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    12、恋心

「わかりました。先生にもご都合がおありでしょうから、それではお約束の2両でございます。ありがとうございました」


 前以て用意されていたのであろう。丁寧に半紙に包まれた金子を差し出した。


 わかりましたとあっさり言われると、辺見は当惑した。理由が欲しかったのである。金子を受け取らず無言でいると、


「先生、改めてお願いがございます。これから3か月の間、これまで通りお食事に来て頂けませんか?」


「どう言うことだ」


「人間の心とは揺らぎやすいもので、ふらりと来る気が致します。その時、先生がいらっしゃれば諦めるでしょう」


「ふむ、成程。そう言うものかも知れぬ。そこまで見極めないと、請け負った仕事を完遂したことにはならない。この金はそれまで預かってくれ」


「いいえ、これは新たなお願いです。3か月のご足労と致しまして2両お出しします。もちろん酒と食事は付き物です」


「わかった。ではこうしよう。その金は要らぬ。さらに、この頂いた2両は酒と食事代とさせて頂く」


「とんでもございません。それは謝礼でございます。いただけません。それに食事代としても1年分にもなります」


「ははは、1年分になるか。では1年厄介になろう」


「そんな、とんでも無い事を」


「それでは不足か?」


「いえ、ありがたいことです。しかし、謝礼のお金は収めて頂きます」


「そうか、ではこの話はなかったことにしてくれ」


 辺見は、わざと渋い顔をして言う。


「わかりました。お心遣いありがとうございます。ではそうさせて頂きます。但し、1年では無く店がある限りずっとそうさせて頂きます」


 お雪は、辺見の心遣いに胸を熱くした。それにもまして、明日からも毎日来てくれるのが何より嬉しかった。


 25歳にもなって初めて人を好きになった。会わないと落ち着かない。会うと傍に行くだけで胸がせつなくなる。


 しかし、相手は困ったことに侍である。しかもお雪に何の関心も持っていないようだ。辺見のことである。


 お雪は19歳の時、叔父源蔵の紹介で嫁に行った。3年一緒に暮らした。男嫌いはそこから始まった。


 始めから疑問の毎日であった。なぜこの人の為に食事を作ったり、掃除や洗濯をしたりしなければならないのだろう。


 夜になれば、それはもっと苦痛であった。毎晩のように身体を舐めまわす。胸から足の先まで。


 そして、夫は自身の汚い異物を私の身体の中に入れて来る。おぞましい。身震いがした。


 我慢出来なくて拒否すると、殴る蹴るの暴力である。営みの最中に首を絞められたこともあった。


 朝起きた時から寝る時まで、苦痛の毎日だった。喜びも楽しみも、希望も夢も何もなかった。


 そのことは恥ずかしくて、父に相談することは出来なかった。生きているのが嫌になった。何度も死のうと思った。


 そんな矢先、大工の夫は屋根から落ちて死んだ。酷いめに合わされた夫でも亡くなった時は、なぜか悲しかった。


 夫婦生活は3年続いた。苦痛と苦しみの生活だった。夫婦になれば愛情も沸くと言われたが、それは微塵もなかった。


 男は皆同じに思えた。父、竹蔵も母を苦労させ早死にさせた。男は皆自分勝手だ。女を道具のようにこき使うだけだ。


 世の中の女はなぜ夫婦になるのか不思議だった。友達でもいれば、それなりの話も聞けたと思うが全くいなかった。


 お雪は母が亡くなった9つの時から、父と二人だけの生活。やくざ者を親に持つ娘に、幼馴染すら出来なかった。


 夫の死後、竹蔵はお雪を蕎麦屋に呼び戻した。夫婦になる前と同じように、店の手伝いをさせることにした。。


 3年が過ぎた。美貌過ぎるお雪を嫁にと願う話は、引きも切らなかった。


 お雪の心は、凍った氷のように閉ざされたままだった。どんな話にも断り続けた。それは逆に世間の関心を呼んだ。


 ある日、叔父源蔵に紹介された男を見て驚いた。女のように色が白く、すっきりと単衣を着流した変わった男だった。


 店に来る客の殆どが大工等の職人で、日焼けと酒焼けで赤黒い顔をしていた。言葉も乱暴でそれが男と思っていた。


 この男はお雪の為に動いてくれると言う。男は侍だった。凛とした顔つき。武家の男は町人とは違うと思った。


 お雪に何の関心も見せない。請け負った仕事以外の話は全くしない。黙って酒を飲み、食事をすると帰って行った。


 日が経つにつれて、お雪はなぜか気になるようになっていた。ある日、男は突然来なかった。この夜眠れなかった。


 次の日朝から落ち着かなかった。店に出てもそわそわしていた。暮れ6つを過ぎて男は店に入って来た。辺見である。


 お雪は急に生き生きとして、生気を取り戻したようだった。いつの間にか、心に辺見が住み着いていたのだ。


 お雪は恋をしたことが無かった。これが人を好きになると言うことだ。お雪は恋をしていた。


「では、帰る。遅くまですまなかった」


 辺見は立ち上がつた。


「先生、私も帰ります。途中までご一緒させて下さい」


 お雪が言うと、


「遅くさせたのは、私の責任だ。送って行こう」


 辺見の返答に竹蔵が、


「先生、すみません。よろしくお願いします」


                        つづく

次回は6月9日火曜日に掲載します