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              37.祝言

 小太郎が目を覚ますと、母上は何やらご飯の支度をしている。隣に慎之介が横向きに寝ている。嬉しくなった。おじちゃんが泊まってくれたのだ。


「おじちゃん、おじちゃん」


 少し小さな声で肩を揺すった。


「駄目ですよ、まだお休みですよ。小太郎は顔を洗ってらっしゃい」


「あ、小太郎。おはよう」


「おじちゃん、起きた?おいらも寝よっと」


 小太郎は、慎之介の横にもぐり込む。


「小太郎、くすぐったいよ」


 小太郎は慎之介の脇の下に手を入れてくすぐる。


「よし、これでどうだ」


 今度は、慎之介が布団ごと小太郎の頭を押さえる。小太郎は足をばたばたさせながら、


「平気だよ!」


 小太郎の声が、布団の中からくぐもって聞こえる。


 綾乃はその様子を、手を止めて嬉しそうに見ている。


「さ、起きるぞ!小太郎起きよう!」


「ずるいなー!おいらが起こしてあげたんじゃないか」


「そうだった、ごめんごめん。綾乃さん顔を洗って来ます」


「どうぞ、お使い下さい」


 綾乃は少しぎこちない。恥ずかしそうにうつむいたまま、そっと手拭いを渡す。


 白い湯気の立つ、ご飯と大根の味噌汁。目刺しに、ぬか漬けのきゅうり、うまい朝ごはん。お腹が空いていたとみえ、早くも慎之介はお代わりをする。


「お代わりお願いします」


 綾乃と目が合った。飯茶椀を受け取った綾乃の顔が赤くなった。慎之介は昨夜を思い出し、身体が熱くなった。慎之介も顔を赤くした。


 慎之介は正座に座り直した。


「綾乃さん、必ず幸せにします」


 綾乃は恥ずかしかった。それは嬉しさと同時だった。思わず飯茶椀を置いて両手で顔を覆った。真っ赤であった。


 小太郎は驚いて、箸を止める。


「母上、どうしました?」


「何でもありません。ご飯食べなさい」


 綾乃は嬉しかった。幸せが身体に満ちた。


 慎之介は何かを決心したように、小太郎に向き合わす。


「小太郎、おじちゃんは小太郎の父上になろうと思うが、どうだ?」


「えっ、本当?おいら、いつもいつも思ってたんだ。おじちゃんが父上になってくれたら良いなって」


「母上と結婚することになるが、いいのか?」


「そんなのわかってらー。おいら何でも知ってるんだぞ」


「綾乃さん、結婚して下さい」


「はい」


「やったー」


 小太郎は、自分のことのように喜んだ。いや、自分のことであった。慎之介が父親になったのである。


「父上!」


 小太郎が慎之介の顔をしっかり見て言う。もう一度、


「父上!父上!父上!」


小太郎は嬉しくて、はしゃぐように繰り返す。


 綾乃は泣いた。声を殺して泣いた。両肩が震えている。涙が溢れて止まらない。小太郎も喜んでくれたのである。


 この日、但馬屋伝兵衛に慎之介は話した。


 伝兵衛はことのほか喜んだ。慎之介が祝言をする予定が無いと聞き、私にお任せ下さいと、伝兵衛が祝言の一切を引き受けた。


 伝兵衛が仲人を引き受け、番頭を始め店の者はもちろん、十郎や長屋の人まで交えて、それはそれは賑やかな祝言となった。小太郎は一躍人気者になった。


 祝言後、本所の閑静な場所ではあるが、戸建てを伝兵衛が用意してくれた。親子3人の暮らしが始まった。


 夜も更けた、夜4つ、倉橋の屋敷では伝九郎が琢磨に、静かに諭すように言う。


「そう思いつめた顔をするでない。仇は必ず取ってやる。今さら言っても何にもならぬが、早まったものよのう」


「父上に、万が一と言うことがあればと心配いたしておりました」


「うーん、そこじゃ、わしの腕が慎之介に劣ると思うてか?」


「いえ、そうではありません。突然の闇討ちを警戒致しました。だから先手を打ちました」


「それが裏目に出たと言うことだな」


 二人の話は深夜にまで及んだ。


                   つづく

       38.痛恨の極み

 郡川藩江戸屋敷、留守居役中沢左門は、江戸家老今田光義の静かな語り口に、並々ならぬ気配を感じていた。


「これは、殿の仰せじゃ、速やかに事を運ぶよう心されい」


 異例の話であり、真意を計り兼ねている中沢を見透かしたように、家老今田は言った。


 話は鎮痛に語られた。早水を藩の指南役に迎えたい。力量を知るため、現指南役倉橋伝九郎と対戦させる。しかし、それは表向きの話である。場所は江戸屋敷とする。


早水が坂江藩の藩士でないことは調べ済みであった。三年前のことは、琢磨の一件より、調べが進み、藩主、重臣の知ることとなった。


 藩主本多宗近と重臣は痛恨の極みであった。内密にされていたが、事は露見した。


 早水久忠に深い同情が寄せられた。と同時に倉橋伝九郎への深謀遠慮はここにあった。


 留守居役中沢は、坂江藩道場の終わる昼七つ、慎之介を訪ねた。供を連れず中沢のみであった。


 道場入口にて訪問を告げると、慎之介が出て来た。慎之介はその場に平伏した。


「中沢様、ご無沙汰いたしております」


「突然の訪問、相済まぬ。達者であったか?」


「はい、中沢様もお変わりなく祝着にございます。どうぞ、むさくるしい所でございますがお入り下さい」


 中沢の話は、単刀直入であった。


「この話は、貴公が望みと思いあっての話だ。無ければ、聞かなかったこととして、忘れてくれ」


「ありがたき幸せにございます。なにとぞよろしく、お願い申し上げます」


「倉橋は、必ず己が立ち会うと言うであろう。今、殿は江戸屋敷におられる。江戸の指南役選定は、ご検分いただくことになる」


 ここで中沢は息を継いだ。


「倉橋には当然江戸へ来てもらう。多分一か月後のことになる。日時が決まり次第、また訪ねるがそれでよいか」


 慎之介は即座答えた。


「お待ちいたしております。なにとぞよろしくお願い致します」


 中沢は帰って行った。


 慎之介は、綾乃と小太郎の顔が浮かんだ。もしものことがあれば、二人を不幸にしてしまう。


 今さらながら、祝言をしたことが悔やまれた。仇討ち出来る嬉しきことのはずが、身も心も寂しさに包まれた。世の全てが寂寥の思いであった。


 明日は本所の新居へ帰る。綾乃と小太郎に会える。しかし、心はせつなく寂しい。出来るなら、この寂しさを癒して欲しい。悲しい矛盾を持った慎之介は、自分の弱さを知った思いであった。


 一刻の道は、遠かった。綾乃が待ってる。小太郎が待ってる。自分を待ってくれる人がいる。早く着きたい。早く会いたい。昨日のことを忘れたわけではないが、その一心であった。


 遠くにわが家が見えて来た。家の前から走って来る子供がいる。小太郎だ。


「父上!お帰りなさい!父上!」


 小太郎は飛びついて来た。慎之介は小太郎を抱き上げた。


目頭が熱くなった。どんなことがあっても幸せにする。小太郎をぎゅっと抱きしめた。


「父上!痛いよ」


 慎之介は嬉しかった。


「お帰りなさいませ」


 待ち兼ねた綾乃も側に来ていた。綾乃も抱いてもらいたかった。小太郎が羨ましかった。


 夕食も終わり、いつもの親子三人の団欒が始まった。


 小太郎は、慎之介からべったりと離れない。慎之介も小太郎のたわいもない話だが、心から楽しんでいた。小太郎の話は次から次へと絶えることが無い。どうやら友達が二人出来たようだ。


 いつの間にか、小太郎は膝の上に乗っていた。話が途切れたので見ると、しゃべり疲れたのか、うとうとし始めた。


「綾乃さん、小太郎の布団を敷いて下さい」


「はい」


 傍で縫物をしていた綾乃は立ち上がった。


「慎之介様、どうして呼び捨てて下さらないのですか。悲しゅうございます」


「あっ、すまぬ。綾乃、布団を頼む」


「はい」


 嬉しそうに綾乃は返事をする。


 新居は居間に続く二間があった。慎之介と綾乃が一部屋を使い、もう一部屋を小太郎は貰った。小太郎は初めどう使っていいかわからなかったが、今では小机を中心に凧やベーゴマを並べ置き、それなりの小太郎部屋となった。


 二人は改めて、向かい合いお茶を飲んだ。慎之介も綾乃も、話すことは山ほどあるのに話せ無い。向き合うと、お互いに気恥ずかしいのである。新婚一か月目である。


 とうとう、慎之介は郡川藩の話は出来なかった。


つづく

   39.幸せは待つのでなく掴むもの

  日の経つのは早い。帰って来て七日目になる。


「父上、もう行くのですか?おいらも一緒に行きたいな」


「母上をしっかりお守りするんだ。十三日に帰って来る。小太郎、しっかり頼むぞ」


「今日は十日だから、まだ三日もある。おいら我慢できないよ.寂しいよ」


「小太郎、父上を困らせてはいけませんよ」


 綾乃は小太郎に言いながら、自分に言い聞かせていた。自分が一番離れたくないのである。


 日中、慎之介が但馬屋へ出かけているときは、慎之介の衣類を洗濯したり、布団を干したり、慎之介の顔を浮かべながらポーとしたりする。何をしても楽しい。


 今日の夕食は何にしましょう?次から次へ胸がわくわくする。人を愛すということが、こんなに生きる喜びが、沸いて来るとは思ってもいなかった。


 しかし、今日から三日もいない。小太郎より私の方が辛い。


「綾乃、行って来る」


「小太郎、頼むぞ」


 慎之介は二人に声をかけた、いつもと違っていた。綾乃は敏感に感じた。


「あのう、何かございましたか?」


「何もない、案ずるな。では、行って来る」


「行ってらっしゃいませ」


 二人ににっこりと微笑んで、慎之介は出て行った。綾乃は何故か、少し不安が過ぎった。


 次の日、稽古が終わると、江戸留守居役中沢が訪ねて来た。今日は、供侍が二人付いていた。


 道場外に待たせ、中沢のみが入って来た。


軽い雑談の後、


「日取りが決まった。12月15日巳の刻、場所は江戸屋敷で行う。よろしいかな」


 にっこり笑って言う。


「承知いたしました」


「それまで、1ヵ月と少しある。身体大事にな。風邪等引かぬようにな」


「ありがとうございます」


 慈愛に満ちた中沢の顔がそこにあった。慎之介は両手を付いて礼を言う。目頭に込み上げてくるものがある。ぐっと堪えた。


 中沢が帰った後、慎之介は身体がカーッとひとりでに熱くなった。血がたぎってきた。


 父上、必ず仇を討ちます。心に誓った。じっとしていられなくなった。立ち上がると道場へ向かった。


 薄暗くなった道場に入ると、素振りを始めた。幸橋の坂江藩道場に来て約半年になる。慎之介の身体はもとに戻った。素振りの音でさえ違った。振るたびに、喉笛に似てひゅっひゅっと鳴る。


 半刻程して、部屋に戻ると食事が届けられていた。それを食べていると綾乃の顔が浮かんできた。お代わりしようとすると、どうぞと綾乃の手が待っている。何から何までそうである。自分の思いと綾乃の思いが一緒である。


 生きて来てこんなに幸せを感じたことはない。綾乃を心から愛している。そして、綾乃が自分を愛してくれている。


 慎之介は、自分の心の弱さを反省した。自分にもしものことがあったらとは、もう負けている。必ず勝つ。幸せは待つものではない。自分で掴むものだ。


 そう思った時、前がぱーっと開けた。朝陽が一度に入って来たようだった。


この七日間、綾乃は心配していたに違いない。心配させないつもりが心配させていたのだ。帰ったら綾乃に話す。


 思い出せば、昨日は心なしか、小太郎もおとなしかった。小太郎ごめんね。父上が馬鹿だった。お前まで巻き込んでしまった。帰ったらいっぱい遊んでやるぞ。


 慎之介に力が満ちて来た。


                     つづく

次回は11月7日月曜日です。