや、ここで良い」


 お雪の気持ちはもう晴れていた。嬉しそうにかまどの火を焚きつけた。


 湯が沸くのが待ち遠しかった。帰ると言われたらどうしよう。辺見の前に座った。


「先生、住み心地はいかがですか?」


「はは、今日移り住んだばかりだ。でもお雪さんがそばに住んでて嬉しいな」


 それを聞いてお雪は、私もですと言えなかった。言えば辺見に恋をしているのがわかってしまう気がした。


「あっ、お湯が沸いたようです」


 立ち上がってかまどに向かった。辺見はお雪が何か言ってくれると思ったが何も言わないのでがっかりした。


 ひょっとして、私もですと言ってくれるかも知れないと期待していた。お茶が運ばれてきた。


                      つづき

次回は8月3日火曜日朝10時に掲載します