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       22.但馬屋の光

  その時、若いやくざが、


「兄貴!ちょっと!」


 と、ひどく慌てて、兄貴分の着物を引っ張る。兄貴分のやくざはタイミングを外され、


「何だ!」


 と若いやくざに向き直り、殴ろうとする。


「兄貴!油の先生ですよ!」


「げっ」


 言葉にならない声を発し、棒立ちになったが、すぐさま土下座をした。両国一と言われた用心棒が、十郎に赤子の手をひねるように、いとも簡単に打ちのめされた。


 界隈の筋者の間で知らぬ者はいない。まして、親分徳蔵の客人扱いである。ここまで啖呵を切っては、暗かったでは通らない。行灯の灯りは確かに暗い。


「先生とは露知らず、とんだ失礼を致しやした」


 二人のやくざは、地面に頭を擦りつけぬばかりである。


「頭を上げろ」


「へい、許していただけるんですか?」


 先程の威勢はどこやら、おどおどしている。


「証文を渡せ」


「はい、これです」


 差し出した手が震えている。


「その二十両持って行け」


「いえ、いただけません」


「ばか!小僧の使いじゃないだろう。持って行け」


「ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせていただきます」


「この店は、俺の行きつけだ。よろしく頼むぞ」


「へい、承知しました。それでは、失礼さんでござんす」


 二人は這う這うの体で出て行こうとすると、


「おい!親爺と若いのの治療代は置いていけ」


 兄貴分のやくざは、懐の財布から二両出して、


「すみません。ここに置いておきます」


 二両で済めば安いものである。


「先生、どうかご内聞にお願い致しやす」


「わかった、お前の顔もあるだろう。徳蔵には言うまい」


「ありがとうございます。よろしくお願いしやす」


 やくざが帰ると、いつ気が付いたのか、親爺が駆けよって来て、何度も何度も礼を言う。


「親父、そこの二両、治療代だ。晋作と一両ずつ貰っときな」


「こんなに、大金を良いんですかい?」


「貰っとけ!たんこぶの膏薬代だ」


「ありがとうございます」


 お邦はまだ、震えが止まらないらしく、晋作が抱きしめるようにして介抱している。


「親父、飲み直しだ。熱燗で頼む」


「へい、今日は存分にやってくだせい。せめてものあっしの気持ちです。表は閉めて参ります」


「お邦!手伝ってくれ!」


「はい」


 お邦は涙を拭きながら、元気に立ち上がる。


「さ、飲み直しだ。晋作!こっちに来い」


「はい!」


「大丈夫か?」


「全然平気です。何ともありません」


「そこの一両はお前のだ。蹴られた分だ」


「良いんですか?一両も貰って」


「黙って貰っておけ。お邦のために、身体を張ったんだ。男を上げたじゃないか」


 源太はそれを聞いて、


「良いな、俺も蹴られたかったな」


 と軽口をたたく。


「口を慎め、全ては診療所の為だ。我慢できることは我慢することだ」


 二人は改めて、十郎の懐の深さと凄さを知った。


 慎之介は、その夜気持ちが昂ぶり、なかなか寝付けなかった。綾乃のことで胸が一杯であった。もう気持ちを抑えることの出来ないところまで来ている。


 しかし、これから起こるであろうことを考えると、綾乃を不幸にしてしまうかも知れない。又、父の仇を討つまでは身軽にしておきたいとも思う。さらには、自分の命さえあるかもわからないのである。


 いつの間にか眠ってしまった。


 但馬屋伝兵衛は、予測していたこととは言え苦渋に満ちていた。


「早水様、それはいつからでございます?」


「明日、留守居役井上様に会って、これからのことが決まります」


「そうでございますか。では、この話も明日井上様に、お会いになってからと言うことでいかがでしょうか?」


 伝兵衛は慎之介が仕官しないと聞いて、望みを持ったのである。わずかの期間ではあるが、但馬屋に花が咲いたようであった。慎之介が帳場に座るようになってから、客が二割程増えた。それはまだまだ増え続けていくと思った。


 慎之介の様子が良いだけではない何かがある。商売を長く続けていると、わかることがある。子に恵まれない伝兵衛には、子ほどに開きのある慎之介に、但馬屋の光を見た。


「わかりました。井上様の話を聞いてからと言うことで」


「ありがとうございます。明日、又、お話を聞かせて下さい」


 但馬屋は、幾分ほっとしたようであった。


 慎之介は帳場に座ると、まだ昼時も遠いと言うのに、夕食のことを考えていた。綾乃に会いたい。綾乃の顔が浮かぶ。別れ際の寂しそうな顔が浮かぶ。


 そうだ、小太郎とベーゴマをしよう。昨日負けたままだ。小太郎は待っている。それに、明日から状況が変わるかも知れない。慎之介は今日も訪ねることにした。


                       つづく

   23.借用書

 今日は、朝からぼーっとしていた。昨日のことは、夢だったのかしら。思い出すと恥ずかしくなった。そして、嬉しかった。今度はいつ来てくれるのだろう。その事ばかり考えていた。


 綾乃は、小太郎の声に我に返った。


「母上、どうしたのですか?何か変ですよ。具合でも悪いのではありませんか?」


「いいえ、何でもありません。夕ご飯何にします?」


「母上、さっき昼ごはん食べたばかりですよ。何でも良いです」


「そう、では、さっぱりと冷ややっこにしましょうか?」


 綾乃は、今日は気が抜けたようだった。あまり手をかけたくなかった。


「良いですよ。母上、昨日はおじちゃんと一緒で楽しかったね。ご飯も凄くおいしかった」


「おいら、又、一緒に食べたいね。おじちゃんいつ来るかな?」


「おじちゃんは、お忙しいのですよ」


「母上、昨日おじちゃんは、いつ帰ったの?おいら眠っちゃったみたい。どうして起こしてくれなかったの?」


「疲れたのね。良く寝てたわよ」


「違うよ!どうして起こしてくれなかったの?」


「良く寝てたから、起こさなかったのですよ。ごめんなさいね」


「今度は、ちゃんと起こしてね」


「はいはい、そうしますよ」


「じゃ、小太郎、お豆腐買って来てね」


 小太郎は、小銭を預かり豆腐屋へ行った。


 綾乃は一人になると、又、昨日のことが思い出されて、甘酸っぱい思いが、心に広がって行った。


 会いたい、今日も会いたい。綾乃はせつなくなった。


 申の刻、慎之介は番頭にお暇の挨拶をして但馬屋を出た。歩きながら昨日のことを考えていた。強引過ぎたかも知れない。その時の慎之介に、意思はなかった。思わず抱きしめてしまったのである。心のままに身体が動いた。口を吸ってしまった。綾乃の身体から力が抜けたようになった。思わず強く抱きしめた。


 怒っていないだろうか?少し不安になった。帰って下さいと言われたらどうしよう。


 それでも足は、綾乃の長屋へ向かっている。


 入口へ立つと、


「ごめん仕る」


 丁度、土間口のへっついで夕食の支度をしていた綾乃は、慎之介の声に心が躍るようであった。


(※へっついとはかまどのこと)


「はい、どうぞお入り下さい」


 慎之介は引き戸を開けた。


「昨日は、失礼いたしました」


 慎之介は神妙に言う。綾乃は返事に困り、顔を赤くして、


「いいえ・・・・・」


 と一言言って、言葉に詰まりうつむいた。


 慎之介は綾乃を見つめ、二人は立ったままでいた。


「おじちゃん!来てくれたの」


 慎之介は救われたように、


「おお!小太郎どこに行っていた?」


「おいら、お豆腐を買いに行ってたんだ。おじちゃんが見えたから、急いで帰って来たんだよ」


「はい!母上」


 と豆腐を渡す。


「ありがとう。今日はおいしい夕ご飯を作りますよ」


「あれ?冷ややっこじゃなかったの」


 何となく察した慎之介は、


「小太郎!べーごまやろうか?」


 「おじちゃん、懲りないね。又、負けるよ」


 おたふくは、十郎たちの貸し切りで、盛り上がっていた。特に晋作は、お邦を助けようとしたことで、お邦に頼もしく思われ得意の絶頂にいた。源太は時々、それを茶化すから、なお、賑わっていた。十郎は笑いながら見守るように静かに飲んでいた。


 その時、表戸を荒々しく叩く者がいた。


 源太が出て見ると、無精ひげを生やしたむさくるしい親爺が、慌てるように、


「お邦はいるか?」


 と聞く。


 聞きつけたお邦が、調理場から飛び出して来た。


「おとっつあん、大丈夫?」


「おら、大丈夫だが、お前大丈夫か?」


 それを聞いて、お邦は泣きながら言う。


「おとっつあん、さっきやくざが来て連れて行かれるところだったの。ここにいる先生やみんなが助けてくれたの。何の借金だったの?」


「すまん!博打だ」


「だから、何のために。おとっつあんは、いつも博打が嫌いだと、言ってたじゃないの」


「おっかさんの腕を治したいと思ってな。転んでから、腫れたままでどうしても治らない。浅草の良い先生に診てもらうためにお金が必要だったんだ。この辺の医者には診てもらったが、少しも良くならない」


「だからと言って、博打でお金が出来ると思ってるの?」


「大工の手間賃じゃ、どうにもならなくてな」


「お邦、逃げよう。おっかさんも一緒に逃げよう。やくざが、又来ないうちに」


「おい、親爺。逃げることはないよ。借金は払っておいた。借用書はこれだ。しかし、これはわしが預かっておく。大工だと言ったな。働いて返してもらう。もちろん、親爺の手すきの時で良い」


 十郎は静かに言う。


「先生、それで良いのですか?本当にそれで良いのですか?」


「いいとも、しかし、二度と博打をするんじゃないぞ」


「ありがとうございます。ありがとうございます」


 親爺はいきなり土下座をしてお礼を言う。顔を拳でこするが、涙は絶え間なく溢れる。お邦も隣に土下座してお礼を言う。


「立ちなさい。そんなことすることは無い。しっかり働いて、借金を返すことだ。それから、明日、おっかさんを本所診療所へ連れて行きなさい。


「晋作、よろしく頼むぞ」


              つづく 

          24.小太郎の夢

 「おじちゃん、強くなったね。おいらの駒、又、弾かれちゃった」


「これで、二回目の勝ちだ!やっと調子が出てきたぞ」


 慎之介は、童心に帰ったと言うより、童心であった。三個のべーごまは大分痛んできた。貝殻が少しずつ欠けてきた。買い替える必要がある。慎之介にとって、丁度良いと思った。自分の駒が欲しくなったのである。


「小太郎、べーごまはどこで買った?」


「広小路の縁店だよ。色々売ってるよ」


「よし!これから買いに行こう」


「ほんと?ほんとに買いにいくの!おいら、もっと強いのが欲しかったんだ。うれしいな!」

 話は直ぐにまとまった。


「母上に言って来る」


「大丈夫!後でおじさんが言ってやる」


 広小路の縁店は夕暮れに近いと言うのに、人で溢れていた。十郎がここで常設に、がまの油を売っているとは、慎之介は知らなかった。


 十郎はもういなかった。


 小太郎は良く知っているらしく、一直線にこま屋に来た。べーごまの他に木ごまも沢山置いてあった。凧もお面も色々並んでいる。ここは、こま屋と言うのではなく、おもちゃ屋である。


「小太郎、好きなべーごまを選びなさい」


 慎之介も一緒になって、品定めをする。


「迷うな!どっちにしようかな?」


「小太郎、両方にしなさい。他にも選びなさい」


「ほんと!でも母上に怒られる」


「おじさんが遊ぶのだから、良いんだよ」


 凧も二つ買った。小太郎は大喜びである。


 近くから、香ばしい団子の焼ける匂いがする。


「小太郎、お腹空いただろう。団子食べようか?」


「うん!食べたい」


 団子屋の前に来ると、


「十本くれ。それと2本。2本は食べていく」


 慎之介と小太郎は、一本ずつ手にして、


「夕ご飯前だから、一本ずつだぞ」


「ありがとう!おいら、わかってるよ」


 「ただいま!」


 小太郎は元気よく大声だ。中から、


「お帰りなさい!」


 弾んだ声で、綾乃が答える。


「慎之介様、お帰りなさいませ」


「ただいま、広小路まで行ってきました」


「あら、そんな遠くまでいらっしゃったのですか」


「母上、おじちゃんにね、べーごまと凧買って貰ったのだ」


「申しわけありません。何とお礼申し上げて良いやら・・・」


「礼には及びません。私が遊ぶために買ったようなものです。小太郎先生に教えていただかなくてはなりません」


「先生?おいら先生か?母上、おいら先生?」


 綾乃は困ったような顔をすると、


「そうだ、おじさんのべーごまの先生だ」


「すみません、ありがとうございます」


 綾乃は神妙に頭を下げる。


「これ、お土産の団子です」


「何から何まで、すみません」


「おいら、食べて来たよ」


 慎之介が慌てて、口を押えようとするが、もう遅い。


「これから、ご飯ですのに」


「いや、味見に一本ずつです」


「はい、安心いたしました。どうぞお上がり下さい」


 部屋には、お膳が用意されていた。


 いい匂いが立ち込めていた。胡麻の香りがなんとも食欲をそそる。慎之介のお腹がぐーっと鳴った。思わず綾乃を見た。配膳中で、気付かなかったようで安心した。


 お膳には目刺しを中心に、野菜の煮しめ、ほうれん草の白和え、牛蒡のきんぴら、きゅうりと大根のぬか漬け。


 そこに、ご飯と豆腐の味噌汁がよそわれてきた。揃っていただきますと唱和すると、慎之介も小太郎も、団子を食べたことなど全く関係ない。どんどん食べていく。


 やっと、お腹が落ち着いて来たのか、小太郎が口を開く、


「おじちゃんね。少し強くなったよ。おいら、二度負けたんだ」


「はは、少し強くなりました。」


 綾乃は二人を見て、吹き出しそうな顔をする。慎之介が子供のような顔をして、神妙に言うからである。


「お代わりどうぞ!」


 はい!と出す慎之介はまるで母と子である。


 食事も済んでお茶を飲んでいると、


「おじちゃん!凧上げ、いつ連れて行ってくれる?」


「小太郎、慎之介様はお忙しいのですよ。あまり無理を言ってはいけません」


「いや、構いません。ただ、明日は所用があるから、だめだな」


「そうだな、明後日行こう」


「ほんと!うれしいな!」


 小太郎は立ち上がって喜ぶ。隣にいて喜びを隠せないでいる綾乃が、にこやかに微笑んでいた。


「小太郎、それじゃ、これから凧の足を作るぞ。綾乃さん何かいらない紙はありませんか?」


「はい、反物を包んだ紙ならあります」


「それ、頂きましょう」


 それから、半刻程して凧には見事な足がついた。


 小太郎は凧を持って、狭い四畳半をぐるぐる回る。余程嬉しいのだろう。


 いつの間にか静かになったので、ふと見ると座り込んでいる。どうやら寝ているようだ。


「綾乃さん、小太郎の床を敷いて下さい。寝てしまったようです」


「嬉しくて、飛び回っていましたから、疲れたのでしょうか」


「慎之介様が、お出でになりますと、小太郎の喜びようは、生まれてこのかた初めてのことでございす。ありがとうございます」


 綾乃は涙ぐみながら、両手をついてお礼を言う。


「さ、床を敷いて下さい。抱えていきますから」


             つづく

次回25回は7月25日月曜日です。