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          13、三日月

 二人が店を出たのは亥の刻(10時)に近かった。お雪は辺見の2歩ほど後を歩いていた。


「お雪さん、このまま真っすぐで良いのか?」


「はい、その先を右へ曲がります」


「横に並びなさい。道がわからない」


 お雪は言われて嬉しかった。恥ずかしかったが思い切って左横に並んだ。左側は家並みである。


 夜空に三日月がくっきりと出ている。互いの顔が良く見える。お雪は胸がどきどきしている。曲がることを忘れた。


「ここを曲がるんだね」


 辺見は身体を右へひねって曲がろうとした。うっかりお雪にぶつかってしまった。お雪は曲がらなかったからだ。


 咄嗟にお雪の両肩を両手で支えた。すぐに離した。


「御免!」


「すみません。ここ曲がります」


 二人は立ち止まったがすぐに歩き始めた。お雪は思いがけなかった。その支えてくれた手が嬉しかった。


 それだけで身体が甘くなった。そのまま無言で歩き続けた。長屋はもうすぐである。


 お雪はもっと遠くであれば良いと思う。後1町(100m)程で着く。


「あの長屋です」


「折角だから、家の前まで送ろう」


「ありがとうございます」


 長屋の引き戸の前まで来ると、


「ここです。ありがとうございました」


「うん、ではお休み」


 辺見は一言言うと帰って行った。お雪は引き戸を閉めるとそこに立ち尽くした。


 昼間だったら良かったのに、お茶でもどうぞとか何とでも引き留められたのに。こんな夜更けだもの。


 昼間でも言えるはずはないのに、そう思ってみた。このせつない気持ちはどうすれば癒えるのだろう。


 翌朝、引き戸を遠慮気味に叩きながら、


「辺見様、辺見様」


 名を呼ぶ声に目を覚ました。出てみると護り屋の小者だった。


「先生がすぐにお出で頂きたいとのことです」


「神代殿か?」


「はい、いつものお支度をと申し使っております」


「わかった。少し待て」


 辺見は心得ていて理由は聞かない。急ぎ支度をすると小者を同道し護り屋へ向かった。頃は辰の刻(8時)である。


 四半時(30分)を得ずして護り屋へ着いた。


「辺見殿、朝早くに申し訳ない。急な護衛をお願いしたい。上がって下され」


 神代の物言いに断れない決意を感じた。座敷に入ると、


「急なことで申し訳ない。札差の奥方の護衛をお願いしたい。謝礼は2両お出しする。これは前金の1両」


「心得た。で、場所と刻限は?」


「蔵前の札差山倉屋です。刻限は巳の刻(10時)から申の刻(16時)まで、これから案内させます」


 蔵前の山倉屋へ着いたのは巳の刻を少し前であった。すぐに奥座敷へ通された。そこで待たされた。


 間もなく、奥方と思われる女が女中を伴って入って来た。


「護り屋さん、今日はよろしくお願いします」


 細面の顔に、小さく吊り上がったくっきりはっきりした目、受け口にとがった顎。ぞくっとする色気を感じる。


 香の匂いを残して、それだけ言うと立ち去った。辺見は仕事を忘れて見とれていた。


「護り屋さん、どうして付いていらっしゃらないのですか。奥様が外でお待ちですよ」


 女中が駆け戻って来て言う。


 付いて行くと、山倉屋の店先に駕籠が止まっている。女中が駕籠の中に向って、


「護り屋さんお連れしました」


 返事をしたのであろう。辺見には聞こえなかつたが、駕籠は動き出した。その後に女中の駕籠が続く。辺見は徒歩で続いた。


 駕籠は揺らさぬよう気を付けて走った。四半刻もすると止まった。そこは山門(雷門)の近くであった。


 浅草寺を参るのであろう。山門をくぐり仲見世に入った。人々々でごった返している。


 女中を先導に奥方が続く。その後に辺見が続く。前後はもちろん左右も人で埋まっている。


 辺見は脇差を落とし差しにして、奥方の後ろを歩く。前方左右目が離せない。


 時々、後ろから押されて奥方の背に当たりそうになる。ぐっと踏み留まり、間の空間を保つ。かぐわしい香の匂いが鼻を掠める。


 参拝が終わると仲見世近くの鰻屋に入る。さばけた奥方で、護り屋さんもどうぞと席を別に用意してくれた。


 その時のにっこり笑った顔が、何とも優しそうだった。久しぶりの鰻である。舌がとろけるようで酒があればと思ったがそれは無理。


 食後は仲見世に戻り、甘味処に入った。流石に辺見は遠慮した。しかし、目が離せないので入口近くで茶を飲んだ。


 気が付けば、2刻(4時間)近い時間が過ぎていた。店を出て山門近くに来ると奥方は振り向いた。


「護り屋さん、名は何と言いますか?」


「辺見晋一郎と申します」


「良いお名前ですね。では辺見様、駕籠を呼んで来て下さい」


 また、にっこり笑って言う。辺見もつられて頬を緩めたが黙って頷き、駕籠を探しに行った。


 山倉屋に着いたのは昼8つ半近かった。奥方は店に着くと、


「今日はありがとう。またお願いね」


 にっこり笑って奥へ入って行った。辺見は思った。こんな仕事なら毎日でも良いと。


 少し早いが、護り屋へ向かった。そこで山倉屋の意外な話を聞いた。


つづく

次回は6月16日火曜日朝10時に掲載します