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     7、裏の顔

 ほどなく、十郎がその柳の側まで来ると、くぐもるような小さな声で、


「お頭!」


 すかさず、


「うん、明日決行だ」


「はい、承知しました」


 十郎は歩みを止めることもなく、一言交わしただけで、そのまま歩き続けた。人目には、酔った浪人のふらふら歩きである。


 明けて、巳の正刻(午前十時)。十郎が広小路露店入口まで来たとき、


「先生、お待ちしておりやした。この先でごぜぇやす。ご案内しやす」


 昨日の三人組の兄貴分である。露店並びの中頃にある二間程の間口の前までくると、、


「先生、ここです」


 と案内して、続いて大声で、


「おい!みんな聞け!今日から、先生がここでがまの油を売りなさる。邪魔するんじゃねえぞ!わかったな!」


 兄貴分は胸を張って言う。なかなかの貫禄である。両隣の店はもちろん、近々の露店主は駆け寄ってきて、口々に十郎に挨拶をする。


「先生、よろしくお願いします」


「わからないことがあったら、何でも聞いて下さい」


「しょんべんは、そこの木の下でいいですよ」 


「めしと食い物は、この露店で何でもありますよ。団子はいつでもタダにしときやす」


「団子や!おめえだけいい顔するな!先生!甘酒どうです。いつでも差し入れします」


 みんな怒鳴り合うように言う。露店仲間は気さくで温かい、十郎も温かい気持ちになった。

 果たして、初日だが場所がいいのか、これまでの最高に売れた。持参した三十八個売りつくした。末広がりの縁起担ぎに用意した数である。やはり、場所の違いは如実だ。早仕舞いして、徳蔵に顔出しすると、


「先生、明日からも、どうぞよろしくお願えしやす」


 と酒を勧められたが、断って帰って来た。


 本所の長屋では、千代が具合がいいのか、夕食の支度をしていた。


「千代、大丈夫か?無理するな」


「はい、今朝から大変気分が良くて」


 と嬉しそう。


「兄上、早いお帰りで。いかがでしたか?」


「うん、全部売れた」


「全部ですか?信じられませぬ。確か、縁起担ぎの三十八個とおっしゃってましたが・・・」


「そうだ、末広がりの三十八個だ。運が向いて来た。千代には薬代のことで心配させたが、もう心配ない。安心して養生しろ。必ず治る。治してやる」


 二人の心はほかほかと温かった、夕食を済ませると、


「千代、ちょっと出かけてくる。多分、帰りは遅くなると思う。先に休んでいてくれ」


 にっこり笑いながら言う。


「兄上、早く帰って来て下さいね」


 心細そうに千代は言う。十郎はその言葉にいつも癒されていた。妹の千代と一緒に住むようになって二年半である。


 十郎は郷里の高先藩では、剣にかけては一二を争うと言われた。しかし、いつまでもうだつが上がらぬことに嫌気して、脱藩し江戸へ出た。


 江戸のくらしは、剣など全く役に立たず、風来坊くらしとなった。待つ人もなく空虚な生き方をしていた。


 郷里では、十郎の脱藩のせいで父母は心労がたたり、相次いで亡くなった。一人残された妹を迎えに行ったのが二年半前である。


「千代、出かけてくる」


 安心させるように、又もにっこり笑って十郎は出かけて行った。


                                   つづく

    8、医は仁術なり

 この日、夜明け間もない頃、本所ははずれの裏長屋。その一軒から大工姿の男が、両手で子供を抱え、急ぎ足で広小路の方へ向かって行く。その後から母であろうか、必死の形相でついて行く。五町(545M)先の町医者の玄関で、


「お願いします!お願いします!」


 女房も一緒に声を出す。


 書生風の男が現れ、


 「どうしました?」


「子供の様子がおかしいのです」


「お待ちなさい!」


 書生は中へ入ると、直ぐに戻り、


「先生はお留守です。他を当たりなさい」


 大工は書生を捕まえて、


「若先生、見てやって下さい。やっと息をしてしてるんです」


「私は、見習いです、何もわかりません」


 大工は一刻の猶予も許されないと悟り、


「おい!行くぞ!」


 女房を促して、駆けるように次の医者へ向かった。さらに七町ほどの町医者である。やっとの思いで駆けつけ、医者に見せると、一目見て、


「中へ入りなさい」


 診療室へ招き入れ、子供を抱きかかえると、診療台へそっと寝かし、熱を診るかのように頭に手を当て、続いて子供の右手を取り脈を診た。そして、二人に向かって黙って首を振り、慈愛に満ちた目で、


「残念ながら、亡くなっている」


「お母さん、抱いてあげなさい」


 大工は顔色を変え、


「先生!どうしたんですか?もっと良く診て下さい」


 叫ぶように言う。町医者は、重ねて言う、


「お子さんは亡くなっている」


 母親は、飛び跳ねるように子供に抱きつき、子の名前を呼びながら、小さな両肩を揺する。


「ちくしょう!竹庵が診てくれたら、死なないで済んだんだ!」


 大工は鬼のような形相で叫ぶ。町医者はなだめるように、 


「竹庵先生の所には、いつ?」


「ここに来る前に行ったんです。居留守使いやがって、あの竹庵の野郎!」


「先生!この子はまだ呻いていたんですよ」


 母親は子供の頬に頬をつけて、火が付いたように声をあげて泣き出した。


 竹庵は、付近一帯では金取医者と言われ、悪名高かった。治療の前に支払いをさせられ、出来ないとわかると、生憎薬を切らしていると帰した。しかし、診療は往診が中心で、評判など少しも気にしていなかった。だが、腕は確かだったようだ。大店を中心に往診は引きも切らなかった。


 竹庵には、妻や子は無く、書生と二人暮らしだった。食事を含む全般を書生が受け持っていた。この日も午前二回、午後三回の往診が終わり、帰宅したのが暮れ六つである。さすがに疲れたとみえ、夕食を摂ると早々と寝床へ入った。


 刻は夜四つ半(午後十一時)。竹庵はぐっすりと夢の中にいた。名を呼ばれ目を覚ますと、頬に冷たく刃物が当たっていた。

 

 恐怖におののき声が出せなかった。目の前の、顔をすっぽり覆面をした男が、


「金を出せ」


 小さく呟くように言った。見るともう一人いた。同じ装束だったが、何かめらめらと圧力を感じ、こちらの方は不気味だった。


 枕元の手文庫を指さすと、不気味な男が中を調べた。小判が三両あり、後は小粒金で良く見えない。


「有り金は、どこだ。死ぬか?」


 目の前の男が刃物を持ち返し、胸に当てた。短刀である。この男しか口を利かない。しかし、その感情のない冷徹な声に、竹庵はぞーとした。


「立て、案内しろ」


 竹庵はやっとの思いで立ち、床の間の床を外した。蓋つきの壺が二つ並んでいた。一つは上まで小判がぎっしり、もう一つには三分の一ほどまで小判が入っていた。


 それを見た不気味な男は、竹庵の両手両足を縛り、猿ぐつわをした。


 男はもう一人いた。隣の部屋に、書生の両手両足を縛り、猿ぐつわをして、見張っていた。

 三人の賊は、竹庵と書生をそのままにして壺を抱えて出て行った。


 人の住まぬ空き家となった侍屋敷の一室に、人目を忍ぶように明かりが点いていた。


 部屋には十郎が腕組みして、もう一人の男が壺の金を数えるのを見ていた。後の一人は見張りである。


「お頭、六百五拾七両あります」


「うん、予想外に貯めてたな。これで、これまでの五百七拾参両を合わせると千二百三拾両になる。これで、源太と晋作で開院出来るな」


「はい、お頭、十分の資金です」


「おい!もうお頭はよせ。名前で呼べ。明日から晋作と空き家を当たれ、診療所探しだ!」


                                  つづく

   9、目には目を

 十郎は床に入っても眠れなかった。竹庵を含め、二軒の町医者に押し入ったことへの、良心の呵責である。


 半年前、千代の容態が極めて悪く、本所から深川まで六軒もの町医者を駆け回った。往診はもちろん、薬さえ出してくれなかった。どこも高額なお金を要求された。刀を売ってやっと薬が買えた。人情の薄さに、憂さ晴らしと、めし屋で酒を食らった。


 その時知り合ったのが源太と晋作である。町医者の見習いで、その現状に嫌気を出して愚痴っていた。隣合わせで飲んでいた十郎は、それを、聞くともなく聞いていた。


 あまりに酷い話だった。薬を出してやれば、死なずに済んだ子供の話から、医院の前で女房をかばうように抱きながら、凍死した老夫婦。刀傷を受けた浪人の出血死。どれも、処置さえすれば命はあったものを。悔いの残る話ばかりだった。


 そのような町医者の中でも、特に悪質な町医者は、竹庵と良庵であった。良庵とは名ばかりである。二人は裏で金貸しも営んでいた。


 源太と晋作は、往診中心の町医者の在り方を、間違っていると言った。その場所で直ぐ治療する診療が必要だと言った。


 当時、江戸には千人に一人と言われる少ない町医者が、往診専門で日に数人しか診療出来ない。これでは、医者はいないも同然である。


 この時代、子供の死亡率は極めて高かった。二人は、往診ではなく、その場で治療する診療所が必要と力説していた。十郎は身につまされたと同時に、意気に感じた。そして、二人の話に割って入った。


「診療所を創ろう!」


「えっ」


 二人は顔を見合わせた。


「それには、金取医者には鉄槌を下す。金が大事の金取医者から、懲らしめの為に金を全部いただく。但し、医者は必要だから手傷は負わせぬ。だが、医者の玄関には、”金取医者につき鉄槌を下す”と張り紙をする。鉄槌で得た金は診療所の資金にする」


 源太も晋作も顔を見合わせたまま無言である。


 源太も晋作も武家の次男坊である。一生の部屋住みを嫌い、人の為になる医者を志した。しかし、現実はあまりにも違った。源太は十郎の顔をじっと見つめ、真意を計っていたが、忽然と口を開いた。


「やりましょう、やらせて下さい。先生!」


「先生やります。やらせて下さい」


 二人は興奮気味である。


「よし、わかった。診療所を創ろう!だが、先生の呼び方は止めろ。鉄槌を下すわけだが、盗賊と思わすのだ。これからは、お頭と呼べ」


 話は思いがけなく、簡単についた。


「兄上、何か心配ごとでも?」


 千代は起きていたとみえ、心配そうに聞く。


「いや、何でもない。そうだ!明日はみたらし団子を、土産に買って来てやる。うまいぞ!」


「はい!久しぶりですね。楽しみです」


「では、安心して寝なさい。おやすみ」


 十郎の頭の中は、鉄槌と言いながら盗んだ金に変わりはない。その金で、人の為と診療所を出していいものかと悩んでいた。  


 だが、少ない医者。その医者は金のあるものしか診ない現実。貧困者や身寄りのないものは死を待つばかりであった。


  窮状を見兼ねたのが、小石川に療養所を開いた町医者小川笙船であった。笙船の投じた目安箱から、吉宗が大岡越前に検討させ、幕府が金を出した。しかし、江戸の町民約五十万人、武士を合わせると約百万人では、どうにも対応し切れていなかった。十郎は悩むことを止めた。善悪もあるが、人間として診療所を創ると決めた。


 同じ頃、慎之介も寝付けなかった。綾乃の笑顔が頭にちらつき、なぜかせつなかった。

 今日で三日になる。綾乃はいつ来るのだろうか?果てない想いでいっぱいであった。しかし、いつの間に眠ったのか、朝になっていた。頭がぼんやりする。いつもより、大分早起きである。


 但馬屋は今日も賑わっていた。帳場の慎之介は、座り続けることに慣れてきたとはいえ、退屈には違いなかった。帳付けを買って出て、手伝うようになった。


 刻は昼八つ。見るともなく見ていた慎之介の目に、大きな風呂敷包みを抱えた綾乃が入って来た。


 番頭がすぐ出て来て、


「お待ちですよ、さ、早く」


 綾乃は急かされるように、奥へ入って行った。慎之介は落ち着かなかった。どうしたのだろう。この気持ちは。生まれて初めてのことである。これが恋というものか?慎之介の胸には動機がしていた。


 四半刻程して、番頭と綾乃が奥から出て来た。綾乃は慎之介に向かってお辞儀をした。ただそれだけである。一言も言葉を交わさなかった。入口に綾乃を送り出した番頭は、再び奥へ入って行った。


 綾乃は、後ろを振り返り、 振り返り歩いていた。もしや、慎之介様が何か御用でもと、ゆっくり歩いた。昨日から今日の日を、どんなに楽しみにしていたことか。あまりにあっけなかった。


 その時、何かにぶつかった。


「どこ見て歩いてやがる。このあま!」


 二人組の見るからにならず者。


「すみません。お許し下さいませ」


「ばっかやろう!どしてくれるんだよ!」


「兄貴、肩の骨が折れたんじゃないか?」


 この手のならず者は、ここでいくらかの金子を出せば、事は治まるのだが、綾乃は知る由もない。


「すみません、どうすればよろしいでしょうか?」


「そうだな、治療代を出せば許してやろう」


「いかほどお出しすれば?」


「小粒一つだな」


「申し訳ありません。今、出先でそんなに持ち合わせがございません。後ほど・・・・」


「そうかい!じゃ、ちょっと来な。酌でもしてもらおうか?」


 嫌がる綾乃の手を引いて行く。


 但馬屋の小僧がそれを見ていて、店に駆け込んだ。


「綾乃さんが、やくざに連れて行かれました!」


 それを聞いた慎之介、はだしで飛び出して行った。


                                つづく