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         護り屋異聞記 26.

 今日は朝から良い日だった。食事の後、向かい合って飲んだお茶は正直味がわからなかった。


 なぜか胸がどきどきしていた。一緒にどうぞと自分から言ったくせに、目の前の早苗を見ることが出来なかった。


 早苗も俯いてお茶を飲んでいた。谷崎の顔が眩しかった。いつまでも二人の一杯のお茶は無くならなかった。


 しばらくして、早苗が口を聞いた。


「お代わりいかがですか?」


 谷崎ははっと気が付いて、お茶を一気に飲み干し、


「いただきます」


 仰々しく両手で差し出した。そのしぐさが妙におかしかった。早苗は思わずくすっと笑った。


 張り詰めた空気が一気に緩んだ。谷崎も緊張が解けてほっとした。早苗もそうだった。微笑みながら立ち上がる。


 二杯目のお茶は谷崎だけ飲んだ。


「おいしいですね」


「良いお茶ですね」


「いや、淹れ方だと思う。いつも同じお茶を買っている。おいしいと思ったのは初めてです」


「いいえ、良いお茶は誰が淹れてもおいしいです」


 と言ってはっと思った。


「失礼を言ってしまいました」


 早苗は俯いてしまった。なんて可愛い人だろうと谷崎は思った。


「それでは、これで失礼いたします。明日またお伺い致します」


 早苗の帰った後は、狭い部屋ががらーんと広く感じた。まだ少し早いが道場へ出かけた。


 塾生の掃除が始まっていた。谷崎を見かけると直立不動になり挨拶をする。7.8人は来ているようだ。


 自室に入ると稽古着に着替えて、刀を差した。借り物の刀だが片手で鯉口を切り、抜いた。借り物とは言え遅い。


 今日夕方、鞘が出来てくる。明後日は護りの仕事だ。仕上がりは命に関わることだ。しかし、楽しみでもある。


 午後の塾生の指導終わり刀剣屋に行った。思った以上の出来栄えだった。


 独特の工夫により、何の苦も無くすらりと抜ける。しかも刀は逆さにしても抜けない。見事な職人技だ。


 喜び帰ると使いが来ていた。明日の護りをその夜の護りへに変更だった。鞘の改造で見事に護り人を果たした。


 伊原屋佐兵衛はお礼に備前の刀をくれた。銘の人物は知らないが名刀であった。今日は素晴らしい1日であった。


 良いことのあった翌日は良いことが重なると昔から言い伝えがある。朝目覚めるとなぜかわくわくしていた。


 まだ薄暗い。暁7つ(朝4時)を過ぎたばかりであろう。起き出して井戸端へ行った。


 まだ、誰もいない。素っ裸になり頭からで水を浴びた。昨日の汗を落として身を清めた。早苗と会える。


久しぶりに髪を洗った。洗った後は束ねもせず、手櫛で乾かすように何度も梳いた。


 梳き終えると顔を剃った。右手だけで剃ることに慣れてはいたが、時間は掛かる。剃り終わると髪はほぼ乾いていた。


 髷を結ってすきっとした顔で会いたいと、髪を結い始めた。残念なことに椿油を切らしていた。髷が纏まらない。


 髷にせず束ねて垂らし茶筅総髪にした。ところがうりざね顔の谷崎には髷よりも似合った。本人にはわからない。


 椿油を切らしていたことを悔やんだ。早苗が来るまではまだ刻がある。気を紛らすために漢書を読み始めた。


 読んでも頭に入らない。耳は外の足音が聞こえるのを、今か今かと待っていた。


 あっ、来た。谷崎は立ち上がらなかった。気持ちと反対に座ったままでいた。


「おはようございます」


 その声でゆっくり立ち上がり引き戸を開けた。早苗が盆を持ったまま息を止めた。


 洗い髪を後ろに束ね、剃り上げた青みがかった端正な顔。目を見張った。


「どうしました?取りましょう」


 盆を受け取り畳に座った。早苗は入口に立ったまま、ぼっとしていたがすぐに気を取り直して、


「どうぞ、召し上がって下さい。今、お茶を用意させていただきます」


 竈の前に進んだ。胸がどきどきして止まらない。鉄瓶を持って表に出た。


 谷崎は髪を洗ったのを後悔した。髷は結って無い。後ろで束ねただけ、変に思われたようだ。一瞬で気落ちした。


 早苗の気を引くために少しでも身綺麗にしたいと持ってしたことが仇になった。


 早苗はあまりの違いに驚いた。まるで役者絵から抜け出したようだった。


 早苗は谷崎の優しい人柄に魅かれ、人知れず心を寄せていた。あまりの美形に谷崎が遠くの人に見えて来た。


 鉄瓶に水を入れながら寂しくなってきた。竈に火をつけ鉄瓶を掛けた。寂しくなった心にも炎は温かく照らした。


 谷崎は食事は終えていた。早苗は気付かず、じっとそこに座っていた。鉄瓶が沸き始めた。その音を聞いて。


「ご馳走様、おいしかった」


 谷崎は竈の前の早苗に向かって言った。はっと気付いて、


「お粗末でした。今お茶をお持ちします」


 にっこり笑いながらおいしかったと言われ、心にぽっと灯が灯った。寂しい気持ちなどもうどこにもなかった。


 早苗は谷崎と二人だけでいられる時間が一日で一番楽しかった。谷崎の勧めで早苗もお茶を一緒に飲んだ。


 斜めに向かい合ってお茶を飲むが、それだけで嬉しかった。話などしない。黙ってお茶を飲むだけだ。


 早苗はこのひとときの為に、生きているような気持になった。谷崎はゆっくりゆっくりとお茶を飲んだ。


 飲みながらいつも同じ事を考えていた。何か話さなくてはと考える。だが結局は何も話せなかった。


「谷崎様、父が一緒に酒が飲みたいと申しております。今夜にでもいかがでしょうか?」


「おぉ!それは嬉しいことです。身共の方こそ、そう思っておりました。是非よろしくお願いします」


「それでは今夜お出で頂けませんか、お待ち致しております」


「伺います。お父上に宜しくお伝え下さい」


 早苗はまさか応じて貰えるとは思っていなかった。谷崎は身を乗り出すようにして答えた。


                     つづく

続き27回は5月11日火曜日朝10時に掲載します