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      護り屋異聞記 16.

 谷崎は目を開けると男を見据えるようにして、


「人を殺める仕事を良く請け負ったな」


「とんでもありません。脅すだけだと言われました」


「脅すだけ?どう言うことだ」


「はい、喉元に白刃を付けて『組を乱すな。命を大事にしろ』と言うだけで良いと言われました」


「但し、用心棒がついているかもしれない。峰打ちにして殺さぬようにと言われました」


「随分、腕を買われたものだな」


「お恥ずかしい次第です。距離を計っていたつもりでした。まさかに刀を取り落とすとは今でも信じられません」


「いくらで請け負った?」


「はい、2両です」


「ほう、脅すだけとは言え2両とは少ないな」


「いえ、妻の薬が買えます。天にも昇る気持ちでした。もっとも、後金はもらえませんでした・・・」


「それはすまないことをした。前金後金合わせて2両と言うことだな」


「とんでもありません。命をお助けいただきましてありがとうございました。私にもしものことがあれば妻も生きてはいません」


 谷崎は懐から懐中袋を出すと、中から3両を取り出した。


「これを、使ってくれ」


辺見に借用した10両と手当2両の残りである。家賃は追い出された4家族の分が無いので8両で納まった。


 そこから3両出した。手元に2分の金と小銭が残った。


当座の生活費はなんとかなるだろう。


「どう言うことですか?見ず知らずの私に・・・」


 目の前の大金に驚き、谷崎を見た。


「案ずることはない。お貸しするだけだ。都合がついた時に返してくれれば良い」


「本当にお借りしても良いんですか?」


「もちろんだとも、仕事の邪魔をしたのだから当然だよ」


「邪魔だなんて何と言うお心遣い(絶句)・・・。ありがとうございます」


 男はいつまでも頭を下げたままでいたが顔を上げて、


「身共は井坂進之助と申します。木場の貧乏長屋に住んでおります。木場で貧乏長屋と言えばすぐわかります」


「何と、貧乏長屋!」


「可笑しいでしょう。この呼び方、木場では知らない人はいないくらいです。今、証文をお書きします」


「証文はいらぬ。妻女殿の病が早く治ると良いな。返済は病が治ってからで良い」


「いいえ、出来るだけ早くお返しいたします」


「当てがあるのか?」


「はい、貴方様のお心を聞いて恥ずかしくなりました。明日、脇差を処分致します」


「そんなことする必要はない。なかなかの腕前と見た。いつ仕官の口があるやも知れぬ」


「いいえ、いつまでも拘っていた私は未練がましゅうございました。妻の命が大事でした。何と言う愚か者か」


「そうか、それはそれで良い。私の分は妻女殿が治ってからで良い。ところで貧乏長屋はどこに住んでいる?」


「貧乏長屋はご存じでいらっしゃいますか?」


「うん、少しな」


「2棟並んでおります。ご存じですか?その西側棟の左奥が私共の部屋です」


 谷崎は東側棟に住んでいる。こんな偶然があるものかと思わずにこりと笑った。井坂はその笑いを怪訝に思った。


「どうか致しましたか?」


「これは失敬。世の中には偶然があるもんだ。いや、何でもない。そのどこに住んでいるかと聞いてみただけだ」


「住み始めて1年半になります。本所から食い詰めて引っ越して来ました。このお金はお言葉に甘えましてお借りいたします。先生のお名前をお聞かせいただきませんか?」


「先生ではない。谷崎と申す」


「失礼ですが、お返しするときはどちらへ伺えばよろしいでしょうか?」


「心配に及ばぬ。妻女殿が治ってからで良い。その時は本所の護り屋に顔を出してくれれば良い」


 と言いながら、護り屋に帰参して報告をするのを思い出した。初めての仕事にこの低落。さっと青ざめた。


「すまぬ、戻らねばならぬ。井坂殿はゆっくり飲んで行かれい。これは飲み代だ。また会おう」


 居酒屋を飛び出すように出ると、思いっきり駆けだした。ぜいぜいと息を吐きながら護り屋に着いた。


 執務部屋に行くと太吉が待っていた。太吉が落ち着いた声で、


「お帰りなさい。いかがでしたか?」


「はい、何者かに襲われましたが無事防ぐことが出来ました」


「そうですか、伊原屋さんを最後まで送り届けていませんね」


 あっと思った。伊原屋に送り届けたつもりだが、実際は入るのを見届けただけだ。伊原屋へ挨拶もしていない。


「申し訳ありません」


 それ以上の言葉を続けられなかった。何を言っても言い訳である。太吉は無表情であった。


「谷崎さん、札差旦那の護りは何が起きてもおかしくない護りです。実は万一のために後護りを付けています」


「後護りですか?」


「そうです。万一の時は助勢します。何事も無ければそのまま戻って来て報告をすることになっています」


「気付いていました。賊の一味かと。それで納得いきました。その男は10間(18m)以上の距離を保っていました」


「そう言うことです。以後は気を付けて下さい」


「わかりました。申し訳ありませんでした」


「谷崎さん、刀を抜かずに鞘ごとの対応とは驚きです。相手の技量を一瞬に見抜かれたわけですね。流石ですね」


 谷崎の鞘ごとの対応は、刀が抜けなかったからである。訓練したつもりが咄嗟に抜けなかった。恥ずかしく言葉が無かった。


「・・・・・」


「それでは、後金の3両です」


 太吉が畳を滑らすようにして出した。前金と合わせて5両である。谷崎は信じられない面持ちであった。


「良いんですか?完全な仕事ではありませんでしたのに」


「何か、わけがあったのでしょう。以後は気を付けて下さい」


 護り屋を出ると満月が明るく輝いていた。谷崎はふーっと息を吐いた。心にじわじわと喜びが湧いて来た。


                      つづく

次回は2月9日火曜日朝10時に掲載します