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     10、逃げた吉蔵

 帰路の道は急いだわけではないが、早かった。山形屋店前に着いたのは5つ半(朝9時)少し前だった。


 店前に人だかりがして、ざわめいている。荷車が2台止めてある。雨戸が2枚壊されていた。


 中を見ると見慣れない男が5人いて、反物を大きめの行李に詰めている。


「何をしているんです!」


 おつるは大声を出した。男たちはいっせいにおつるを見た。


「おめぇ、だれだ!」


 右頬に3寸程の刀傷あと持つ男が、向き直って静かにどすの利いた声で言う。


「店の者です」


「引っ込んでな!店は潰れた!」


「どう言うことです。私は山形屋の娘です」


「なにっ!娘?死んだんじゃなかったのか?」


「亡くなったのは姉です。私は江戸へ行っておりました」


「なら、丁度良い。家の証文を渡してもらおうか。こんなもん貰っても面倒なだけだ」


 頬傷男は反物の入った行李を蹴飛ばす。


「どう言うことですか?」


「呑み込みの悪い女だな。借金のかたよ!ほれ、ここに百両の借用書が3枚ある。見ろ!」


「何の借金ですか?」


「吉蔵の借金よ。家を貰うつもりだったが、養子だから証文はどこにあるかわからないと言いやがる」


 おつるの後ろで腕組みする松崎の、無言の圧力に臆したか静かに言葉を続ける。


「じゃ、簀巻きにして沈んでもらうしかねえなと言うと、店の品物は優に千両分にはなりますと言う」


「吉蔵はどこにいますか?」


「あの野郎、小部屋にふん縛って入れといたんだが、畳を剥いで床下から逃げやがった」


「三百両は私がお支払い致します。少しお待ちいただけませんか?」


「今じゃねえのか、俺はガキの使いをやってんじゃねえぞ!」


「5日程お待ちいただけませんか?」


「なめんじゃねえ!3日だ。3日なら待ってやる。ただし利息として1割、合わせて三百三拾両だ。それなら待ってやる」


「わかりました。3日後にお支払い致します」


 頬傷男を先頭に5人の男たちは、からの荷車を引いて帰って行った。


「おつるさん、これを使ってくれ」


 松崎が、今朝の25両包みを差し出す。おつるは素直に受け取った。


「すみません。お借り致します」


「ところで後の金はどうする気だ」


「はい、市松の旦那様からの餞別を合わせますと五拾両になります。あと二百八拾両です。何とか工面致します」


「当てはあるのか?」


「売掛金を回収して来ます。お客様の6割はお武家様です。ですから冬切米に合わせて10月に代金を頂いております」


(冬切米…武士の給料として年3回2月5月10月に支給された)


「それでは早すぎるではないか」


「店を潰すわけにはいけません。お客様に相談して参りたいと思います。台帳を探してみます」


 帳場に行った。幸い、5人の輩は引き出しを全部を出して調べたようだが、売掛台帳はそのままだった。有り金を探していたのであろう。


 しかし、残念なことに過去3年分しかなかった。本年分は無かった。吉蔵が持ち出したに違いない。おつるは落胆した。その様子を見た松崎は、


「無いのか?台帳に写しは無いのか?」


 その言葉におつるは父のことを思い出した。父は吉蔵と手代の私を並べて、


「江戸も川越も火事の多いところだ。もし、火事になり台帳が焼失したらどうする。だから台帳は必ず二つ作りなさい」


 父は床の間に隠し戸を作り、その下に大きな壺を埋めた。壺は大中小を重ねて一つになっていた。上には石の蓋。


 真ん中の小の壺には3年分の台帳が入れられていた。そのことを思い出した。吉蔵の部屋は父の部屋だった。


 おつるは駆けるようにして吉蔵の部屋に向かった。


 部屋に入り、床の間の隠し戸を開けた。石の蓋を取ると3冊の台帳があった。見ると本年分も入っていた。


「ありました!」


「あったか」


 松崎は言葉少なだが、ほっとした顔をした。


「松崎様、恐れ入りますが半刻程留守をお願いできませんでしょうか?」


「それは良いが、どうする気だ」


「はい、これから手代二人を呼びに行きます。これから店を開けます。帳場にお座りいただいて下さればと思います」


「客が来たらどうする」


「お待ち頂いて下さい。直ぐ戻りますとお伝え下さい」


 おつるは言いながら、表戸を兼ねた雨戸を開け始めた。松崎の手伝う隙も無いほど速い動きである。


 帳場に戻ると二人の手代の住所を控えて、飛び出すように出て行った。


 松崎は、あまりにもの変わりように驚いた。ひ弱そうでおとなしそうなおつるが一変した。


 松崎は、この私がよりによって呉服屋の店番をするとはと苦笑した。おつるは断る隙を与えなかった。


 4半刻程しておつるは男と一緒に入って来た。年の頃27、8歳であろうか松崎に紹介した。


「こちらは松崎先生です。手代の治助です」


「治助です。先生よろしくお願い致します」


 先生?何の先生だ?松崎は自問自答したが、うんと頷いた。


「先生、もう一人の手代を呼びに行って来ます。よろしくお願いします」


 おつるまで先生と言う。松崎は何だかおかしくなってきた。いつの間にかおつるの言いなりになっている。


 程なくしておつるは若者を連れて来た。年の頃22、3歳であろうか松崎に紹介した。


「こちらは松崎先生です。手代の和助です」


「和助と言います。またお雇い下さいましてありがとうございます」


 うん?それは私に言うことか?何だか悪い予感がしてきた。


「先生どうかなさいましたか?」


 黙っていると、


「お昼はおそばを頼んであります。どうぞお召し上がり下さい。あっ、和助!風呂敷を10枚持ってきなさい。熨斗の付いたものをね」


 松崎は苦笑した。私の都合など一切聞かない。私の役目は送り届けることで終わったはずだ。言っておかねばと口を開こうとすると、


「先生、これから和助を連れて商家を回って来ます。夕方までには帰って参ります。どうぞよろしくお願いします」


 おつるは和助を従えて出て行った。松崎はあっけにとられ、黙って見送った。


                        つづく

 次回は8月20日火曜日朝10時に掲載します