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     30.人に華あり 

 「うーん。一反も売れなかったか」


 と喜兵衛は唸った。がすぐ手代に聞いた。


「若女将はどうしている?」


「はい!いつもと変わらず、明るくいらっしゃいます」


「確かお客様は沢山お見えになったようだったな」


「はい、それはそれは次から次へと大変な賑わいでした。室町界隈では、私がお勤めさせていただきまして初めての事でございます」


「それはここからも見えていた。何か変わったことはなかったか?」


「旦那様、男のお客様が半分ほどいらっしゃいました」


「珍しいこともあるもんだ」


「ただ、大工やとび職のような人ばかりで、とても反物を買うような人には見えませんでした」


「女のお客様はどんなだった?」


「いつもお店に来られるようなお客様とは全然違います。お品物をお買い求めいただくようなお客様とは違うような気がいたしました」


「他に変ったことはなかったか?」


 この手代は但馬屋に働く手代三人の中の一人である。次期番頭に一番近い手代である。喜兵衛がおみつの手助けに付けた。


「女のお客様達は一つ一つ丁寧に、何度もあれこれと見比べていらっしゃいました」


 喜兵衛の目がきらりと光った。手代は気付かなかった。


「ご苦労様だったね、明日もよろしく頼むよ」


 朝から空高く晴れ渡り、初夏の涼しい朝風が道行く人の頬を気持ちよく撫でて行った。


 おみつは良太を送り出し、太一郎を母佳代に預けた。裏口から店に入ったのは明け六つ半であった。間もなく手代が来た。


 飛びっきり明るい声で、


「おはようございます!」


「おはようございます!今日もよろしくお願いしますね」


 手代は早速板敷の間の雑巾がけを始めた。


 おみつは陳列した反物を一反ずつ巻き戻し、今日は三尺ずつほどいた。一尺長くほどいただけでより反物の特徴が出た。八畳の陳列の場が華やかになった。昨日から三尺にすれば良かったと反省した。


 店の前を掃いて、手代が戻ってきた。


「若女将さん、お客様が五人待っていらっしゃいます」


「そう!もう直ぐ五つ(八時)になるわね。入っていただいて下さいな」


 五人の内二人は若い夫婦、


「あった!これだ!どう?」


「これ買ってくれるの?嬉しい!本当に綺麗な柄ね」


「マーちゃんの方が綺麗だよ。これ二番目!」


 隣にいた大工風の男はおみつの所に真っ直ぐ進んで来て、


「おかみさん!ちょっと来て下さい。あれ買います」


 手代がそれを見て、お金大丈夫だろうかと見ていると、その大工は板敷の前に来て、その上にきんちゃく袋を逆さまにして、お金を全部出した。小粒などで三両以上ある。


 後の二人は母親と娘であろうか、娘が頷くと母親は嬉しそうに、


「お父さんがお前の為に残してくれたお金だよ。これを着てお墓参りに行こうね。お父さん喜ぶよ。お前の晴れ姿を見るまでは・・・が口癖だったもの」


「お母さんありがとう」


 娘は涙ぐんでいた。母娘は買って行った。


 開店前に三反の反物が売れた。


 開店してからの売れ行きは凄かった。


 午前中に十二反売れ、午後はさらに十四反売れた。合計で二十九反である。


 おみつも手代も客の対応に追われた。休む間など寸暇も無く、やっと閉店を迎えた。


 お客様同士の、同じ品の奪い合いが無ければもっと売れたであろう。全てが一点ものだけに当然と言えば当然である。


 在庫をどんどん店頭に追加したが次から次へと売れていく。


 在庫は後三十六反となった。二日後に次の洗い張りやより新たに十反仕上がって来る。しかし、明日から二日間の反物在庫が心配である。


 昨日売れなかったのは、高級反物が安価で買えるとは言え、庶民には大金であり、それだけの大金を持ち歩いているはずが無い 。又、高額な反物だけに家族などとの相談を必要とした。


 売れた理由の最大の理由は、高値の花と思っていた高級着物が、ちょっと手を伸ばせば買える金額になっていたからである。


 口コミが口コミを呼び、客の絶えることは無かった。三日目は十二反、四日目は十三反と安定して売れ続けた。


 但馬屋の売り上げも増えた。不要な着物を買い取ってくれると評判が立ち、新たな客が増えたからである。番頭は率先して買い上げをするようになった。


 喜兵衛は但馬屋との客の奪い合いを密かに恐れていたが、それは取り越し苦労だった。


 但馬屋とおみつの店とは明らかに客層が違った。まして、売掛無しの現金販売である。当時呉服屋では珍しいことであった。


 おみつの洗い張り呉服屋は客が日増しに増えて行った。僅か三か月で秋には繁盛店として江戸中に名を知らしめた。


 喜兵衛はもちろんのこと、江戸中の呉服屋は驚いた。


 客が詰めかけたのは商品にあった。洗い張りした反物が華々と飾られ販売されていた。一流の反物が通常の三分の一以下で買えるのである。


 女性の口コミは早かった。まず室町や両国で知られることとなり、あっという間に江戸中に広がった。


 今では客に紛れて、呉服屋が様子を見に来ているようだ。


 その観察によると女将が素晴らしいと言う。


 江戸に美人の女将ならいくらでもいる。愛想の良い女将もいくらでもいた。しかし、その女将はおみつは大きく違った。不思議な光を放っていたのである。


 おみつが店にいるだけで店内が明るくなった。それは光の明るさや賑わいの明るさではない。心が明るくなると言ったら良いのだろうか、客は心に喜びに似た安堵感を持った。そして、心から朗らかになった。


 現代ではこのような現象をオーラが漂っているというが、オーラはある一定の期間を過ぎると消えていく。


 おみつの存在感と人を惹き付ける不思議な魅力は生涯続いた。消えることは無かった。


 これを華と言う。この華は人に咲く。


 おみつの持って生まれた華である。しかし、この華は努力が無ければ決して咲かない。おみつは見事に咲かせた。そして今、大輪の華に向かって咲き続けている。


 喜兵衛は呉服屋として、良太は茶室の匠として華が咲いた。これもたゆまぬ努力があって咲いた華である。おみつの華には及ばぬが、男としての見事な華を咲かせた。


 どんな人でも、必ず華の種子を持つ。それを気付かずに、咲かせずにいる人の何と多いことか。


〝人に華あり〟


                                    完

長い間ご愛読下さいましてありがとうございました。


来週18日は新作創案によりお休みいたします。


 次回は25日火曜日より新作スタートいたします。

どうぞご期待下さいますようお願い申し上げます。


内野博人