Shopping Cart
Your Cart is Empty
Quantity:
Subtotal
Taxes
Shipping
Total
There was an error with PayPalClick here to try again
CelebrateThank you for your business!You should be receiving an order confirmation from Paypal shortly.Exit Shopping Cart

              23.おててつないで

 「はい!」


 二人は同時に返事をした。おみつは急ぎ駆け寄り、引き戸を開けた。


「おみっちゃん、おはよう!」


 やさしい佳代の声である。


「おはようございます!」


「御来客でしたか?」


 三右衛門の姿を目にして佳代は言う。


「はい、深川の親です・・・・・」


「・・・・・・・」


佳代に言葉が無かった。


 みるみる驚愕の顔に変わった。見覚えがあった。十六年の歳月、忘れたことの無い顔であった。佳代はその場に崩れるように土下座した。


 三右衛門は立ち上がると佳代のそばに行った。


「御母さん、良く覚えていましたね。どうぞお上がり下さい。そこではお話が出来ません」


「ありがとうございます。ありがとうございます。何とお礼申し上げてよろしいか・・・・・」


「さ、さ、お上がりください!」


 佳代はおみつに支えられるようにして土間から部屋に上がった。上がるとすぐさま両手をついて、


「申し訳ありませんでした・・・・・」


「どうぞ、お顔をお上げ下さい。お話が出来ません。お身体の具合いかがですか?」


「えっ?」


「お風邪を召されたとお聞きしましたが?」


「昨日お伺いされた三右衛門様でいらっしゃいますか?」


「そうです。ご挨拶が遅れました。三右衛門と申します」


「こちらこそ大変失礼いたしました。丹波屋の家内、佳代と申します」


「おみつから、事のあらましを聞き少し心配になったものですから、お伺いしました」


「存じ上げぬこととは言え、大変失礼いたしました」


「お伺いして安心しました。その話を今、二人にしていたところです」


「おみつをここまでお育ていただきましてありがとうございました。何と申し上げて良いのやら、あまりにもことが大きすぎまして言葉が見つかりません」


「いえいえ、私こそ感謝いたしております。おみつを預かることがなければ、男一人です。無味乾燥な生き方をしていたと思います。こちらこそお礼を言います。しかし、子育ては私ではありません」


 ここで、三右衛門は言葉をのんだ。そして、視線を天井に向け、


「年老いたお手伝いがおりました。五年前に身罷りましたが、おみつの躾や身の回りの世話をしておりました。おみつはこの婆やに育てられました」


 おみつは、袂で両目を抑えている。


 佳代はいたたまれなかったが、俯いたまま身じろぎもしなかった。


「却って辛い話をしてしまいましたね。話がそれてしまいました。私にとって、おみつを預からせていただいたのは本当に幸せな事でした。それが言いたかったのです」


 三右衛門は心の中で違う違うと叫んでいた。表情にこそ表さなかったが、おみつはわが子であった。私は親である。今でもそう思っている。


 寒い冬の夜は、私の布団の中で私の腕の中で丸くなって寝た。婆やが起こしに来ても腕にしがみついて寝たふりをした。


 どこに行くにもついて来た。そして、いつも手をつないでくる。厠以外は手を離さなかった。婆やが呆れてその手を縛ってあげますと笑っていた。十五年も前の話だが昨日のことのように思い出す。


 そのおみつがもう直ぐ母親になる。今は幸せを願うだけである。


「御母さん!これからよろしくお願いしますね。子供が生まれると聞いても私には何にも出来ません。お母さんの出番ですよ。これが運命と言うものです」


 佳代には三右衛門の優しさが痛い程わかった。声を震わせて、


「ありがとうございます。お心、身に染みてございます」


「さ、おみつ!これで安心だ!何でも教えていただくのだよ」


「はい!」


「おみつ!こんな嬉しい時に泣いてどうする」


 おみつは、心の中で三右衛門に手を合わせた。


 次の日、佳代は喜兵衛を伴って三右衛門を訪ねた。


 お礼で済むことではないと、喜兵衛もわかっていた。しかし、その心情を表すにはそれしかなかった。三右衛門は頑として受け取らなかった。


 しかし、三右衛門は一廻り人生が長かった。それでは、ここに寺小屋を開く。机を寄贈願いたいと申し出た。

 寺小屋はふた月もしない内に子どもや大人で溢れるようになった。多い日は五十人を越えた。


 もう、畑仕事は出来る状態では無くなった。しかし、寄贈の米や野菜だけで食うに余りあるようになった。


 しかも、畑仕事はみんなで交代で手伝っていくから、作業するところが直ぐ無くなるほどであった。


 三右衛門は先生と言われ、神様扱いだった。


 三右衛門は読み書きや算術を教えた。本人には何の苦も無きささやかなことだったが、人の為になったようだ。人の為になることが、こんなに幸せな気持ちになれるとは、三右衛門は想像だにしなかった。


 今年五十六年の人生である。今、三右衛門の心に華が咲いていた。


 そんなある日、若い男が駆け込んで来た。


「先生!おみつさんに子供が生まれました。男の子だそうです」


                                 つづく

 次回24回は5月30日火曜日です。