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             16.のみの夫婦

「おかわり!」


 小太郎は茶碗を出す。


「はい!」


 綾乃は即座に、何事も無かったように受ける。


「母上、おじちゃんと一緒に食べるとおいしいね。おじちゃんおいしい?」


「おいしいね、母上のご飯は特別においしいよ。小太郎は良いね」


「じゃ、おじちゃん、これからも一緒に食べようよ。ね!母上、そうしようよ」


 慎之介は事の成り行きとは言え、返事に困ってしまった。曖昧にしておくことも出来る。しかし、本心は一緒の食事を望んでいる。


「慎之介様、もし、よろしかったら、ご都合の良い時だけでも、ご一緒にいかがですか?」


 綾乃は自分でも思い切ったことを言ったと思った。言った自分を恥じて、俯いてしまった。


 慎之介は、それを見て、せつなくなった。


「小太郎、おじさんは、五日後、大事な用事があるから、それからにしよう」


「綾乃さん、よろしくお願いします」


「ほんとだね。おじちゃん!約束したよ」


 小太郎は嬉しくてたまらない。綾乃は思いがけない成り行きに、複雑な気持ちである。身の程を考えた時、慎之介に心の負担をかけたのではないかと気に病んだ。


 小太郎は嬉しそうに、


「母上、おいら、嬉しいな!早く五日過ぎないかな!」


「おいおい、今だって一緒に食べてるじゃないか」


「あっ、そうだ!あははは・・・」


 三人は楽しそうに笑い合った。


 それから、半刻ほど、ベーゴマの話で大笑い。慎之介は小太郎に見抜かれていたのである。それほど慎之介は夢中になっていた。いつまでも童心の抜けない慎之介であった。


 頃合いをみて慎之介が帰ると言うと、小太郎が泊まって行ってと言う。流石にそれは出来ないことである。


 綾乃と小太郎が入口に送りに出た。


「おじちゃん!五日後だよ。約束だよ。忘れちゃだめだよ!」


 慎之介は、半べその小太郎を抱き上げ、


「わかった。必ず来るよ」


 自分にも言い聞かせるように、しっかりと言い切る。


「わあーい!」


 と小太郎は抱かれたまま、両腕を振る。さすがに慎之介もふらついた。咄嗟に綾乃が両手で支えた。その手は、偶然にも慎之介の手に触れた。


 慎之介は小太郎を降ろすと、闇に紛れて綾乃の片手をしっかり握りしめた。綾乃はどうしていいかわからなかった。ただ、じっとしていた。たまらなく胸が熱くなった。このまま離れたくなかった。


 慎之介は長屋へ帰ると、木刀を手に近くの寺の境内に向かった。


 誰もいない境内に、ひゅっ、ひゅっと空気を切り裂く音がする。尋常の素振りの音ではない。

 それでも、慎之介には身体が鈍っていると思えた。意識に身体がついて来ない。それを過ぎてのち、身体に意識がついてくるようになる。今夜から三日で戻さねばならなかった。


 たそがれが迫り始めた広小路。まだまだ人通りは賑わっている。十郎は、この時間に決まって店仕舞いをする。


 ふと見ると、今日もいる。今日で二日目だ。見るからになかなかの好々爺で、口すら利いたことのないのに一目で親しみの持てる老爺である。着るものも洗いざらしにして、こざっぱりとしている。


「爺さんどうした?」


「わしに見覚えがござらんか?間違えたらごめんなさい。二年ほど前、深川は永代橋のたもと。ばあさんをおぶってくだされた、お侍さんではありませんか?」


「おー、あの時のお二人。おばあさんは元気かな?」


「やっぱりそうですか。あの時はありがとうございました」


 直ぐ前まで来て、深々と頭を下げ、涙脆いのか、拳で涙を拭い、


「似てはいらっしゃるが、あの時のお侍さんが、まさかと思いまして。しかし、どうにも気になりましてな、今日も参りました。ご苦労をなさいましたな」


「がまの油売りだからな、おばあさんは元気かな?」


「へい、昨年身まかりました。死ぬまで口癖のように、お侍さんにおぶって貰ったって、どこへ行っても自慢に話しておりました。私はこの通り、のみの夫婦でした。あの時は、ばあさんが足をくじいて、歩けなくて、往生してました。まさか、お侍さんがおぶって下さるとは思いもよりませんでした」


「ばあさんをおぶるため、私はお侍さんの刀をお持ちしました。あの時目が覚めました。おかげでうっかり、お名前もお聞きしませんでした。あの後、ばあさんが怒ったのなんの、大変でした」


「今日はばあさんの導きですね。お侍さんにお礼が言いたいと、死ぬ間際まで言っていました」


「お侍さん、是非、今日はご一緒していただきたいのですが」


「たかが、おぶっただけじゃないか。気にするな」


「いえ、このまま、お帰えししたら、ばあさんが出て参ります。後生です。弔いと思ってご一緒下さい」


「大げさだな。しかし、そこまで言うのなら行こう。じゃ、まずは、おばあさんに線香をあげさせてくれ」


「はい、それは喜びます。御足労おかけ致しますが、どうぞよろしくお願い致します」


 四半刻もいかぬうちに着いた。いつぞや、おぶって来た時とは家が違う、立派な大きな家である。


「おかげさまで、商いも順調でして、手前で言うのも何ですが、界隈でも指折りの材木問屋になりました」


「あの時、刀をお持ちしたときのことです。ずしっと両手に重い。はっと思いました。お侍さんは、この刀に命をおかけなさる。私は親譲りの材木屋をそのまま商って、ただ生きているだけだ。ここに、人間の違いを感じました」


「私は生まれてこのかた、ずっと材木屋に生かされてきたのです。しかし、何の感慨もない。これでいいのか?私は材木屋に命を懸けようと思いました」


「それからは、夢中でした。ばあさんもそれがわかっていたのです。だから、死ぬ間際までお侍さんにお礼を言っていました。それは私に、忘れてはだめだと言っていたのだと思います」


「実は、二人してお侍さんを探していたのです。惜しむらくは、ばあさんが生きているときにお会いしたかった。どんなにか喜んだことかと思います。


 親爺は拳で涙を拭う。


 十郎は、しんみりと線香をあげた。


「お侍さん、今日は、ぱーといきましょう。さ、行きましょう。こうしているとばあさんに怒られる」


 ここは深川、この夜の十郎は生まれて初めての、華やぎを味わった。


 帰って千代に渡した土産の中から、百両の包み金が出て来た。


                    つづく

      17.人を思うは身を思う

 土産に、料理の重箱を無理やり持たされた。重く感じたのは、十郎の酔いのせいだと思っていた。贅を尽くした料理二段の下、三の重に二十五両の切り餅が四つ入っていた。


「兄上・・・・・・・」


 千代は言葉を無くした。


「どうした?」


「これを見て下さい」


「う、うーん。親爺め!やりおったな」


『ご苦労なされましたな』の親爺の言葉が蘇って来た。十郎は座り込むと目を瞑った。

 千代は心配そうに十郎を見ている。ややあって目を開けると、


「心配ない。うまそうじゃないか。食事はまだだろう?」


「はい、兄上をお待ちしておりました」


「すまん。私は馳走になって来た。お腹空いただろう。食べなさい」


「いいえ、兄上、そのお金はどうなされました。お話下さい」


 美しい顔をきっと吊り上げて、きっぱりと言う。


「あれは、二年半ほど前のことだ、江戸へ来て間もない頃、医者を探して深川あたりを歩いていた時のことだ。永代橋のたもとで、座り込んでいる老夫婦がいた。聞くと、老婆が足をくじいたらしい」


「親爺が背負うには、二人の体躯があまりにも違い過ぎる。世に言う、のみの夫婦と言うやつだ。そこで、私が背負ってやったと言うわけだ。親爺は代わりに私の刀を持った」


「昨日偶然、二年半ぶりに私を見つけたと言う。しかし、がまの油売りをしている私が信じられなくて、今日も見に来たと言うわけだ」


「兄上には、いつも申し訳なく思っております。でも、それは、良いことをなさいましたね」


「このことをきっかけに、家業の材木屋を繁盛させたらしい。お礼がしたくて婆さんと二人で私を探していたらしい。残念にもばあさんは昨年亡くなったと言う。その時の思い出の刀が、竹光になっていたということだ」


「たかが、背負っただけのことだが、婆さんはどうしてもお礼がしたいと遺言したらしい」


「でも兄上、いただいてもいいものでしょうか?」


「そこだ!返すことは己の自尊心を満たすことになる。しかし、親爺の心意気と婆さんの遺志はどうなる」


「・・・・・・・・・・・」


「明日、二年にもなるが、刀を受けだしに行ってみようと思う。そして、改めて親爺を訪ねてみようと思う」


「わかりました。兄上の思い通りになさって下さい」

 

 綾乃は夜明けが待ち遠しかった。昨夜、熨斗目が仕上がった。小太郎と早めの朝食を済ませた。


 慎之介の但馬屋へ入る時間にはまだ時間があるので、別口の縫物を始めたが、少しも身が入らない。何だかそわそわと落ち着かない。


「母上、どうしましたか?」


 小太郎の言葉に、はっと我に返った。


「何でもありません。後で但馬屋さんに着物を届けに行って来ます」


「おじちゃんの所に行くんだ!良いな!おいらも一緒に行きたいな!」


「いけません。お仕事ですからね」


「おじちゃんに、約束忘れないでねって言ってね。小太郎が待ってるって」


「言いますよ。小太郎がお待ちしてますよって」


「母上、必ずですよ」


 そんな会話の後、綾乃はいそいそと但馬屋へ出かけた。


「おはようございます」


 綾乃が言い終わらぬうちに、番頭が出て来た。


「お待ちしてました。出来上がりましたか?」


「はい、出来上がりました」


「明後日ですので、助かります。早速、慎之介様にお召しいただきましょう」


 番頭は慎之介を伴って別室へ向かう。


「慎之介様、明日は半裃が出来上がって参ります。今日は熨斗目を着付けていただきます。綾乃さんよろしく」


 この熨斗目は番頭と綾乃で選んだ、腰替わりの小袖である。濃紺の中でも、格調高い濃紺を選んだ。仕上がってみると。さらに気品が備わったようである。


 綾乃は長襦袢姿の慎之介の肩に、そっと熨斗目を羽織る。片手ずつ慎之介は腕を通す。綾乃はそっと手を添える。ふたりの動きは流れるように息が合っている。


「良いですね。綾乃さん。慎之介さんに良くお似合いですね」


 綾乃は何を勘違いしたのか、頬をほんのり赤く染めた。


 二日後、巳の刻、慎之介は、幸橋内の坂江藩江戸屋敷を訪れた。


                       つづく

    18.関口新心流お披露目

 留守居役井上忠正に鄭重に迎えられ、対座の慎之介はいくぶん緊張気味であった。忠正は意識的か、たわいのない天候の話に終始した。にこやかな相対は、先日、宴席で見せた、和らいだものだった。


「早水殿、そろそろ支度をしていただけますか。隣にお召し替えを用意させていただきました」

 後ろに控えていた藩士山中が、無言で襖を開く。そこには真新しい試合着と木太刀が用意されていた。


 慎之介に、言い知れぬ緊張感が走った。


「早水殿、関口流をご披露に当たり、失礼ながら対手を三名用意させていただきました」


 にこやかではあるが、有無を言わせぬ言い方であった。


 山中の案内で中庭に通された。広々とした中庭の左右には、藩士が二十名ほど床几に着座していた。正面には藩主の席であろう、三脚の床几が用意されている。


 慎之介は用意された床几に着座した。ほどなく、藩主池田忠輝が江戸家老、指南役を伴って着座した。


 留守居役忠正は、慎之介を関口新心流免許皆伝と紹介し、合わせて三人の藩士を対手として紹介した。


 慎之介は木太刀を手にして、藩主忠輝に会釈し、続いて藩士一同に会釈した。最初の藩士も同様に会釈し、対峙した。


 双方、木太刀を正眼に構えた。披露と言うより試合は、もう始まった。


 藩士は隙と見たか、そのまま木太刀を上段に移し、同時に振り下ろした。慎之介は躱すこともなく前に出た。藩士の木太刀は、勢い余って前に泳ぐ。慎之介の木太刀は、藩士の喉元に静止していた。


 前に出るとは意表をついたやり方である。定石として、左右に躱すか後ろに下がる。こうすれば自分も安全だが、対手も安全である。互いに次の手が重要となる。


 慎之介は前に出た。勝負は一手で決まった。


 続いて二人目の対峙となる。


 藩士は正眼に構えたまま動かない。動けないと言った方が良いだろう。動けば慎之介の次の一手が来る。どう動けばいいか、焦りで動けなかったのである。慎之介は、その間隙をついて、一瞬にして前に出た。木太刀は藩士の頭上に静止していた。


 藩士は何が起こったのか理解できず、じっと構えたままであった。技量は最初の藩士より格上であった。慎之介の技量は段違いである。


 いよいよ三人目である。三人の中で、一番の技量を持つ。


 慎之介は無謀にも木太刀を置いて、すくっと立ち、両手を胸前で構えた。藩士に侮蔑の顔がよぎった。


 藩士は正眼に構えた。瞬間!


「てあーっ!」


 藩士は掛け声とともに、ほぼ水平に飛んだ。


 誰もが、木太刀は慎之介の胸を貫いたと見た。事実は藩士の頭上に、手刀が静止していた。


 藩主忠輝が、立ち上がっていた。藩士も、総員立ち上がった。拍手が沸き起った。


 披露試合の席で拍手がなされたことは、今だかって無い。勝者がいれば負者がいるからである。あちこちで感嘆の声が上がった。


 着替えも終わり、留守居役忠正に帰りの挨拶をと思った矢先。忠正が入って来た。


「早水殿、遅くなって失礼致した。藩主忠輝公からの話がござっての、仕官なさる気はござらぬか?忠輝公が是非と申されている」


「折角ですが、訳がございまして、仕官する気はありません」


 ときっぱり言う。


「訳とは何でござろう?お役に立てるかも知れません。お話下されぬか」


「申しわけございません。いずれお話しできるときがあるかも知れません。今はご容赦下さい」


「では、お願いがござる。関口流を、我が藩へご教授願えないか。もちろん日取りもお任せ致す」


「わかりました。お受けさせていただきます」


「かたじけない。それでは、日取り等について、打ち合わせさせていただきたい。明日でも明後日でも、都合の良い日と時間を決めて下されぬか」


「では、明後日、申の刻ではいかがですか」


「承知した。ただ、申し訳ないが、こちらへお出でいただけないか」


「はい、お伺いいたします」


「慎之介殿、本日は藩主忠輝はもとより、藩士一同感嘆つかまつった。改めてお礼申し上げる。これは、些少であるがお納めいただきたい」


 金子十両が差し出された。


 刻は午の刻を過ぎたばかりである。慎之介は藩邸を出ると、急ぎ帰宅した。衣服を改めると再び急ぎ出て行った。


 小太郎を訪ねたのである。


『男の約束は、守らなくてはならぬ』


 綾乃に会い行くのではない。慎之介は頭の中で繰り返した。


「失礼致す。早水です」


「はい、お入り下さいませ」


 綾乃は縫物を止めて急ぎ入口へ出た。胸はもう高鳴っていた。まさかとは思っていたが、本当に訪ねてくれた。


「小太郎はいますか」


 綾乃は一瞬言葉に詰まったが、


「小太郎を探して参ります。少しお待ち下さい」


 綾乃は出て行った。慎之介は上がり間口に座って悔やんだ。


『いや、今日は時間がたっぷりあります。小太郎の帰りを待ちましょう』


 と、どうして言えなかったのだ。さすれば、二人きりになれた。小太郎が帰るまで、色々話も出来た。


 この頃は、後悔ばかりする慎之介だった。


                      つづく