Shopping Cart
Your Cart is Empty
Quantity:
Subtotal
Taxes
Shipping
Total
There was an error with PayPalClick here to try again
CelebrateThank you for your business!You should be receiving an order confirmation from Paypal shortly.Exit Shopping Cart

     18、まさかの事

 客は店先の品台に寄るだけで、中へ入って来なかった。それでも昨日までの来客無しとは、大きな違いである。


 店先に出した品台は、人の行き来の邪魔になってはいけない。そのぎりぎりまで出した。


 品台を店の土間の中まで下げることを考えたが、それでは客は寄りにくいと思われる。


 そこで、今日は土間にもう一台出すことにした。


 その品台の上には大きな張り紙の立て札をした。そこには松崎の品格ある太文字で、


〝正札の半額です。お仕立て代は無料です〟


 と書かれてあった。二人の手代は驚いた。儲けどころか赤字になる。治助が女将に遠慮しながら言った。


「これでは商いになりません。せめてお仕立て代はいただかなければ…」


「良いんですよ。今はお客様に来ていただくことが肝心です。商いはそれからです」


 二人はなるほどと納得した。それを見計らうように松崎が声をかけた。


「おつるさん、ちょっと話があるんだが…」


 松崎は女将さんとは呼ばない。


「はい、では私の部屋へお出で下さい」


 松崎の様子で、店中では話せないことであると察した。


 おつるに続いて松崎も部屋に入った。


「松崎様、色々ご迷惑をおかけして申し訳ありません」


 部屋に入ると即座に着座し両手を付いてお詫びをした。おつるの心に冷たい風が吹いた気がした。


「ま、いつもの所に座ってくれ、話がしづらい」


 おつるは、まさかと思いながらいつもの席に着座すると、


「明日、江戸へ帰る。市松の旦那からは、暫くよろしく頼むと言う手紙をもらったが野暮用があって帰らねばならない」


「それが終わったら戻っていただけませんか?」


「丸源のことは心配しなくて良い。一昨日、話をつけて来た。これからも心配することはない」


「そうでございましたか、道理で代貸の態度が違ったのですね。私は裏があるのではと不気味に思っていました」


 おつるは座り直して両手を付いた。


「知らぬこととは言え、失礼いたしました。本当にありがとうございました」


「いやいや、大したことではない。それより、実はお願いがあってな」


「はい、何でございますか?」


「うん、吉松のことだ。ここで雇ってもらえないか?」


「市松の旦那様が何とおっしゃるか…」


「いや、それは私から話す。吉松はここで修業がしたいと言う。よろしく頼む」


「どうして、自分で言えないのですか?」


「それは断られるとわかっているからだ」


「確かに、今人を雇える状態ではありません」


「それもわかっている。吉松は丁稚を望んでいる。だから賃金も無しで良い。どうしてもここで修業がしたいそうだ」


「わかりました。お預かりいたします」


「そうか、すまん。よろしく頼む」


 それだけ言うと松崎は立ち上がろうとする、


「ちょっとお待ち下さい」


 おつるは、急いで手文庫から25両包みを半紙に包み差し出した。


「大変お世話になりました。心ばかりでございます」


「何の真似だ。手当は市松屋に貰ってある。無用だ」


「いいえ、ここは山形屋でございます」


 おつるは座り直し両手を付いて、松崎へ顔を向けた。


「松崎様のお助けが無ければ潰れておりました。お収めいただけなければ、先代や父に顔向けが出来ません」


 おつるは強い顔になっていた。目には涙を潤ませていた。


「ははは、悪かった。しかしこれは多過ぎるぞ」


「いいえ、少な過ぎます。いずれ改めてお礼させていただきます」


 翌朝明け6つ(6時)、おつると吉松に送られて松崎は江戸へ帰って行った。


 おつるは心にぽっかり穴が開いたような気がした。部屋に戻ると急に不安が広がって来た。


 昨日までは、明日の夢を思い希望に満ちていた。色々なことが思い浮かび、店の再建に燃えていた。


 今、心が萎えていた。松崎様がいなくなっただけで、こんなにも寂しい気持ちになるとは思ってもみなかった。


 ただ座っているだけのおつるだった。何もする気がなくなった。ぼーっと、庭に枯葉が舞うのを眺めていた。


「女将さん、全て終わりました」


 吉松は山形屋での丁稚の仕事は慣れていた。店前を掃き清め水を打ち、店中の床を拭いた。約半刻(1時間)かかった。


「あとは、兄さん達が来るのを待つだけです」


「ご苦労様、今、お茶を入れるわね」


「いえ、とんでもありません。ご報告に来ただけです。お店で兄さん達をお待ちします」


 そう言って店に戻ろうとして振り返った。


「あのう、私から、又務めさせていただくことになりましたと言えば良いでしょうか?」


「二人には私が言います。お店に行きましょう」


 おつるはやっと頭が働きだした。吉松はそれでわざわざ『終わりました』と報告に来たのだとわかった。


 おつるは帳場に座った。吉松は店前に立って、通る人に挨拶をしている。


 二人はほぼ一緒ぐらいに来た。店前を見て、


「おっ、もう、開店している」


 と驚いて裏口へ回った。


「女将さん、遅くなってすみません」


 二人は口々に言う。


「いいえ、遅くはありませんよ。少しお話があります。ここに来て下さい」


「吉松に、丁稚として又働いてもらいます。よろしくお願いしますね」


「それは良いですね!良かったね」


 治助と和助は、吉松の手を交互に握りながら喜んだ。吉蔵の勝手な理由で辞めさせられたことを知っていたからだ。


 その様子を見たおつるは、反省した。山形屋を立て直すのだ。落ち込んではいられないと気持ちを改にした。               


                       つづく

次回は10月15日火曜日朝10時に掲載します