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         人に華あり 

     1、女すり

 いつの間にか、ひゅうひゅうと風が音を立てて吹いている。


 師走の半ばも過ぎた。世間は慌ただしさの真っ只中。しかし、本所の裏通りは、まだ宵の口と言うのに、人の通りは少ない。


 どの裏長屋も寒さしのぎに、小さな火鉢を囲み、身体を寄せ合い、暖を摂っていた。寒い夜だった。


 静けさを打ち破るように、


「どんどんどん!どんどんどん!」


 裏長屋の一軒を叩く音がする。


「開けろ!早く開けろ!」


「そんなに叩かなくても、聞こえてるよ」


 一人息子の良太は、ガタピシと建て付けの悪い引き戸を開ける。


 親子して大工なら、簡単に治せるものを、医者の不養生ならず、大工の不養生だ。


 親父はよろけながら、上がり込むと、


「酒だ!酒をくれ」


「おまえさん、酒なんぞないよ。昨日全部飲んじまったじゃないか」


「じゃ、買って来い!」


「おまえさん、お忘れかい?さっき、良太の手間賃まで持っていったじゃないかい」


 女房のおきみは、さらりと言ってのける。一度や二度のことでは無いと見える。


「馬鹿やろー!あれっきしの金。もう飲んじまったよ。早く買って来い。


「おまえさん、明日のお米もないんだよ。どうするんだよ」


「お父っつあん!良い加減にしねーか!」


堪りかねて良太が言う。


「おめえー、親に向かって口答えするのか!誰のおかげで、大きくなったんだよ!」


 赤い顔をさらに赤くし、良太に指を指し、


「いつまで経っても半人前。見習いも三年続けりゃ、大方一人前だ。てめーはいまだに屑拾い。このでくの棒!」


「あんた!それはないよ。この子は要領が悪いんだよ。あんたの子だよ」


「馬鹿やろー!俺の子が、こんなでくの棒のはずがねえ。こいつ誰の子だ!」


「おまえさん、よーく言っておいでだね。言って良いことと悪いことがあるよ」


 女房のおきみは、その場に突っ伏して、おいおい声を上げて泣き出した。


「うるせー!辛気くせえぞ!出てけー」


 親父は女房おきみの襟首をつかみ引きずる。外へ出すつもりだ。


 我慢もこれまでだ。良太は立ち上がり、親父の頭を思いっきり殴った。親父はそのまま仰向けに倒れた。しかし、倒れた場所が悪かった。柱に直撃だった。


 そのままピクリともしない。幸い出血はないようだが、目を閉じたまま動かない。女房のおきみが、大声で親父の身体を揺すりながら、


「おまえさん!おまえさん!」


 と半狂乱になって叫ぶ。ピクリとも動かない。だらりと両手両足を床に投げ出したままだ。おきみは何度も何度も諦めづに、声をかけながら身体を揺する。


 良太は、偶然とは言え、罪の大きさに、いたたまれなくなって家を出た。


 あてもなく歩いた。道の続く限り歩いた。親父の優しかった時の顔が浮かんだ。涙が止まらなかった。


 後悔するがどうにもならない。出来ることなら自分の身をずたずたに切り刻みたかった。


良太は、歩き続けた。ただ歩き続けた。その足は 本所を過ぎて、深川の街中を歩いていた。寒さは骨身を刺すようだったが、空は満月で、辺りは薄明るかった。


「待てー!」


 叫ぶような大声と一緒に、二、三人が駆けて来る。


 どんと女がぶつかって来た。胸元に何か入れられた気がする。手を入れると財布が入っていた。取り出して、


「おい!財布」


 と渡そうとすると、女は走り去っていた。


「その財布は、俺のだ!」


 直ぐ後から駆けて来た二人組。財布をひったくるように取り上げ、


「お前!仲間だな!この野郎!」


 二人に、殴る蹴るの暴行を受けた。良太は次第に気が遠のいて、意識が無くなった。


 ぐったりした良太を見て、二人は後が面倒と立ち去って行った。


「あっ、気が付いた!良かった」


 良太は自分の身体がずーんと重かった。起き上がろうとすると、よろめいた。女が咄嗟に支えた。口が切れ、顔がボワーッと熱かった。動こうとすると、身体のあちこちが痛む。またよろけた。


「家はどこ?」


 女は、両手で良太を抱きかかえるようにして聞く、


「本所だ」


「遠いわねー。あたしの家近くなの、歩ける?」


 女は親切だった。急いで敷いてくれた布団に、良太を寝かせてくれた。良太は安心したのか、意識が次第に遠のいていった。


 それから二日経った。


「あー良かった。気が付いたのね」


 良太は首を動かし、見慣れない天井を見て


「ここは何処だ?」 


 力無く言う。


「深川よ、あたしの家。二日間寝たままだったのよ」


「どうして、ここにいるんだ」


「覚えてないの?」


 女はどう話していいか迷った。ほんとに覚えていないのかしら?


 顔の腫れは大分引いた。きりっと一文字の眉に、少し大きめのはっきりした目、鼻筋通った良い男だった。


「あのね、喧嘩したみたいよ。あたしが通りかかってね、ここまで連れて来たのよ」


「そうか、すまないことしたね。ありがとう。迷惑かけたね」


 起き上がろうとするが、身体が言うことを利かない。


「まだ、無理よ。もう少し休んでなさいよ」


「いや、これ以上迷惑はかけられない」


 やっとの思いで、上半身を起こす。


「旦那はどこです?お礼を言わなければ」


「馬鹿ね。旦那が居たらお世話出来ないわよ。あたし一人よ。だから安心して休んでなさいな」


「あなた、名前はなんて言うの?」


「良太だ」


「あら、良い名前ね。あたしは、おみつと言うの。よろしくね」


「ところで、お腹空いたでしょう。今、おかゆ作って来るわね」


 おみつは立ち上がって行った。


 良太は、少しずつ頭がはっきりしてきた。父を殴り殺してしまったのだ。番所へ自訴しなければと思った。しかし、死罪は免れないだろうと思うと、一人残された母が心配になった。


 おかゆはうまかったが、親爺のことを考えると食は進まない。後悔の念でいっぱいであった。


「おみつさん、世話になった上に申し訳ないが、お金を少し貸してもらえないだろうか?」


「良いわよ。少ししかないけど良い?」


 おみつは、自分のせいでけがをさせられた良太に、負い目がある。


「一分しかないけど良い?」


「十分だ、すまないが暫く貸してくれ、必ず返す」


 良太は、やっと立ち上がり、歩こうとするが、ふらふらと尻もちをついてしまった。


「どこに行くのよ、歩くのはまだ無理よ」


「母が一人で生活に困っている。渡して来たいのだ」


「困ったわね。場所はどこなの?あたしが行ってあげるわよ」


 おみつは、良太の母の住む本所の長屋を、詳しく聞いた。


 深川からかなりの距離だが、自分のせいでけがをさせてしまったと思うと、届けることにした。


 その際、何も話さず、黙って渡して来れと、良太から念を押された。


 本所の裏長屋へおみつが訪れると、母のおきよが出て来た。良太が無事だと聞き、目を潤ませて喜んだ。親父に向かって、


「おまえさん、良太は無事だよ。このお方が知らせに来てくれたのだよ」


「どなた様か知りませんが、良太がお世話になっております。今、どこにおりますか?」


 親父が聞いてくる。


 おみつは、母一人だと聞いていたのに父親がいる。ましてや、良太のことは何も話さないでくれと言われてきたので、適当にごまかして出て来た。


 家を間違えたかと思ったが、良太と向こうから、はっきり言って来たので間違いない。お金はとうとう受け取らなかった。良太に返してくれと言う。


 深川に戻り、良太に話すと、男のくせに、おいおいと声をあげて泣き出した。


                       つづく

次回は12月26日月曜日です。