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      31.見えぬ画策

  道場裏口で、訪なう声がする。慎之介は出て驚いた。そこには懐かしい顔があった。


「先生、お久しゅうございます」


「一之進ではないか!元気であったか?良くここがわかったな」


「はい、幸橋内の上屋敷では評判になっております」


「ま、上がれ」


「いえ、今日はお知らせに参りました」


「何事かあったか?」


「はい、覚えておいででしょうか?倉橋琢磨です」


「倉橋伝九郎の息子だな」


「はい、今、郡川藩江戸屋敷の指南役を致しております。実は先生を狙っております。」


「妙だな。逆ではないか?最も私には、そんな気持ち毛頭もないが」(第12回を参照)


「やはり、三年前のことが胸にあるのでしょう。不穏な動きを画策しているようでございます」


「ほう!奇妙なことだな」


「先生、お気を付け下さい。そのお知らせに参りました」


「わざわざありがとう。少し上がって行かぬか」


「いえ、所用がございまして。只、一刻も早くお知らせしたいと思いまして」


「そうか、又、遊びに来てくれ。色々聞きたいこともある。待ってるぞ」


「それでは、失礼致します」


 田村一之進は、一つ年下である。慎之介が三年程手解きから指南した、慎之介の初弟子と言っても良かった。


 慎之介は自室に戻ると腕組みをして、当時を思いやった。父の無念が思い出される。もう、淡い想いは消えていた。


 三日目、道場は今日も活気に満ちていた。慎之介は、班長による素振りの指導以外は、上座に座ることはなかった。


 そろそろ、昼八ツである。慎之介は道場上座へ向かった。


 筆頭の永井は、慎之介の着座を確認すると、


「止め!」


 藩士はそれぞれに、稽古着を正し、竹刀を右側に正座した。


「一同礼!」


 永井の甲高い、気合のような掛け声で終了した。


 慎之介は、井戸で身体を拭うと、自室へ戻った。心はもう、綾乃のに会えることで嬉しくなっていた。


 先程までの、触れれば切れるような慎之介の雰囲気はなかった。


 着座して間もなく、柿崎がお茶を持って来た。そこへ永井が入って来た。


「先生、ありがとうございました。みんな気構えが変わったように、練習致しております。特に古参の藩士は、目の色が変わったようです」


「そうですか、それは良かった」


「やはり、先生から直々にご指導いただき、技を磨けるというのは、これまで経験したことがありません」


 慎之介は黙って頷く。


「先生、今度は二十日からですね。どうぞよろしくお願い致します」


「わかりました」


「それでは、先生、これで失礼致します。どうぞお気を付けてお帰り下さい」


 永井が出て行くと、帰るのを待ちかねていたように、慎之介は立ち上がり、帰り支度を始めた。もう、顔には笑みが宿っている。


 幸橋御門を渡ると、慎之介の足は、急に早まった。途中で団子を買い求め、包む時間ももどかしく、手にすると駆け足かと思うほどに急いだ。


 夕7ツ少し前、綾乃の長屋が見えて来た。


「おじちゃーん」


 小太郎が慎之介を見つけて、走り寄って来た。長屋の入口で待っていたようだ。


「おお!待ってたか。どうだ、凧揚げはうまくなったか?」


「駄目なんだよ。高く揚がらないんだよ」


「そうか、これから行こうか?」


「それで待ってたんだよ。遅いよ!」


「母上!おじちゃん来たよ」


 慎之介は急いで、手拭いで汗を拭き、


「綾乃さん、お元気でしたか?」


「はい、元気です。どうぞ、お入り下さい」


「おじちゃん!駄目だよ!凧揚げに行くんだろう!」


「まあ!小太郎、いけませんよ。慎之介様は遠い所からいらしたのですよ。休んでいただかないといけません」


「どうぞ、お上がり下さい」


 綾乃は慎之介と一緒に居たかった。どんなに待ち焦がれていたか、凧揚げなどどうでも良いと思った。


「おじちゃん!約束だろう!凧揚げに行こうよ」


 母上に負けまいと、声を大きくして言う。


 慎之介は困った。しかし、確かに疲れた。駆け足に近いくらいの速さで来たのだ。汗が噴き出して来た。


「どうぞ、お使い下さい」


 綾乃は冷たく絞った手拭いを差し出した。慎之介は土間の上り口に座ると、顔と手を腕から拭いた。冷たくて気持ちが良かった。


「どうぞ、お茶です」


 冷たく冷やしたお茶である。慎之介は人心地ついたようだった。ふーっとため息が自然に出た。


 落ち着くと不安になった。汗臭くないだろうか?大丈夫だろうかと、綾乃をそっと見る。綾乃はにっこりとこちらを見ている。少し安心した。


「おじちゃん!それ飲んだら行こうよ!おいらずーっと待ってたんだよ」


 慎之介は綾乃と一緒に居たかった。


 この三日間、夜になるとせつなかった。綾乃のことが頭から離れなかった。しかし、小太郎に泣きそうな顔で行こうと言われると堪らなくなった。思えば不憫でならない。愛くるしい程かわいい小太郎だ。


「よし、いこう!」


「やったー!」


「綾乃さん、凧揚げに行って来ます。」


「お休みにならないで大丈夫ですか?」


 綾乃は心配そうに言う。心の中は、今来たばかりでしょう。どうして凧揚げに行くのですか?凧揚げはいつでも出来るでしょう。私もずーっと待っていたのです。


 今日は朝からどんなにお待ちしていたか、お分かりにならないでしょう。もう、知らない!


 綾乃は子供のような気持になっていた。


                    つづく

     32.緻密な企み

  薄暗くなった井戸端で、慎之介と小太郎は交互に顔と手足を洗った。


 長屋に入ると焼き魚の匂いに味噌汁の匂いが合わさって漂って来た。


 お腹がぐーうとなった。慎之介だった。小太郎は思わず慎之介を見た。聞こえたのだ。


「おじちゃん!お腹鳴ったよ」


「はは、は、聞こえたのか?」


「母上!おじちゃんのお腹鳴ったよ。ぐーうだって」


「小太郎!止めろ」


 止めたが間に合わなかった。


 綾乃はくすっと笑った。慎之介は決まり悪そうに、下を向いた。


 食事中、慎之介と小太郎は凧の話で終始した。凧は空高く、簡単に揚がった。余りにも簡単に揚がったので、小太郎は拍子抜けしたようだったが、声を張り上げて喜んでいた。


 そばで、その話を綾乃は、にこやかに微笑みながら聞いていた。


 慎之介は、さすがに今日は疲れていた。綾乃に会えて気が緩んだのか、その食事中でさえ、何度も眠気が襲って来た。いつもの小太郎のようであった。


 綾乃は見兼ねて、


「少しお休みになられたらいかがですか?」


「あっ、おじちゃん眠そうな顔してる!子供みたいだ!そうだよ、寝た方が良いよ。泊まってってよ!おいらと一緒に寝よう!」


 綾乃が枕を取り出して来た。


「いや、帰らせてもらいます」


 慎之介の悪い癖である。心の中とは反対のことを言ってしまう。


 綾乃は帰ると言った時、寂しそうに何か言いたげに、慎之介をじっと見つめていた。慎之介は、駆け寄って抱きしめたかった。せつなくて胸が潰れそうだった。


 世の中の、事の成り行きはままならぬ。


 慎之介は自分から帰ると言っておきながら、後ろ髪を引かれる思いで、綾乃の長屋を後にした。


 綾乃と小太郎は、外に出ていつまでも見送っていた。


 甘酸っぱいせつない想いが、胸を締め付ける。


 今日は綾乃の手を触れることもなかった。


 お前が悪いお前が悪いと、もう一人の慎之介が言っていた。


 半刻程早い帰りである。暫く歩くうち、背後に妙な気配を感じる。誰か付けて来る。気配は慎之介の長屋へ着いて消えた。


 一之進の忠告を思い出していた。倉橋琢磨が狙っている。


 江戸に来てから、人づてに父の敗れた藩試合は、仕組まれていたことを知った。


 倉橋伝九郎は、関口柔心が紀州藩へ招かれたことを知り、指南役早水久忠に藩を通じて試合を申し入れた。


 藩主本多宗近は近臣の勧めもあり、これを承知した。


 父久忠は、慎之介を関口流の後継者として動いていた。それは、周知の事実となっていた。


 この試合は、藩の指南役を改める重要な試合となった。


 指南役は、技量だけでなく、心身の充実をも伴ってのことであるが、慣例として勝者が指南役を担うことになる。


 父久忠は五十半ば、伝九郎は四十二歳。伝九郎にとっては身体充実の時である。


 久忠は関口流を慎之介に委譲すれば、慎之介は試合に挑めた。しかし、久忠は伝九郎に謀の匂いを感じ、慎之介を温存したのである。


  試合前日、二人は藩に招かれた。その帰りに事は起きた。


 久忠の前から覆面の二人が近づいて来た。怪しんだ瞬間、後ろから不意打ちを肩に受けた。殺気を感じ咄嗟に避けたが、右肩を打たれた。何故か木刀であった。三人は同時に消えていた。


 真剣であれば死に至ったかも知れない。全ては計算済みであった。


 父は不意打ちとは言え、恥辱である。秘密にした。慎之介にも知らせなかった。右肩は幸い骨に異常はなかったが、右手に力が入らなかった。


 試合当日、一手合わせで勝負は決まった。久忠の木刀は頭上高く跳ね飛ばされた。


 慎之介は唖然とした。父の技量からして、倉橋に木刀を飛ばされるとは、思いも寄らなかった。木刀を飛ばされると言うことは、技量で格下とみなされる。


 肩の負傷は割腹の後、湯潅の際に気付いた。


 慎之介は、父が道場での指南の際に、受けたものと思っていた。それが仕組まれたことであったとは、江戸へ来てから人伝に知った。


 父の無念を思うと、身体に血が逆流した。倉橋を必ず同じ手法で負かし、汚名を晴らすと誓った。


 以来慎之介は、対手の剣を撥ね飛ばす修行と研究を重ねた。


                      つづく

     33.奇妙な出来事 

 昨夜は流石に疲れが出た。連日の剣術指導、そして、一刻の距離を歩き、さらに凧揚げで走り、へとへとになっていた。


 しかし、綾乃の前では、平然としていたかった。男の見栄である。侍である。


 枕を持って来られたときは恥ずかしかった。疲れていたとは言え、余程の醜態だったのだろう。恥ずかしくて帰って来てしまった。


 後を付けられたことなども忘れ、朝までぐっすり寝た。おかげで今朝は爽快な気分だ。

 

 思い切り伸びをして両手を伸ばすと、ふと、綾乃の寂し気な顔が浮かぶ。胸が締め付けられる。


 慎之介は、今日も綾乃を訪ねると決めた。


 いつもより少し早い、朝五ツ半(午前九時)、但馬屋へ着いた。番頭がすぐさま寄って来て、


「おはようございます。お待ちいたしておりました。旦那様がお待ちです」


 伝兵衛は慎之介の足音を聞くと、目を通していた台帳を置いた。障子は開け放たれている。


「おはようございます。遅くなりました」


「おはようございます。どうぞ、お入り下さい」


「お疲れになられたでしょう。幸橋までは遠くございますので、大変だったでしょう」


「いえ、行きと帰りだけです。向こうに部屋が用意されており、泊まっていました」


「それはようございます。でもお食事はお困りではありませんか?」


「いえ、藩屋敷より届けられております」


「失礼なことをお聞きしましたが、実は幸橋近くに知った店がございまして、お役に立てればと思っておりました」


「お気遣いありがとうございます。何のお役にも立てておりませんのに、恐縮です」


「いえ、とんでもありません。早水様のおかげで、これまで時節以外の売り上げは、変わることはなかったのですが、時節以外でも、売り上げが増えております」


「おまけに、不遜な輩が全く寄り付かなくなりました。どうぞこれからもよろしくお願いいたします」


「そう言われますと、何と答えて良いやら、ますます恐縮致します」


「ところで、突然ですが近頃評判の鰻屋がございます。ご一緒いただけませんか?」


「実は、鰻は食べたことが無いのです。一度は食べてみたいと思っていました」


「では、決まりです。今日、夕刻の開店早々に行きましょう」


 話は早い、夕七ツに籠が迎えに来ることになった。話がトントン拍子で決まってしまった。


 慎之介は大事なことを忘れてしまっていた。綾乃を訪ねることだ。しかし、これが運命と言うものか。綾乃も小太郎も巻き込まれずに済んだ。


 鰻宮戸川は、浅草に店を構えてまだ半年である。深川辺りで修行したと聞くが、焼き加減とたれの熟れあいが見事で、絶妙と言える味加減は食通を唸らせた。


 伝兵衛と慎之介は半刻の間、辛口の酒をゆっくり舐めながら、気長に待った。


 二人は口数少なく、ポツリポツリの会話であるが、お互いが同じ様で退屈などしなかった。


 さらに暫くして、香ばしい匂いと供に出て来た鰻のうまいこと。慎之介は、うまいの言葉の意味を改にした。


 それから半刻程して、伝兵衛は籠を呼んだ。慎之介は歩くと籠を辞退した。浅草から本所まで四半刻もかからない。ほろ酔いを、夜風に楽しみながら帰るつもりだ。


 刻は宵五ツ少し前。慎之介は宮戸川のほとりをゆっくり歩いて行く。久しぶりに飲んだ酒のせいもあるが、幸せな気分に満ちていた。


 今日は満月だ。月明かりであたりが良く見える。お月様が綾乃に見えて来た。にっこり笑ってこちらを見ている。


 慎之介は綾乃を幸せにしたいと思った。思った瞬間、胸がきゅーと締め付けられた。小太郎が綾乃の前に浮かんで来た。小太郎!お前も一緒だよ。幸せにするよ。


 慎之介の独り言である。歩くうちに酔いがまわって来たと見える。


 いつの間にか、民家は遠く人気の無い畦道を歩いていた。


 前から二人連れが歩いて来る。その二人は目の前五間程の所で止まった。二人とも覆面をしている。


 慎之介が二間程進んだところで、二人は鞘を払った。月明かりに刀身がギラリと光った。と同時に後ろから切りかかって来た者がいる。


 慎之介は振り向きながら、その左手首を切り落とした。峰に返す余裕はなかった。そのまま反転した慎之介は、前の二人の刀をそれぞれに撥ね飛ばしていた。


 凄まじい速さであった。二人には一瞬のことで何がどうなったのかわからない。


 しかし、刀の無い両手の痺れに,最早これまでと戦意を無くし、二人はへなへなとその場に座り込んだ。


 慎之介はその二人に、刀身を向け、


「物盗りとは思えぬ。何が理由だ!言え!」


 一人は瘧が起きたようにガタガタと震え出した。もう一人が震え声で言う、


「仇討ちをされる前に、討ち取るつもりでした」


「なに!、父を襲ったのは貴様らか?」


「はい、申し訳ありません。お許し下さい」


「あの時、父の背後から切り付けたのは誰だ!」


「あの時と今日も同じです。背後から攻めたのは琢磨先生です」


 見れば、かみ殺したような声で、片手を抑えながら呻いている。


「手当をしてやれ」


 言い残すと、慎之介は去った。


 慎之介は奇妙な因縁を感じていた。しかし、これで父の仇を討ったことにはならない。仇は倉橋伝九郎である。


                       つづく

次回34回は9月26日です。