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       護り屋異聞記 13.

 この日から谷崎は長屋から通うことになった。長屋の人達をこのまま見過ごせない。その一心だった。


 一年前、谷崎は本所の棟割長屋から木場へ引っ越して来た。家賃を7か月滞納して、身一つで追い出された。


 木場も浪人者が多いと聞き、しかも家賃も安いと聞いた。色々訪ね歩き貧乏長屋の別名を持つここを選んだ。


 木場も前家賃の一か月は当たり前だった。どんなに苦しくても手放さなかった両刀から脇差を売った。


 三両にしかならなかったが当座はしのげるとほっとした。新たに布団と火鉢、鍋釜茶碗を買った。


 この日から、人の情けを知った。見ず知らずの浪人者に引っ越しで忙しいだろうとおにぎりを持って来てくれた。


 他の住人も寒いからねと、炭火を持参して火鉢の中に入れてくれた。赤々と燃えて目にも暖かった。


 そこに鍋ごと熱い味噌汁を持って来てくれた住人もいた。里芋の味噌汁。熱くてうまくて3杯お代わりした。


 次の日は、子供の遊び声で目が覚めた。顔洗いに井戸端へ行くと。女房達が洗濯をしていた。


「おはようございます」


 口々に挨拶をする。


「子供たちがうるさくてすんません」


「いや、にぎやかで良い。昨日は皆さんありがとう」


「長屋はお互いさまですだ。そうだ、洗濯物出して下さいな。ついでだから一緒に洗っちまうだ」


 5人の女房の中で一番年嵩の女房が言う。


「いや、それには及ばん。気遣いありがとう。ところで、ちょっと聞くがこの辺にめし屋はないか?」


 一番手前の若い女房が答えた。


「ありますよ。5町(550m)程歩いたところにありますだ。この先の突き当りを右へ曲がり真っ直ぐ行くと左側です」


「お、近いんだな。ありがとう」


 部屋に戻ると戸が開いている。5人の子供が中へ入って遊んでいる。谷崎は子供を避けながら入って行った。


「ちょっと入れてくれないか?」


「あっ、おいちゃん!ここに引っ越して来たのか?」


「そうだよ、よろしくな」


「ここ、おいらたちの遊び場だったんだ。つまんないな」


「そうか、それはすまなかったな」


「いいよ、そのかわり遊んでくれよ」


「よし、遊ぼう。何するか?」


「かくれんぼが良いな」


「ほほう!どこにかくれるんだ」


「外に出るんだよ」


「それは駄目だ。寒いのは苦手だ。家の中で遊ぼうじゃないか」


 その子はちぇっと舌打ちして大人びて言う。


「おいちゃん、だらしねえな。大人のくせに。でもいいや。そいじゃ、かるた取りしよう」


「あんちゃん、おいら字が読めないよ。みっちゃんもたけちゃんも読めないよ」


「あ、そうだったな!読めるのよっちゃんだけだ。じゃ、なにしょうか?」」


「お前たち、寺小屋などには行かないのか?」


「馬鹿だなおいちゃんは。行けるわけないだろう。銭がかかるんだよ」


「そうか、そうだな」


「ほんとに馬鹿だな。ここは貧乏長屋と言うんだよ。おいちゃん知ってるか?」


「それは知らなかった。よし、おいちゃんが字を教えてやろう」


「ほんとうか?おいら読めるけど、弟もみっちゃんもたけちゃんも読めないんだ。教えてやってくれよ」


「よし、上がれ。みんなここに座れ」


 谷崎は嬉しそうに言う。仕事もなくただ生きているだけの自分に光が射したようだった。


 それから毎朝5つ半(9時)から午の刻(12時)まで読み書きを教えた。いつの間にか3人増えて8人になっていた。


 長屋では子供はもちろん親たちまでが先生と呼ぶようになった。銭を取らないので親たちは大喜びだった。


 せめてその代わりと、親たちは交代でおかずを届けるようになった。長屋中が谷崎を先生と奉った。


 しかし、2か月で3両の金は底を付き始めた。やむを得ず、食うために家賃を先延ばしにした。


 大家が家賃の催促をするようになった。右隣も裏の部屋も同じだった。壁が薄いので大家の取り立ては筒抜けに聞こえた。


 その右隣の女房が大根の煮物を持って来た。


「大家さんの声、聞こえてました。子供のお金が払えなくてすみません」


 と小さくなって謝る。


「とんでもない、毎日こうしておかずを戴いている。わしは子供と遊んでいるだけだ。お礼しなくてはならないのはこっちだ」


「本当にすみません。旦那にやっと仕事が見つかったんです。おかげで家賃が3か月溜まりました。でもこの長屋では2か月は普通です」


「そうか、みんな大変だな」


「そうですよ。みんな慣れっこです。ただ半年溜めると追い出されます。来月半年になるところが3軒あります。みんなで心配しているんです」


 谷崎は女房が帰ると反省した。仕事をしよう。仕事を選んではいけない。人夫でもなんでもするつもりになった。


 これまでに仕事を探していないわけではなかった。午後は毎日、口入れ屋に仕事を当たっていた。


 しかし、大工等の職人仕事はあるが浪人を使う仕事は少ない。口入れ屋に人夫か土こねはどうかと何度も勧められた。


 浪人と言えども、まだ侍の矜持は持っている。そんな仕事が出来るかと断っていた。


 次の日、人夫でも土こねでもなんでもするつもりで口入れ屋を訪ねた。口入れ屋がにんまり笑って、


「お待ちしてました。用心棒の口がありますが、やってみなさるか?ただし、腕前を見せて貰うそうです」


 谷崎は一、二もなく返事をした。口入れ屋は近くの洲崎神社の鳥居の前に、今日夕7つに行くようにと指示した。


(夕7つ…16時)


 鳥居の前には誰もいない。参拝客もいない。夕7つの鐘が鳴ると、どこから来たのか成りの良い武士が現れた。


「谷崎殿か、ついて来られい」


 武士は神社の裏の空き地に来ると、隠してあった木刀を谷崎へ渡した。そして、武士は木刀を正眼に構えた。


「打ち込んで来られい」


 かなりの遣い手であった。どこにも隙は無かった。むしろ構えから圧力を放っている。


 しかし、谷崎は圧力と捉えていない。音もなくすっと武士の喉元へ木刀の切っ先を付けた。


 武士は唖然とした。谷崎がどう動いたのか全く見えなかった。気が付けば喉元へ木刀が付きつけられていた。


 武士は度肝を抜かれたが落ち着いた声音で、


「明日戌の刻(20時)、鳥居の前に来て貰いたい。案内の者を待たせる。その者に同道して貰う」


「用心棒と言うことだったが」


「そうだ。さるお方を護るために、ある男を動けなくして貰いたい。これは前金の10両だ。明日夕7つ、ここで後金10両お支払いする」

 

 谷崎はその10両を手に大家を訪れた。自分の家賃2か月分を含め、二棟の長屋24部屋の2か月分を支払った。


 部屋に戻ると右隣の女房が、


「今日はお出かけだったんですね。旦那が干物を貰って来たものだからお裾分けです」


「おっ鯖の開きだ。ありがとう。大好物だ。それから、余計な事と思ったが家賃2か月分払って置いたよ」


「えっ、そんなこと!ありがとうございます。必ずお返しします」


「良いんだよ。臨時収入があったからね。ついでだよ。あっ、長屋の全員にも2か月分払って置いた」


 驚いた女房は喜び勇み、長屋じゅうに知らせに走った。谷崎の部屋はたちまちにお礼に来た住人で溢れかえった。


 次の日の夕方、谷崎は出かけたまま帰って来なかった。

8か月前のことである。


                     つづく

次回は1月19日火曜日朝10時に掲載します