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    16、人違い

 二人は蕎麦を急ぐように食べた。親切に教えて貰ったのに食べずに出るわけには行かなかった。しかし、妻の方は殆ど食べられなかった。


 はやる気持ちで表に出た。教えられた方を見ると〝酒・めしと〟と書いた暖簾が下がっている。店前は打ち水がしてあり、ひんやりと涼しかった。近寄ってみるとその文字の下に門仲と書いてある。


  暑さのせいか引き戸は開けたままである。先客が二人いた。


 店に一足入るやいなや、


「いらっしゃい!」


 元気な大きな声で呼びかけられた。しかし、二人を見て戸惑った。場違いな身なりをしているからだ。顔から笑みが消え、


「あのう、お客さまですか?」


「はい、お酒をいただきます」


主人の方はにっこり笑って言う。


「ではそちらへどうぞ!」


 小上がりを勧める。二人が座ると、


「お酒は燗をしますか?」


「ぬるめでお願いします。肴はお任せします。何か見繕って下さい」


「はい!わかりました」


 にっこり愛想笑いをして厨房へ入って行った。


「おまえさん、おみつかしら?少し若い気がします」


 妻は小声で言う。


「私もそう思う。どう見ても十七、八だね。残念だが人違いだ」


「おまっちゃん!もう1本!」


 他の客が大声で注文する。


「おまっちゃんて呼んだね。蕎麦屋の女将は聞き違いをしたんだよ」


「私は罰があたったのですね・・・・・」


「いや、それは私だ」


 夫婦は大きく落胆した。その時、


「おみっちゃん!俺ももう一本頼む」


「また間違える!おまつです!お酒一本ね!」


「悪い、悪い!気を悪くするなよ。おみっちゃんに間違えられるなんて光栄だと思え!」


「はーい!」


 素直な娘だった。返事をしながら夫婦の前に、酒と一緒に鯖の味噌煮と葱ぬたの小鉢を持ってきた。


「お待たせしました」


「おまっちゃんて言うんだね。可愛いね」


「可愛いだなんてうれしい!でもおみつさんが辞めてから二か月にもなるんですよ。今だにお客さんが間違えるんですから嫌ですよ」


「おみっちゃんは美人だったからね」


 先客は言う。店内は狭い、話は筒抜けだった。


「それがどう関係あるのよ!」


「‘み’と‘ま’の違いは大きいぞ!この男はそれで通ってたんだからな」


 隣の客を指さして言う。


「悪かったわね!あたしだって可愛いと言う人があるんです」


 夫婦は意外な成り行きにびっくりして、おまつを凝視した。


「おみっちゃんと言ったね。辞めたのですか?」


「はい、子供が出来てお腹が大きくなったから辞めたんです」


 二人の顔が輝いた。今の今まで落胆して大きく気落ちしていた。


「おまっちゃん!おみつさんはどこに住んでいますか?」


 主人の方は不審に思われてはと言葉を続けた。


「お祝に来たのですが、家がわからなくて困っていたのです」


「そうですか、それは大変でしたね。すぐ近くですよ。後で教えます。ちょっと待って下さいね」


 おまつは厨房に入って行った。すぐ戻って来て、


「親父さんがこれから混んでくるから、今のうちに案内しろと言ってくれました。ご案内します」


 主人はすくっと立って厨房入口へ、


「親父さん、御配慮ありがとうございます。おまつさんに案内してもらいます。それから、これはお代です」


 一分銀を出した。


「とんでもありやせん!こんな大金いただけやせん」


 ほぼ二日間の売り上げに等しいお金である。親父は返そうとする。主人は深々と頭を下げて親父の手を押し返した。


 夫婦はおまつの後に続くように歩いた。長屋続きの中、一棟の長屋の前まで来るとここですと言い、大声で、


「おみつさん!お客様ですよ」


 中から


「はーい!」


 と言う声がした。


 引き戸が開いて、おみつが出て来た。なだらかに膨らんだお腹。一目瞭然の妊婦である。


 柔和な優しい顔は見る者を優しい気持ちにさせる。備わった美しい顔が清らかで神々しいようだ。子を宿すということは神の領域に入るのかも知れない。


「おまっちゃん、どなた?」


「こちらのご夫婦です」


 おまつは紹介するとお店へ戻って行った。


 夫婦はおみつを見て驚愕した。おみつとその妻は姉妹のように似ていた。


 妻は思わず、『おみつ』と言いかけた。おみつに幼い頃の面影を見たからだ。言い知れぬ心のつながりを感じた。


 当時は六歳だ。苦労をしたであろうことを思うと、不憫で堪らなくなった。


 顔を両手で押さえ、声を堪えて肩を震わせた。立っていられなくなりしゃがんでしまった。


「しっかりしなさい」


 主人は妻に優しく声をかける。この男も目を潤ませている。おみつに幼い頃の面影を見た。駆け寄って抱きしめたかった。それをこらえて、


「おみつさんですか?私は丹波屋喜兵衛と申します。室町で呉服屋を営んでおります」


 おみつは言い知れぬ親近感を感じていた。しかし、なぜか反発心が起きていた。


「お身体に障るといけません。どうぞお座り下さい」


「いえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」


「失礼なことをお聞きしますが、親御様はご健在ですか?」


「はい、元気に致しております」


「お近くですか?」


「ご用件は何でしょうか?」


 おみつは紋切調で言う。


「少しお話をさせていただけませんか?」


「何のお話でしょう?」


「・・・・・・・」


 喜兵衛は言葉に詰まった。


「私、これから出かけますので失礼致します」


 おみつは引き戸を閉めてしまった。自分でもなぜそんなことをしたのかわからなかった。


 表で妻女のすすり泣く声が聞こえてくる。


 おみつもなぜか悲しくて畳に伏して泣いた。


表に夫婦は残された。


「泣くんじゃない。又出直して来よう」


 喜兵衛は自分に言い聞かせるかのように、ゆっくりとした口調で言った。


 そう言いながらも、夫婦は暫く入口に佇んでいた。


 おみつのすすり泣く声は外まで聞こえていた。


 夫婦はお互いをかばい合うように、後ろ髪を引かれるように帰って行った。


                                  つづく


(※1両=10万円 1分×4=1両)

次回17回は4月11日です。