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         護り屋異聞記 25.

 一昨日の朝のことである。夜が明けるのが恨めしかった。半刻も前から入口が明るくなるのを見ていた。


 気持ちがそわそわしていた。やっと白み始めた。そっと起き出した。井戸端で顔を洗い戻ってくると、


「おはよう!体調が良いようだから、半刻程川端を歩いて来る。すまぬがわしの朝食は一刻後にしてくれ」


 新蔵は早苗と入れ替えに出て行った。ぐっすり寝ていると思っていたのに信じられない気持ちだった。


 でもおかげで時間に余裕が出来た。今までは父と私の朝食の支度と谷崎様の朝食と同時進行だった。


 竈に火を起こしご飯を炊き始めた。もう一つの竈で鉄瓶を沸かし始めた。その間に手鏡を前に座った。


 朝からこんなに念入りに身だしなみを整えたのは初めてである。化粧は薄化粧。何度も鏡を見直した。


 鉄瓶のお湯が沸いた。水と煮干しを入れた小鍋と掛替えた。豆腐の味噌汁にするつもりだ。6つ半迄半刻しかない。


 小鍋は直ぐに湧いたこれは下準備だ。降ろして鯵の開きを焼き始めた。食事中谷崎の傍にいたい。何をすれば良い?


 父は食事の間ぐらい傍にいてお手伝いをしなさいと言ってくれた。嬉しかった。でも、何のお手伝いをすれば良いのだろう。


 傍に居たいの。でもどうして良いかわからない。傍に黙って座っている?変だわ。何か良い方法はないかしら。


 どうしても思いつかなかった。この日は、盆に鯵の開き菜っ葉のお浸しと大根のぬか漬け。めしと豆腐の味噌汁。


「おはようございます」


 早苗の声に引き戸がさっと開いて谷崎がにっこり笑って立っていた。


「おはよう、取りましょう」


 今日は間違えて手を触れることは無かった。早苗は触れて欲しかった。指が寂しくて呆然としていた。それでも、


「お茶の用意を致しますね。どうぞ召し上がって下さい」


 返事も聞かずに竈に行き火を点けた。鉄瓶を下げて井戸端へ行った。誰もいなかった。何だかほっとした。


 長屋中忙しい時間だ。飯を食う者、仕事に出かける者、子供をあやす者それぞれに忙しかった。


 部屋に戻ると、鉄瓶を掛けた。沸くまでに時間がかかる。かまどの前にしゃがんで待っていた。


「早苗さんそんなとこにいないでこっちに座って下さい。お手数を掛けますね。すみません」


 谷崎はめしを食うのが早い。もう食べ終わってしまった。


「ごちそうさまでした。朝からうまいめしを食べられるなんて夢のようです。本当にありがとう」


「いいえ粗末なお食事ですのに、そんなにおっしゃっていただきますと恥ずかしいです」


 嬉しいやら恥ずかしいやらで俯いてしまった。その時、湯の沸く音がし始めた。助けられたように振り返り立ち上がった。


「お湯が湧きました。今、お茶をお入れ致します」


急須にお湯を注ぎながら、はっと思った。お茶を出すには、お湯が湧くまで待つしかない。


 傍にいられる方法はないかと色々考えたが、どうしても思いつかなかった。それが偶然に見つかった。


 ゆっくりとお茶を入れた。茶の葉が殆ど残っていなかった。急須の葉を一度くぐらせてからもう一度入れ直した。


「おいしいお茶だ。お茶まで持参されましたか、申し訳ない」


「いえ、ここにございましたお茶です」


「うーん、同じお茶とは思えない。こんなに変わるとは…。こんなおいしいお茶が毎日飲めたら幸せだな」


「もちろんです。そうさせていただきます。これからは毎朝お茶も出させていただきます」


 早苗は嬉しくなった。谷崎からの要望で、毎朝お茶を入れることになった。


 翌朝、早苗が井戸端から帰って来ると、父が待っていたかのように立ち上がって、


「川端を歩いて来る。何だか身体の調子が良い。昨日歩いたせいだと思う」


「大丈夫ですか?無理をしないで下さいね。お食事はお帰りになってからで良いですか?」


「良いよ。歩いた後は飯もうまい。これからは毎朝そうしてくれ」


 父を送り出すと早苗は谷崎の朝食の支度に取り掛かった。急いでいる様子はなかったが手際が良い。


 盆には切り干し大根の小鉢、大根と人参のぬか漬け。そこへ温め直した鯖の味噌煮を乗せた。


 続いて熱々のご飯を丼に、その横に熱々の味噌汁を並べ置き、両手で持ち上げるとゆっくりと谷崎の部屋に向かった。


 昨日より少し早かったが、谷崎は早苗のおはようございますの声を聞いて、待っていたかのように戸を開けた。


「おはようございます。身共が持とう」


「はい、ありがとうございます」


 今朝は手の合わさることは無かった。早苗は少しがっかりした。


「お味噌汁の熱いうちにお召し上がり下さい」


 味噌汁の良い匂いが漂った。


「良い匂いだ。早速いただきます」


「どうぞ召し上がって下さい。今お茶の支度を致します」


 言いながら早苗は当たり前のように竈の前に座った。自然に振舞ったが心はどきどきしていた。


「すみませんね。お茶はそこに買って置きました」


 真新しい青々とした竹筒が置いてあった。蓋を開けると上まで入っていた。早苗は袂に入れて来たお茶をどうしょうと思った。


 お茶が無いと淹れられないので昨日買って来たのである。盆で手が塞がるので半紙に包んで袂に入れて来た。


 これは、出さない方が良いと思った。竈はすぐ火がつけられるように焚きつけが用意されていた。


 谷崎はお湯を沸かして置こうと思った。しかし、それではお茶がすぐに淹れられる。そして、すぐ帰ってしまう。


 少しでも長く居て欲しかった。昨日のひんやりとした手の感触を思い出す度に胸が熱くなる。


 お茶は食後のはず。谷崎は意識してゆっくり食事をした。湯の沸く音がする。合わせるように食事を終えた。


「ご馳走様。朝からこんなおいしい食事をすると、今日一日良いことがありそうな気がします」


「どうぞ」


 お茶が目の前に出された。


「身共だけですか?一緒に飲んでいただけませんか?」


「いえ、私は…」


「買ったばかりのお茶ですから、良いお茶かどうか試していただけませんか?」


 早苗は傍にいたい。そう言われるのを待っていた。


「はい、ありがとうございます。ではご馳走になります」


 二人は向かい合ってお茶を飲み始めた。互いに顔を斜めに向けている。真正面を向けられない。


 互いの気持ちはわからないが、二人にはそれだけで幸せだった。


                      つづく

次回は5月4日火曜日朝10時に掲載します