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            21.喜兵衛の杞憂

 喜兵衛がおみつのところへ戻ってから、四半刻程して良太が帰って来た。


「ただいま!」


 声と同時に引き戸を開けた。


「突然に失礼致しております」


 喜兵衛と佳代は正座に座り直し、両手をついて丁寧に挨拶をする。


「良太さん、ごめんなさい!何も話さなくて、実は・・・父と母です」


 立派な成りをした二人が丁寧な挨拶をしている。良太には状況が呑み込めず、おみつの顔を見返す。


「良太さん、ごめんなさい。訪ねてくれたのです」


「どう言うことだ」


 良太は憮然として言う。


「良太殿、お話させていただけませんか?」


 喜兵衛が顔を上げて言う。良太が顔を向ける。


「お怒りは当然のことと思います。身勝手な親ですが、やっと子供に巡り会うことが出来ました。十六年ぶりのことでございます」


「余りの嬉しさに礼儀を踏み外しました。誠にご無礼を致しました。改めて出直して参ります」


 喜兵衛は佳代を促し立ち上がった。


「お待ちください。どうぞ、お座り下さい」


 良太は土間に立ったままである。おみつの用意した足盥で足を素早く洗い拭った。


「良太さん、ごめんなさい」


 おみつは事の重大さに真っ青になっている。


「良いんだ、心配しなくても良い」


 良太は上がると二人の前に正座して座る。


「知らぬこととは言え、失礼を致しました。良太と申します」


 と丁寧な挨拶をする。


 喜兵衛と佳代は身を縮めるように正座をし直し、改めて挨拶をする。


「私は喜兵衛と申します。室町に呉服屋を営んでおります。これは家内の佳代でございます」


「今さら親めいたことを申すわけではございませんが、おみつを幸せにして下さりありがとうございます。こんなにありがたいことはありません。心からお礼申し上げます」


「良くここがおわかりでしたね」


 良太がやっと口を利いた。


「はい、偶然のことでございます。今から十六年前、親の身勝手からおみつを茶店に置き去りにしていまいました。その後、思い直してその茶店に行ってみました。しかし、すでにもう遅く見つかりませんでした」


「八方手を尽くしたつもりでおりました。この頃ではせめて生きていて欲しいと思うようになりました。それでも、おみつのことを思い出すと針のむしろに座っているようでした」


「二月程前、その茶店の女将からおみつさんらしい人がお店に訪れたと知らせてくれました。深川の永代寺付近に住んでいると言うことでした」


「永代寺近辺を二か月間探しました。どうしても探し出せませんでした。ところが、偶然立ち寄った永代寺前の蕎麦屋さんのつながりで、ここがわかりました」


「それが四日前です。そして今日です。誠に身勝手な親です。良太殿には大変なご無礼を致しました。どうかお許し下さい」


 喜兵衛はまた両手をついてお詫びする。佳代も一緒にお詫びをする。


「どうぞ、頭をお上げ下さい。良くお出で下さいました」


 そばでおみつが顔に両手を当てて肩を震わせている。


「何もお話ししなくてすみませんでした」


 おみつは、その手を前について心から詫びた。


 四日前に両親が訪れたとき良太に話して置けば良かったのである。余計な心配をさせてはいけないと気を遣ったのはいけなかった。


「何を言うんだ!良かったね。実はご両親のことは、私も気になっていたんだよ。子供が生まれるから、余計な心配をさせてはいけないと黙っていたんだ。良かったね!」


「はい、ありがとうございます」


「おやおや、涙顔じゃないか。今日は目出度い日だぞ!私に新たにお父さんとお母さんが出来たのだ。お祝いだな!お酒を出してくれ。お猪口四つね」


「はい!」


 おみつは嬉しそうに立ち上がった。


 喜兵衛は良太のさばけた物言いに良太の人間を知った。


 おみつは買い置きの五合徳利から銚子に移し、四つのお猪口と一緒に運んで来た。


「おみつ、お前も一緒に座りなさい」


 四人は向き合って座った。良太は喜兵衛と佳代のお猪口に酒を注いだ。喜兵衛は、


「それでは、私が」


 と銚子を借り受け、良太とおみつのお猪口に注いだ。良太はお猪口を持ち上げると、


「お父さんお母さん、よろしくお願いします」


 四人で乾杯をした。喜兵衛もすかさず、


「こちらこそよろしくお願いします。おみつをよろしくお願いします」


 佳代は飲めないらしいが、縁起よろしく口を付けた。


「おみつ、何かつまみを出してくれ。お父さんと一緒に飲む。良いでしょう、お父さん!」


 喜兵衛は生まれて初めてお父さんと呼ばれた。くすぐったいような嬉しい気持ちになった。その時、


「鰻善です!こちらでよろしいですか?」


「うなよし?うなぎ?家ではないな!間違いだ。他所だろう」


「ここだ!すまないね」


「あっ、旦那!お人が悪いびっくりしやした」

「そこに置いてくれ、後はこちらでやる」


 鰻屋が帰ると、


「良太殿すみません。先程、良太殿がもう直ぐお帰りになると聞いたものですから、近頃流行の鰻屋が近くにあったのを思い出し、是非食べて貰いたいと思いまして頼んで来てしまいました」


 良い匂いが部屋中に広がっている。食欲をそそる匂いだ。良太もおみつも初めての匂いだったが、なぜか食欲をそそる。


「勝手な振舞い申し訳ありません」


 良太は仕事場で鰻の噂は聞いていた。うまさは天下一品だそうだ。その上精が付くと言う。ただし、値段が張るので棟梁にでもならなきゃ食べられないと兄弟子は言う。その鰻が目の前にある。しかもいい匂いが漂っている。


「どうぞ!召し上がって下さい」


 鰻重の蓋を取るとさらに濃厚な良い匂いが立ち上がってきた。蓋を取ると重の上には柔らかそうな照り焼き風の魚がぎっしり敷き詰められている。


 これが鰻と言うものか。良太は鰻重を抱えて箸で一口大にして口に入れた。うまい!この世にこんなうまいものがあったのかと思った。箸が止まらない。一気に食べてしまった。


 おみつも初めての鰻だった。食べながらこれは身体に良いものだと直感で感じた。口の中に旨味が広がって行く。柔らかな食感にご飯の粒がまじり合う。ゆっくり味わって食べようと思った。


「良太さん、これも召し上がっていただけませんか?食欲が無いものですから」


 佳代が手つかずの鰻重を差し出す。佳代は良太が美味しそうに食べるのを見て、自分の分も食べて貰おうと思った。嬉しかった。喜兵衛が用意した鰻重をどんどん夢中で食べている。本当に自分の子供のような気がした。


「良いのですか?遠慮しませんよ」


「はい、助かります。どうしょうかと思っていたのです」


「佳代良かったね。では、私のを少し手伝って貰えないかな?」


「いいえ、無理です」


 佳代が言うと、すかさず良太が、


「お父さん!では残して下さい。私いただきますから」


 喜兵衛の杞憂は必要なかった。酒をゆっくり口に含んだ。にこやかににこやかに、三人を見守るように飲み始めた。


                                 つづく

次回22回は5月16日火曜日です。