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  10、思わぬ道行き

 慎之介は走った。脇目も振らず走った。遠くで、綾乃の声が聞こえる。


「助けて下さい!誰か助けてください!」


 往来の人々は、遠巻きに見ているだけだ。相手が悪い。ならず者と見て手が出せない。


「うるせー!わめえたって無駄だぜ、誰も来やしねえよ!」


「今度わめーたら、この腕へし折るぞ!」


 追いついた慎之介は、二人の前に立つ。


「手を離せ!」


「若造!生意気な口を利くぜ!安!こいつを可愛がってやれ!」


 安は拳を構えて殴り掛かった。慎之介は、ひょいと右へ躱しながら、殴り掛かった安の左足を払った。勢いのあまり受け身もならず、顔面からどたりと蛙のように地面にへばった。


 それを目の前にした兄貴分は、素早く短刀の鞘を払い、真っ直ぐに突っかかって来た。間髪を入れずの動きは喧嘩慣れの技でである。右へ躱したばかりの慎之介、今度は左へ躱し、のめった男の後頭部を横殴りに殴った。


 男はへなへなと、座り込むように地面を這った。気を失ったようだ。


「綾乃さん大丈夫ですか?けがはありませんか?」


「はい!大丈夫です。助かりました。ありがとうございます」


 その時、安が鼻血まみれの顔で飛び起きた。兄貴の倒れた姿を見ると、そのまま逃げようとする。


「連れを介抱してやれ!」


 慎之介が言う。安は兄貴の肩を揺する。兄貴は一瞬きょとんとしたが、直ぐさに状況を思い出し、立ち上がると走った。五間ほど走ったところで、


「ばかやろー!覚えてろ!」


 と叫んで逃げて行った。


「綾乃さん、お送りします。ちょっと店まで戻りましょう」


 とはだしを指さし、


「ははは、」


 と笑う、綾乃は履物も履かず飛び出してきた慎之介に、心穏やかならず。涙が込み上げた来た。


 但馬屋に着くと、番頭が駆け寄って来た。全員総立ちである。


「大丈夫でしたか?」


「番頭さん、これから、綾乃さんを送って来ます」


「そうしていただけますか、よろしくお願いいたします」


 慎之介と綾乃の道行きである。二人はお互いに話したいことが山ほどにあるのに、一言も話せず。遠いはずの長屋が近すぎた。長屋では小太郎が母を待っていた。


「あっ、おじちゃん!来てくれたの?」


 母の帰りなどそっちのけで、満面の笑みで喜んだ。


「母上、ずるいよ。おじちゃんと一緒だなんて」


「違いますよ。帰りの途中で悪い男に連れて行かれそうになって、おじちゃんに助けていただいたのですよ」


 綾乃は改めて慎之介に向かって、


「今日はありがとうございました。どうぞ、お座り下さい。直ぐお茶を入れさせていただきます」


「いえ、まだ仕事が残っておりますので、店に戻ります」


 但馬屋では、都合のよい日に好きな時間にと言うことであり、戻る必要はないのである。


「おじちゃん、帰っちゃだめだよ。来たばかりじゃないか。おいらと遊ぼうよ」


「小太郎ごめんね。これから但馬屋へ戻らなくてはならない。また遊びに来る」


「いつ来るの?」


「明後日になると思う」


「じゃ、必ずだよ。おいら待ってるよ」


 慎之介は但馬屋へ戻った。


 番頭は帰って来た慎之介を見て、あれっと言うような顔をしたが、


「お帰りなさいませ。ありがとうございました」


 とお礼を言う。


 慎之介は帳場に座り、後悔した。あのまま、小太郎と一緒に遊んでやれば良かった。なぜ、自分の思いと違うことばかりしてしまうのだろう。


 空き家の侍屋敷では、早仕舞いをした十郎と源太と晋作が車座になって話し合っていた。


「先生、表通りはどこも空きがありません。それに、手続きが何かと面倒のようです。それと、表通りの建物では、初めての診療所には大きすぎます」


 と源太が言う。


「で、どうする」


「実は、私の長屋に空きがございます。大家さんにそれとなく聞きましたところ、診療所なら是非とも使っていただきたいと言っておます」


「それは良い。晋作、お前はどう思う?」


「はい、私も近くに住んでおりますので先生が良ろしければ、異存はありません」


「よし、源太、そこに決まりだ」


「先生、お願いがございます。晋作と相談したのですが、お預かりしているお金のことでございます。大金ですので、夜も落ち落ち眠れません。先生がお持ちいただけないでしょうか?」


「うーん。そうか、それは心労をかけたな。すまん!」


「それでは、私の家まで運んでくれ。丁度良い機会だ、私の長屋も知っておいた方が良い。それから、ついでと言ってはなんだが、妹が患っている。診てくれないか?」


「はい、承知いたしました。以前にお聞きしました妹御さんですね」


「そうだ、よろしく頼む。では源太、家に案内しろ。晋作、一緒に行くぞ!」


 源太の家では、千二百三十両を三人で音のしないように数えた。


「診療所の資金はどのくらいかかるかな?」


 十郎が二人に聞く。


「まず、用意する薬代に百両程、医療器具や診療台の製作で百両程、家賃や診療所としての調度品に五拾両ぐらいでしょうか?合わせて弐百五拾両程です」


「源太が答える。


「晋作それでいいか?」


「はい、私もそう思います。ただ、診療代金はいかがいたしましょうか?」


 晋作の言葉を待っていたかのように、十郎は即座に答えた。


「一番大事なことだ。誰でも無理なく払える金額が良い。蕎麦の値段の十六文ではどうだ」


「それでは、薬代も出ません」


「と源太が言う。


「うん、そこだ。薬代は実費を別料金としてはどうだ。但し、生活に窮している者は払えないだろう。しかし、命は掛け替えがない。


君たちも診療所開設は、そこを考えてのことだったはずだ。当座の金はある。いずれ方法は考えるとして、貸しと言うことにしたらどうだ」


 源太は晋作と頷き合って、


「先生が、そうおっしゃるなら、そう致します」


「ありがとう。他にも考えがあってな」


 十郎は含みのある顔をした。


「それでは、薬代百両、医療器具百両、家賃と調度品の五十両合わせて二百五十両。それに君たちの俸給、月に三両としてとりあえず半年分十八両。二人合わせて三十六両。何があるかわからないから雑費として十四両。合計三百両。ここから分けてくれ」


「私たちの給金は多すぎます」


 源太と晋作は口々に言う。


「人の命を預かる大事な仕事だ。少ないくらいだ。しばらくは、これで勘弁してくれ」


 十郎の長屋に二人は同行した。


「ただいま、千代!お客さんだ」


 今日は、大分具合がいいのか、座って縫物をしていた。縫物をそばに置くと、二人に両手をついて丁寧に挨拶をする。


 病のせいもあるが、抜けるような白い顔に、澄んだ切れ長の目、鼻筋通り小さく閉じられた口。気品さえ感じられる美しい顔。


 源太も晋作もどぎまぎした。十郎の妹御とは思えない。


                                  つづく

    11、関口新心流

「おい!突っ立ってないで上がれ!お茶ぐらい飲んで行け!」


 言葉を失い、緊張して突っ立ったままの二人へ十郎は言う。


「失礼致します」


 二人は口々に言い、一間限りの四畳半の座敷へ上がる。まだ緊張しているようで、背中に物差しが入っているような座り方をしている。


「ところで、お前たちの勤めはどうなっている?」


「はい、一昨日二人一緒に辞めました」


 源太が言う。


「よく、辞めさせてくれたな」


「大分引き止められましたが、決心が変わらないと判断されたのか、いつでも帰って来いと言われました」


 続いて晋作が、


「私のところは、書生志願者が多いものですから、あっさりしたものでした」

 と少し寂しそうに言う。


「わかった。医は仁術なりだ。辞めるにも対応があるということだ。お前たちに一番大事なことは、一日でも早く、誰でもいつでも診てくれる診療所を開くことだ。明日からも心して動いてくれ」


 千代は、話の邪魔にならぬようにと気遣ってか、黙って三人の前にお茶を出す。十郎は、その千代を見て思い出したように、


「源太!千代の病を診てくれないか?」


 源太は、余りの突然にびっくりしたが、嬉しそうに、


「はい、わかりました」


 と千代に向き直り、医者を自覚したのか落ち着き払って、


「千代さん、それでは少し質問をさせて下さい」


 千代はその場に座り直し、源太の質問に答える。五つの質問に答えると、


「失礼ですが、左手をお貸し下さい」


 源太は、千代の左手首に軽く三本の指を当てて脈を診る。続いて右手を診た後、にっこりと千代に微笑みかけ、


「体調は良いですね。ご安心下さい。心配はいりません。明日、お薬をお持ちします.」


 と千代に言い、十郎に向かって、


「先生、労咳ではないかも知れません。明日お薬をお持ちします。それで、少し様子を診てみましょう」


 源太は自信に満ちていた。確信があったのだ。


 それを聞いて、千代は嬉しそうな顔をして、頼もしそうに源太を見た。源太はその眼差しを受けて、急に照れた。照れて俯いた。医者から日頃の自分に戻っていた。


(当時、栄養失調状態で風邪を引き、それが長引き、咳や痰を伴い高熱を繰り返すと、労咳と誤診され易かった。吐血も大小の気泡が混じらなければ労咳ではない)


 但馬屋に次の朝、供を連れた武士が訪ねて来た。奥座敷で但馬屋伝兵衛としばらく話したのち、供を連れて帰って行った。


 慎之介が店に着いたのが、その四半刻後であった。直ぐ伝兵衛に奥座敷へ呼ばれた。


「早水様、昨日の武勇伝のこと、存じませんでした。先程、番頭から聞きました。綾乃さんのことありがとうございました」


 と頭を下げ、


「それに致しましても、町中の噂になっているそうです。短刀を振りかざした、二人のやくざ者を素手で叩きのめしたそうですね。それが目にも止まらぬと言いますか、一瞬のことだったそうです。まして、この二人は界隈では有名な札付きの悪です。誰も手が付けられません。言いなりでした」


「但馬屋には、凄いお侍さんがいると持ちきりだそうです。私は鼻が高こうございます」


「・・・・・・・・・・・・・」


 慎之介は何と答えていいものかと、言葉が返せない。


「実は、先程、立派な成りのお武家様がお出でになりまして、早水様のことを色々お尋ねになります。迂闊にお返事は出来ないと思いまして、どう言うことですかと伺いますと、昨日のことでございました」


 伝兵衛は嬉しそうに話を続ける。


「関口流とか何とかおっしゃっておられますので、私には何のことやらわかりませんと申し上げますと、お武家様は、ふとお考えになり、今日夕刻に、早水殿を迎えに来るが良いか、との申し出でがございました」


「人品といい、温厚な話しぶり、決して悪い話ではないと思いまして、勝手にご承知いたしました。よろしゅうございましたか?」


とおもねるように言う。


「わかりました。参りましょう」


 と慎之介が平静に言う。


 但馬屋は、ほっとしたのか、自分のことのように嬉しそうだ。


 帳場に戻った慎之介は、綾乃のことが気になって仕方がない。昨日は、せっかく、お茶を入れますと言うのを帰って来てしまった。


 あの時の綾乃の寂し気な顔が忘れられない。慎之介は自分の中の矛盾に腹立たしかった。


 刻は過ぎ行く。夕七つ下がり。(午後四時過ぎ)


 但馬屋の店先に、今朝の武士の供であろう侍が訪ねて来た。


                                  つづく

                 12、思えば叶う

「失礼いたす。早水殿はおられるか?」


 その侍は丁寧に問うた。番頭は直ぐさま慎之介を見て、


「早水様、お客様です」


 慎之介は帳場を離れ、侍の前に立つ。


「私が早水です」


「早水殿ですか、拙者山中一馬と申します。お迎えに参りました。今朝ほど、但馬屋殿にお話し致しましたが、お聞きお呼びでございますか?」


「伺っております」


「それでは、拙者に御同道下さいますか?」


「わかりました。では、少しお待ち下さい」


 慎之介は一旦奥へ入ると、伝兵衛と一緒に出て来た。


「参りましょう」


「御足労おかけ致します」


 侍は伝兵衛にも会釈をして、慎之介と出て行った。


 二人はそこから然程遠くない、街中の料亭嵯峨野に入って行った。女中の案内で部屋に通されると、老年の温厚そうな武士が、にこやかに、


「御足労おかけ致しました。どうぞ、お座り下さい」


 慎之介は、過去の藩名等述べず一言、


「早水慎之介にございます」


 慎之介の挨拶を受け、


「私は、坂江藩江戸留守居役を務めます、井上忠正です。昨日は見事なお働きとのこと、聞き及んでいます」


「お恥ずかしい次第でございます。して御用の向きは?」


 単刀直入な慎之介の問いに、にこやかな表情を崩さず、


「失礼を致した。実は藩士が通りがかりに、素足で駆け行く男を見た。その先には女中の助けての声。藩士も手助けをと一緒に走った。しかし、駆けつけた先では一瞬にして決着した」


「しかも、短刀に素手。ましてやあの駆け足の後、息が上がっていたはず、それが無い。並々ならぬ遣い手と、失礼ながら貴殿の後を追ったようです。その藩士は我が藩の師範代を務めています」


 と一気に話して、


「早水殿、何流をお遣いなさる」


「関口新心流にございます」


「なんと!関口流にござるか。やはり、師範の申す通りだ。いかがかな、その技をご披露いただけませんかな?世は太平に慣れ切り、武士の本分を忘れかけている」


「我が藩では、平時にこそ、武道による精神性の向上が大事と、藩主自ら励んでおられます。ゆえに紀州藩の関口流は、特に気に留めておられたところです。ところが、門外不出というか、一切学ぶ手段がありません。幻の流派とさえ言われています。早水殿、是非ご披露いただけないであろうか、お願い申し上げる」


 いきなり、留守居役忠正は両手をついた。


 藩主から関口流導入の命を、再三再四受けていたが、どうにも為す術がなかった。


(紀州藩では、藩主徳川頼信から八代将軍吉宗に至るまで、代々関口流を近侍・小姓に稽古をさせていたと言う)


「どうぞ、お手をお上げ下さい。お役に立つのであれば、ご披露させていただきます」


  慎之介の脳裏に三年前のことが去来した。


 父早水久忠は関口流を学び郡川藩指南役となるが、在住の師である関口柔心が紀州藩に招かれると、稽古の厳しい関口流は自然と火が消えたようになった。


 久忠は病がちになり、藩試合で他流に指南役を取られてしまった。


 父久忠は関口先生に申し訳ないと切腹して果てた。その時の慎之介の技量は、父久忠を遥かに凌いでいた。慎之介であれば、藩試合に負けるはずがなかったのである。しかし、何を思ってか、父は慎之介を出さなかった。慎之介二十一歳。


 父の死に母は気落ちしたのか、後を追うように亡くなった。


 藩は嫡子慎之介がいるにもかかわらず、改易とした。これが仕組まれたことと知ったのは、江戸へ来て一年後のことであった。


 残された妹と江戸へ出た。慣れぬ妹を庇い、二十一日の長旅となった。


 江戸に着いてからも、妹は精神的に肉体的に疲労が重なったのか、寝たきりとなり、二か月後亡くなった。


 当時、薬代はおろか、食うに困った。剣術は何の役にも立たなかった。仕事は、大工雑役から何でも厭わず働いた。今思えば十郎と同じように両刀をなぜ売らなかった。悔いが残る。


 留守居役忠正は安堵の顔をして、


「早水殿、江戸に来られる前はいずれの藩におられましたか?」


「大和郡川藩にございました」


「なるほど、合点がいきました。確か、関口柔心先生がおられたところ。その後、先生は紀州藩に招かれたわけですね。藩主の特命を受けて、関口流の指南役を探しておりました。早、二年になります。実は、早水久忠氏のお名前は調べ着いておりました」


「今朝、但馬屋殿から早水様と聞いたとき、もしやと思い、逸る気持ちを抑え、夕刻に再訪すると約束をさせていただいた。早水殿はもしや・・・」


「はい、そうです。嫡男にございます。父久忠より皆伝を許されました」


「おおー!」


 と留守居役は声を上げた。そして、慎之介の両手を取り、


「こんな偶然があるものか、思えば叶うと言うが・・・・・」


 と後は言葉にならず、涙を必死に堪える。


 留守居役忠正は気を取り直し、満面に笑みを浮かべ、


「早水殿、明日、殿と打ち合わせを致し、改めて日取りをお知らせいたしたいが、ご都合はありませんか?」


「私は、いつでも構いません。どうぞよろしくお願いいたします」


                               つづく