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      13.人を想う心

 本所診療所は、開院三日目だと言うのに、入口には子供を抱いた母親を先頭に八人が列をなしている。


 刻は明け六つ半(午前七時)。晋作が急ぎ足で列に挨拶をしながら入って行った。


「おはようございます。もう八人並んでいますよ」


「そうか、もう、そんなに並んでいるのか。準備に手間取ってしまった。どんな患者だ」


「子供を抱いた母親がいます。後は急を要す患者ではないと思います」


「子供が気にかかるな、直ぐ中に入れてくれ」


 母親は子供を抱いて入って来た。


「先生、昨日から熱が出て咳をするのです」


「まだ、少し熱があるね。さ、口を開けてごらん!」


 続いて胸、腕、背中と見て、最後に脈を診る。


「先生、麻疹ではないですか?」


「心配ないね。発疹が無いから風邪だね」


 自信に満ちて言う。


「多分、食欲がないから、食べようとしないと思う。おかゆにして少しずつ食べさせなさい。今は食べることが一番の薬だよ」


「薬草を出しておくから、朝と寝る前に煎じて飲ませなさい」


 源太の診察を聞いて、晋作は乾燥した薬草を合わせて小分けにし、母親に渡す。


「ありがとうございましす。おいくらですか?」


「三十二文です」


「すみません」


 母親は、思っていた金額より大分少ないので、驚いてもう一度、丁寧にお礼を言って帰って行った。この三日間の患者は、お腹が痛い、頭が痛い、おできが治らないとか直接的な症状が多い。


 源太が診察、晋作が薬調合と手際の良い分業で次から次へと患者を診てゆく。午前中にこれ迄で、二十一人の患者を診た。今、二十二人目である。


 二人には楽しみがあった。もうそろそろ千代が来るはずだ。千代は源太の調合した薬が効いたようで、開院初日から二人の弁当を、昼時に持参するのが、日課となっていた。


 源太も晋作もこの時間になると、そわそわして落ち着かない。入口を用もないのに振り返る。

 その時、引き戸が開いて、千代が入って来た。


「こんにちは」


 千代が入ったとたん、診療所内がぱーっと明るくなった。待っていた三人の患者も明るい表情に見える。


 千代は晋作に風呂敷包みを渡す。二人にとって、待ちに待った弁当である。いや、千代を待っていたという方が良いかも知れない。源太は立ち上がって、


「いつも、ありがとうございます」


 千代はにっこり笑って帰って行った。


 続いて、次の患者になる。


 いきなり、ぺこりと頭を下げて、


「すみません。治療代がありません。お腹が痛くて、昨日から仕事を休んでいます。仕事を始めたら必ず払いますから、治して下さい」


「何の仕事をしている?」


「大工をしています」


「そうか、それでは治療代はいらないよ。あなたの都合の良い時で良い。ここに棚を作って欲しい。もちろん材料費は別に払うよ」


「えっ、それで良いんですか?


「いいとも、それで痛いのはどのあたりかな?左下側だね。今も痛いかな?さっきは痛かったって。ふぅーむ、固く張ってるね」


「いててて!先生、もっと優しくして下さいよ」


「晋作先生。この人に薬を直ぐ飲ませて下さい。後、説明しておいて下さい。はい!次の人」


「苦いな!全部飲まなきゃだめですか?」


「全部飲んで下さい。一刻以内に便所へ行きたくなります。それで、治ります」


 午前中最後の一人が終わり、お弁当の時間である。二段のお重は、下段が胡麻ふりのおにぎりと香のもの、上段が色とりどりに並べられたお煮しめ。目にもおいしそうである。


 但馬屋に、慎之介が留守居役と接見した翌日、供の山中一馬が留守居役の書面を持って連絡に来た。五日後、幸橋内の江戸屋敷まで御足労いただきたい。また、藩主も同席する由との、丁寧な書面であった。


 慎之介は、さっそく伝兵衛に話すと、伝兵衛は自分のことのように喜び、支度の着物は但馬屋でさせていただきますと言う。番頭を呼びつけ、今日を含めて四日で確かな縫いが出来るのは誰だと聞く。番頭はきっぱり、綾乃さんですと言う。


 番頭は直ぐに小僧を綾乃の迎えにやらせた。半刻程で綾乃が但馬屋へ着いた。番頭が立ち上がり、


「急なことですみませんね」


 綾乃は慎之介に会えることだけ考えているので、嬉しくてしょうがない。だが、まさか慎之介の着物を縫うことになるとは、露程にも考えていない。


 番頭は慎之介の所へ行き、


「慎之介様、一緒にお願い致します」


 綾乃は驚いた。慎之介も一緒のようだ。一瞬、自分のことをみすかれたのかと、頬が熱くなった。そして、俯いてしまった。


 別室に入ると、


「綾乃さん、慎之介様に熨斗目(のしめ)を縫っていただきたいのです。日にちが今日を含めて四日しかありません。お願いできますか?」


 否応もない言い方である。しかし、綾乃にしてみれば例え一日であっても、縫う返事をしたであろう。


「はい、わかりました」


「では、早速ですが寸法を採っていただけますか?」


 番頭は、慎之介に立ち上がってもらうと、


「綾乃さん、よろしくお願いします」


 綾乃は夢かと思った。嬉しくて嬉しくて、身体中が喜びに満ちていた。


 綾乃は慎之介の体に触れる度に、胸がどきどき高鳴った。二人に聞こえやしないかと心配になった。


 肩幅の寸法を採るとき、後ろへ回った綾乃の頬に、慎之介の匂いがふっと漂ってきた。このまま、この時間が長く続いて欲しいと思った。


                                  つづく

          14.江戸患い

 慎之介は綾乃の指が、身体に触れる度に、甘く痺れるような気がした。前から後ろへと動く度に、微かに金木犀のような匂いがした。慎之介はふらっと身体ごと持って行かれそうな心地だったが、綾乃は平然と、しかも、手際よく寸法を採る。綾乃が憎らしい。


「ありがとうございました。寸法を採り終えました」

 綾乃の言葉に慎之介は、言葉にならず黙ってうなずく。


 番頭が言葉を引き継ぐように、


「慎之介様、お召し物は、こちらで選ばせていただいてよろしいですか?」


「それはもう、どうぞよろしくお願いいたします」


「出来上がりを楽しみにお待ちください」


「ありがとうございます。では、」


 と、慎之介は部屋を先に出た。なぜか名残惜しい気がする。綾乃とは側にいながら、一言の話すら出来なかった。話そうと思えば、いくらでもあったはずだ。”昨日はわざわざお礼に来られて恐縮しました”とか、”急な話で申し訳ありません”でもいいはずだ。それが言えない。言葉足らずの慎之介だった。


「では、綾乃さん生地を見てください」


 番頭は綾乃を連れて、店頭の反物置き場に行く。


 帳場の位置から、見えるところにあり、慎之介は気になるのか、何気ないふりをしてそちらを見る。


 ほどなくして、綾乃は慎之介ににっこり微笑み、


「心を込めて、お仕立てさせていただきます」


 と丁寧な挨拶をして帰って行った。


 診療所は、よくぞ病人がこんなにいたのかと思うほど、朝から毎日患者が列を作る。その数は日増しに増えて行く。見かねた軽微な患者が、治療の後、自主的に手伝って行く。包帯を洗ったり、掃除をしたり。治療用の作務衣まで洗ってくれる。


 それでも、源太と晋作は休む時間が殆どなく、二人は体力的に大分参って来た。千代の持参する弁当すら、ゆっくり食べていられない。その時、順番を無視して入って来た男が大声で、


「先生!ありがとうございました。あの後、直ぐありまして、治りました。今日は早速、棚つくりに来ました」


「おー!大工さん。よく来たね。ここに作ってくれないか」


「覚えていますよ。板を用意して来ました。直ぐ作りますよ」


「いや、今は患者さんがいる。もうじき昼だ、少し待ってくれ。そこに弁当があるから、食べてゆっくりしていてくれ」


「えぇーっ!いいですか!実は、腹空いてまして」


 大工は指をさされた風呂敷包みを解く。千代の作ったお重弁当を開けて、


「うわー!うまそー!豪華だなー!先生、本当に食べていいですか?」


「好きなだけ食べてくれ」


 源太は午前中最後の患者、年増の女中に向き直り、


「どうしましたか?」


「足のむくみがひどいのです。やっとここまで歩いて来ました。今、動機や息切れがします」


「江戸へはいつ来られました?そう、一年になる。食欲もない。ちょっとむくみを診てみましょう」


「江戸患いですね。白米を止めて玄米を食べて下さい。それと麦を混ぜるともっと良いですね。食欲がないでしょうが、薬と思って食べて下さい」


「先生、お薬は?」


「要りません。玄米と麦を食べることです」


「わかりました。ありがとうございました」


(江戸患いとは、今で言う脚気である。現在であればビタミンB1が知られているが、当時は無い。江戸を離れて地元へ帰ると不思議と完治したと言う)


 ようやく、二人の昼食となる。


「先生、いただきました。いやーうまかったですね。ご馳走さまでした」


「それは良かった。それでは晋作先生、我々も食べようか」


「先生、お茶をどうぞ!」


 ここのところ、毎日昼食時には、お茶と漬物を差し入れてくれる。最初の日の患者で、源太の隣に住む、大工の年増女房である。病状は頭痛持ちであった。


 食事中、トントンガシガシと金槌と鋸の音で少々うるさかったが、見事な棚が出来上がった。


「先生、どうですか?」


「良いね!これは助かる。晋作先生、ここに診断書と医学書を置いてくれ」


「わかりました。包帯もここに置いていいですか?」


「あと半分は空いているから、晋作先生に任せる」


「それから、大工さん、材料代はいくらかな?」


「先生、今の現場で余っている板でさ、棟梁に訳を言って貰ってきました。だから入りません。他に作るところとか、直すところはありませんか?」


「うん、今はない。ありがとう」


 大工は充実した嬉しそうな顔をして、帰って行った。


 帳場の慎之介は、綾乃の微笑みが思い出されてならない。せつなく胸が締め付けられるようだ。


 そうだ!一昨日、小太郎に悪いことをしてしまった。


”おじちゃん、来たばかりじゃないか遊ぼうよ”


 と言うのを無下に帰って来てしまった。小太郎とは遊ぶ約束をしていたはずだ。かわいそうなことをしてしまった。


 そうだ!今日は小太郎と約束をしていた。


「番頭さん。今日はこれで帰りますよ}


 慎之介はいそいそと但馬屋を後にした。


                              つづく

              15.手のぬくもり

 日暮れにはまだ遠く、昼八つ半を過ぎたばかりである。


(八つは午後二時~四時。八つ半は三時。おやつの語源となる)


 慎之介は団子を手土産に、逸る心のままに綾乃の長屋へ向かう。家が近ずくにつれ心が早鐘のようになる。


 しかし、なぜか後ろめたい気がする。本意は別にあるからだ。慎之介はそれを打ち消すかのように、私は、小太郎とのベーゴマの約束に行くのだ。先日、小太郎に寂しい思いをさせてしまった。今日はベーゴマ勝負だ。


 長屋の前では、思いがけなく小太郎が、一人でベーゴマで遊んでいる。


 ベーゴマに紐を巻き付けながら、ひょいと前を見ると慎之介が歩いてくるではないか。思わず小太郎は、


「おじちゃーん!来てくれたんだね」


 と慎之介に大声で言い、そして、家の中へ向かって、


「母上!おじちゃんが来たよ!」


 叫ぶように言うと、小太郎は慎之介に駆け寄り、飛びついた。


「おいら、ずーと待ってたんだよ」


「はい!お土産だ」


「わー!うれしいな!なーに」


「団子だよ」


「母上!おじちゃんのお土産!」


 綾乃は、急いで髪をそっと両手で撫でつけると、入口へ出た。


「いらっしゃいませ、どうぞお入りください」


「突然で申し訳ありません。先日お送りしたとき、小太郎君と遊ぶ約束をしていたのに、但馬屋に戻ってしまい、悪いことをしました。今日は時間が出来たので、約束に来ました」


「先日はありがとうございました。お忙しい中、返って申しわけありません。また、今日はお土産までいただきまして、ありがとうございます」


 と母親が言い終わるやいな、


「おじちゃん、ベーゴマしようよ」


 小太郎は待っていられなくて、話は終わりとばかり。慎之介の手を引っ張る。綾乃は、


「すみません。ご迷惑おかけ致します。よろしくお願い致します」


 と頭を下げるが、嬉しそうである。


「よし!やろう。今日は負けないぞ」


「おじちゃん!少しは強くなったか」


「この前は、運が悪かっただけさ」


「ふーん。じゃ、好きなベーゴマ選んでいいよ」


 慎之介はどのべーゴマを選んでも、小太郎のべーゴマに弾かれてしまう。終いには、小太郎の投げているべーゴマを、自分のものとして回すが、それでも勝てない。


 小太郎の投げるべーコマは、なぜか回転に力がある。慎之介の半分にも満たない身体のどこに、そんな力があるのだろうか。


 慎之介の幼少の頃、ベーゴマ遊びは余りしなかった。とは言え、十数回勝負して二度しか勝てない。


 夢中で遊んでいる内に、薄暗くなってきた。どこからか。うまそうな味噌汁の匂いが漂ってくる。


「小太郎!今日の勝負は負けだ!強いなー」


「おじちゃん、もう少し強くならなきゃ、おいらの相手にはなれないな」


 小太郎は胸を反らせて言う。


「よし、わかった。今度は負けないぞ!今日はおじさんの負けだ。終わりにしよう」


  小太郎は勝ち誇ったように慎之介を見て、入口の引き戸を開け、布を張った桶を土間に仕舞う。ベーゴマの勝負台である。


 今度は煮物の匂いが漂って来た。食欲をそそるうまそうな匂いは、家の中からだった。味噌汁の匂いも相まって、急にお腹が空いて来た。


 綾乃が急ぎ出て来て、


「慎之介様、お食事のご用意が出来ました。何にもありませんが、お召し上がりいただけませんか?」


「一緒に頂いていいのですか?」


「はい、そのつもりでご用意致しました。あり合わせで何もございませんが、どうぞ中へお上がり下さい」


 慎之介にとって、願ってもないことであった。


「おじちゃん、上がってよ」


 小太郎が先に上がって、慎之介の手を引く。


 一つしかない四畳半の部屋に、三つのお膳が用意されていた。お膳には里芋、人参、椎茸、牛蒡、大根の煮しめ。そして、きゅうりのぬか漬けが並んでいる。


 二人が座ると、ご飯と味噌汁が運ばれてきた。大根の味噌汁の匂いが一面に漂った。さっきのうまそうな匂いはここからだった。


 三人は揃っての食事。小太郎は嬉しそうだ。物心ついて初めて、母以外の人との食事である。自慢するように、


「おじちゃん、おいしいだろう。母上の作るご飯はおいしいよ。ねぇ、母上、これからもおじちゃんも一緒に食事しようよ!」


 綾乃は何を思ったのか、恥ずかしそうに下を向いた。そして思い直したように、


「慎之介様、お代わりはいかがですか?」


「お願いします。お煮しめおいしいですね」


「お口に合いましたか?嬉しゅうございます」


 慎之介にとっても。こうして食べるのは、藩を出てから三年ぶりのことである。


 大根の味噌汁のおいしいこと。煮干しだしの利いた白みそ仕立てが、大根の旨味を引き立てている。また、味噌加減の良いこと比類がない。


 きゅうりのぬか漬けは、ぱりっとした噛み応え、ぬかの香り、程よい塩加減。これのみでご飯を食べたいくらいである。


 料理は綾乃の人柄を見るようであった。


「どうぞ」


 と両手で差し出すご飯茶碗。受け取りながら慎之介の手が綾乃の手に触れた。偶然とは言え、二人の心は熱くなった。


 思わず二人は見つめ合った


                                 つづく