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       護り屋異聞記 14.

 谷崎は12両の金を懐に大家を訪ねた。


「お珍しい!谷崎様、旅にでも出てらっしゃいましたか?家賃はひと月置きに頂いていますよ。もっとも2か月分溜まっていますがね」


「その2か月分と、みんなの家賃2か月分を払って置きたい」


「えっ、全員のですか?」


「そうだ全員のだ」


「ありがとうございます。では計算させていただきます」


 大家は渋い顔のまま、そろばんをはじきはじめた。この男は笑うことがあるのかと谷崎は思った。


 部屋に帰ると隣の女房達が気付いて声を掛けて来た。


「先生!お帰んなさい。今、火鉢の火お持ちします」


「ありがとう。すまんな」


「もう少ししたら、お食事もお持ちします。今日は左隣のおつたさんが当番です。昨日みんなで話し合ったのです」


「それはありがたいことだが、しばらくは子供の字書きは教えられなくなった。それでも良いのか?」


「とんでもありません。家賃のこと等、先生にはどれだけお世話になったことか。そのくらい当たり前のことです」


 それから半刻程してから隣の女房が夕飯を運んで来た。大きな握り飯2つと里芋と人参の煮物と味噌汁。


 片腕には握り飯はありがたかった。食べながらふと思った。護り人の役目は大丈夫だろうか。


 気になり食べるのを途中にして、大刀を腰に差した。左に差した刀を、右手をどう動かしても鯉口が切れない。


 唖然とした。鯉口が切れなければ刀は抜けない。いざという時、刀が抜けなくては護り人は務まらない。


(鯉口とは簡単に刀が抜けないように、刀の付け根にはばきという金具がつけてある。これを鍔を利用して親指で押し外すことを鯉口を切ると言う)


左手の親指で鍔の上部を押すことによって鯉口が切れる。左手の役割の重要さを今さらながら知った。


 てこの原理が作用した。親指に少し力を入れるだけで、容易く切ることが出来た。しかし左片腕は途中から無い。


 谷崎は必死に試行錯誤した。右手の親指横面で鍔を押し出すことで鯉口が切れた。それは強力な力を必要とした。


 親指と同時に腰を少し落とすと、そんなに力を入れなくても鯉口は切れた。問題はこれからだった。


 鯉口の切れた刀を抜くには、手のひらを返しながら柄を握り抜く。時間がかかる。この動作は致命的だった。


 訓練するしかなかった。幸いなことに長屋は天井が無かった。通常、室内での抜刀は天井が邪魔して難しかった。


 護りの仕事はいつ来るかわからない。明日かもわからない。そう思うと飯どころではない。必死に訓練した。


 半刻も続けると、両隣の女房が一緒に訪ねて来た。二人でどの部屋かを確認したうえで来た。


「先生、何事かありましたか?」


「うん?どうかしたか」


「とっとっと言う音と同時に家が揺れるんです」


 長屋は安普請だ。力を込めて抜刀する。その度に家は揺れた。谷崎はすぐに気付いた。


「すまない、身体をほぐしていた。気を付ける。悪かったね」


「良いんですよ。わけがわかって安心しました。どうぞ存分におやり下さい」


 二人の女房は笑みを浮かべて帰って行った。谷崎は、はたと困った。


 これは外で訓練するしかないと思った。しかし、刀を抜いての訓練は長屋周辺はもちろん、近くに場所が無い。


 部屋の中で静かに訓練は出来ないものか。鯉口を切るため腹に力を入れ、"とん"と足を踏ん張り一気に抜刀した。


 その"とん"と言う音が両隣に響いた。しかも部屋を揺らした。この音を無くして訓練出来ないものかと考えた。


 思いついたのは、足に力を入れず下腹に力を集中させること。意外なことにむしろ楽に鯉口が切れた。


 夢中にそれだけを訓練した。気が付けば子の刻を(24時)過ぎていた。この夜から帰宅すると一心不乱に訓練した。


 翌朝、明け6つに道場の便所に行くと訓練生2人が掃除の最中だった。谷崎を見ると、


「おはようございます。勝手ですが、これから便所掃除は私共にさせて下さい」


「便所は私の仕事だ。それはならぬ」


「お願いでございます。私達にさせて下さい。先生が掃除をなさるので私達訓練生は先輩にいつも叱られております」


「そうか、それはすまなかった。私の我が儘だと伝えてくれ。実はな、剣の極意がここにあるのだ」


「便所にですか?」


「そうだ。それに気付くまで長い年月が掛かった」


「先生、それならなおのことです。未熟ながら私達に修業させて下さい。お願い致します」


 二人は必死な顔で、揃って何度も頭を下げる。谷崎は返事をしない。それでも二人は必死に食い下がる。


「先生、昨日から通いになされたと伺っております。これを期に、若輩の私達に修業の場を与えて下さい。お願い致します」


 二人はどうしても諦めない。谷崎も根負けした。


「よし、わかった。それではみんなにお任せする」


 この日は一旦長屋に帰り、朝5つ(8時)の朝稽古指導に出仕した。おかげで、この時間まで抜刀の訓練が出来た。


 護りの仕事は意外に早くやって来た。5日後暮6つ(18時)から札差の護りの命を受けた。


 この日は、直接その時間に札差を訪ねるようにと辺見の命であった。それまでは自宅待機するが良いと言われた。


 谷崎はいつ護りの仕事ががあっても良いようにと、寝食以外は必死に抜刀の訓練をした。


 長屋を夕7つ半に出た。札差伊原屋に着いたのは㈣半刻前だった。訪ねるとすぐに奥へ通された。 


                     つづく

続きは1月26日火曜日朝10時に掲載します