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   11、解体新書

 「どうされました?」


 橘は棚に医書を並べていた手を止めて振り向いた。


「約束が違いますよ。部屋の改築はしないとのお約束でしたね。何ですかこの有様は!」


「何も変えてはいませんよ」


「壁に棚を打ち付けて、しかも部屋を二つに分けるとはとんでもないことです。約束が違います」


「棚ですか?これは打ち付けてはありません。いつでも取り外せます」


 市之進は壁から棚をずらして見せる。


「それからこの仕切りは、紐を吊るして幕を張っただけです。いつでも元に戻せます」


 大家は、血相を変えて飛んで来た自分が恥ずかしかった。確かめもせず、他人の言葉を鵜呑みにしてしまった。


「それはすみません。早とちりでした。通りがかりの人が、大きな音で壁を壊していると知らせてくれたものですから」


「ああ、それですか。先ほど壁際でこの大きな棚を作っていましたから壁と見間違えたのかも知れませんね」


「いや、申し訳ない、診療院が出来ると本当は喜んでいたのです。しかし、地主が町医者に反対していまして……」


 急にためらいがちに言う。


「地主の母が腹痛を起こし町医者を呼んだが少しも良くならず、翌日ご母堂様は苦しみながら亡くなったそうです」


「看板だけなら許すが、部屋に手を入れたら出て行って貰うと厳しく言われていたものだから。すみません」


「部屋の改造は致しません。安心して下さい」


 市之進はきっぱりと言った。大家は恐縮しながら帰って行った。


「さっきの件は、多分食あたりと誤診したのだと思う。腹痛は痛むところが重要だ。覚えておいてくれ」


 俊介は市之進の確信に満ちた言葉に、医術の怖さと深みに触れた。唖然として市之進に尊敬の眼差しを向けた。


 美乃がにっこり笑って、温め直した味噌汁を俊介の前に差し出した。


「お味噌汁をどうぞ」


「ありがとうございます。あの大家は礼儀を知らないですね。もう少し物の言いようがあります。無礼です」


 みそ汁を一口すすると、俊介は憮然としていた顔を、急にほころばして、


「うまい!美味しいです!」


 手が自然と4個目のおにぎりを取った。俊介は自分でも驚く程食が進んだ。


「お口に合って良かったです。兄上はいつも何も言ってくれません。ぜひ夕ご飯も是非食べて行って下さい」


「そうだ、そうしてくれ。夕飯は前祝いに一献やろう!」


 俊介は困った。おちかが夕飯の用意をしているはずだ。


「折角ですが前祝いは、明後日の夜にしませんか?」


「何か都合でも?」


「前祝いは、やはり前夜が良いと思います。それに酒を飲むと直ぐ眠くなります」


「良いではないか、ここで寝て行けば良い。泊まっていけ」


「いえ、実は医書を読むのが面白くてたまらないのです」


「医書が面白い?変わった奴だな。退屈で読んでる内に眠くなる。何が面白いのだ?」


「毒草や毒きのこが、煎じたり他の薬草と合わせると薬になるのです。誰が試したのでしょう?」


「長年のうちに、偶然発見したのだと思う。そんなことを考えたらきりがないよ。大事なことは病人を治すことだ」


「はい、わかっています。だから知りたいのです。先程も腹痛は痛むところで、病が違うと言ってました」


「そうだ。腹の痛む場所で病気がわかる。なぜかと私も思っていた。実は江戸に来て、なるほどと思った医書に出会った」


「そんな本があるのですか?」


「ある。恐ろしい本だ。人体を解体してその構造を書いてある。医術が根本から変わる」


「例えば人は、心の臓で喜怒哀楽を思い。物事を考えるとされてきた」


「ところが解体新書には、脳の項目があり、ここで物事を考えるとある。心の臓は血を送り出す役目だと言う」


「そんな馬鹿なことがありますか!昔から心で考えるのです。でも見たいですね。その本ありますか?」


「あるとも、ちょっと待ってくれ」


 市之進は立ち上がると、先程の書棚から持って来た。


「これだ、[解体新書]と言う。杉田玄白先生がお書きになった医書だ。世に出て5年近くになる。大変な評判だ」


                        つづく

 次回は12月11日朝10時に掲載します