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   19、一石二鳥

 おつるは、にっこり微笑みながら、


「治助、店の中から反物を5本選んで来て下さい。和助、あなたもね。値段に関係なく選んで下さい」


「吉松、あなたは店前に出て、通る人に声をかけて下さい。二つの品台を見ていただくのです」


「はい!なんと言えば良いでしょうか?」


「吉松の思うとおりに、声をかけて下さい。ただし、半額ですと呼び掛けてはだめですよ」


 まだ明け6つ半(7時)を過ぎたばかり。店前を通るのは、職人か所用のある人と思われる。急ぎ足で通り過ぎる。


 吉松もそこは心得ていて、


「おはようございます。行ってらっしゃいませ」


 ほとんどの人が無言で通り過ぎる。でも中には挨拶を交わす人もいた。


「おはよう!頑張れよ」


 山形屋が潰れそうだと言う噂が蔓延しているせいだ。しかし、吉松は嬉しかった。


「はい、ありがとうございます」


 一段と大きい声で言葉を返した。その後に続いた職人風の男が立ち止まった。品台を指さし、


「何だ?これ?店たたむのか?」


「いえ、とんでもありません。在庫の整理です。お気に召したお品があれば、お買徳です!」


「そうか、かかあに買ってやるか。帰りに寄るぞ」


 職人風の男は立ち止まった時間を取り戻すかのように、足早に立ち去った。


 この日から吉松は、毎朝6つ半から5つ(8時)まで店前に立ち、通り行く人に大声で挨拶をした。


 3日もすると、通り行く人からも挨拶が返って来た。挨拶は、してもされても気持ちが良いものだ。


 吉松は嬉しくなった。この日の職人は帰りに寄った。夕7つ半(17時)閉店近くであった。品台の前に客は誰もいない。


 吉松は嬉しくなって、すぐそばに寄り、


「いらっしゃいませ。お待ち致しておりました」


「おお!あんちゃんか、ちょっと見て行くぞ」


 と職人はまず、反物の正札を見た。10両から1両まで色々並んでいる。1両の反物を2本選び出した。


 明るい若草色と渋いねずみ色の無地だった。


「どっちが良い?」


「奥様はおいくつでいらっしゃいますか?」


「奥様とは笑わすない。かかあは24になる」


「では、若草色がよろしいかと思います」


「そうか、俺もそう思っていた。これをくれ。半額で良いんだろう」


「はい、半額でございます」


 職人は1分銀を2枚出した。吉松には初めての販売だった。


「ありがとうございます。今、お包み致します」


 そばにいた和助にお金と反物を手渡した。和助は帳場にお金を収めると山形屋の名入りの風呂敷に包んで吉松に渡した。


「ありがとうございました。これからもご贔屓によろしくお願い致します」


 職人は嬉しそうに帰って行った。


「吉松、おめでとう!売るのはなかなか難しいのだが、良く売ったね」


 治助もそばに来て吉松の肩を叩いた。


「もう、手代と同じだな。大したもんだ!」


 吉松は嬉しそうな顔をして照れていた。朝、通る人に挨拶をしただけなのに反物が売れた。商いは簡単だと思った。


「女将さん、吉松に法被(はっぴ)を着さしてはどうでしょうか?」


 治助が言うと、和助もうなずいた。


「そうですね。吉松は丁稚の修業を3年していますから、今日から手代見習いとしましょう。吉松良いですね」


「えっ、はい、ありがとうございます」


 思いがけないことに、吉松は顔を紅潮させて喜んだ。


 法被は手代になれば着用することになっている。山形屋の屋号付きである。(祭りなどでも着用する羽織のこと)


 この日、反物は3本売れた。内1本が吉松である。昨日ほどではないが、見物客は増えた。


 手代二人は少しがっかりしたようだが、おつるは手ごたえを感じていた。それは、客が中まで入って来たからである。


 手代二人に選ばせた10本の反物を、土間続き畳敷の売り場に、5尺程ほどいて衣紋掛けにかけて並べたからである。


 さすがに人目を引いた。重厚でありながら格調高く、ぱっと明るい光を放っていた。

店前に立たせるのは吉松のみにした。まだ18歳である。誰が見ても若さがわかる。客は見物のみでも気楽に居られた。


 二人の手代には畳敷の売り場の奥に控えさせた。常連客が訪れた時だけ、席を立って挨拶をさせた。


 いつも通り畳敷へ上がって貰い、客の要望を聞いた。その際おつるが、にっこり笑顔で必ずお茶を出した。


 山形屋の思い切った値段の噂は、町中に広がった。倒産前のあがきだと言う悪口も付いて回った。


 昼4つから8つ半(10時から15時)まで客が切れることはなかった。しかし、見物客が殆どだった。


 それでも、品台の反物は日に3、4本は売れた。全て現金である。売掛が9割のこれまでとは大きく変わった。


 半額の商品である。誰もが現金払いと承知していた。取り置きも認めた。但しその場合、内金として2割預かった。


 この時代、江戸や川越では正札販売が当たり前で、割引販売等売る側も買う側も考えはなかった。上方は別であった。


 それだけに、同業からひんしゅくを買った。中にはおつるに、止めるようにと意見しに来る旦那もいた。


 おつるは在庫整理ですとはっきり言った。どこの店も売れ残りが無いように仕入れに気を配った。


 それでも売れ残りは必ず出た。無理に売らずに在庫とした。それが店の信用に繋がった。


 ところが、客をおだてて売りつける店があった。客は言葉に惑わされ着用するが、家人が良い顔をしなかった。


 客は次第に着用しなくなる。この時、この店を信用しなくなる。当然、次回は店を変える。


 在庫と残した店は、古い店程売れ残り在庫が多くなる。山形屋もそうであった。


 おつるは、顧客には不評でも一般の客には喜ぶ人もいるはずだと狙いをつけた。


 山形屋は老舗呉服屋である。それなりに在庫は多い。まして、吉蔵の安易な仕入れは売れ残り在庫を増やした。


 おつるの半額販売は、在庫整理と新しい顧客獲得の一石二鳥を考えたものだった。


 その時、店先でガラガラドスンと大きな音がした。おつるは立ち上がって見た。品台がひっくり返されていた。


                        つづく

 次回は10月22日火曜日朝10時に掲載します