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               10.墨壺

 「ねぇ、良太さん。明日は正月三日ね、あたしたち、やっぱり一緒に住めないの?」


「昨日も言ったように、大工に取り立てて貰ったばかりだし、休みの1日と15日以外は無理だよ」


「あたしたち結婚したのよ」


「そうだ!おいらたちは夫婦になったんだ。だけど、誰も知らない」


「元締めは認めてくれたわよ」


「仕事が終わったら帰るようにする。それとね、雨が降ったり雪が降ったりしたら休みだよ。その日は朝から帰れるよ」


 良太は棟梁に相談することを考えていた。通いにして貰おうと。しかし、色々考えてみるが、理由がどうしても見つからない。考えている矢先のおみつの質問。自然と配慮の無い答えになってしまった。


「じゃ、一緒に居られるのね?」


「そうだよ、一緒に居られるよ」


「でも、あたし帰ってくるのは五つ半(午後九時)になるのよ」


「帰っても誰もいないと言うわけだ」


「木戸も四つ(午後十時)には閉まるのよ。あたしお店辞める」


「・・・・・・・・・・・・・」


「あたし、一緒に居たい。良太さんと離れるの嫌だ!」


「それはおいらの言葉だ!おみつさん大好きだ!おいらも一緒に居たい!」


 良太は抑えていた気持ちが、堰を切ったように大きな声になった。そして、おみつを抱きしめた。良太に抱きしめられて、おみつは少し安心した。


「ごめんね。あたし平気よ。お茶入れて来るわね」


 おみつは立ち上がった。良太は腕組みして又考え込んだ。何か良い方法は無いものか。どう考えても思いつかなかった。


「はい、どうぞ!」


 おみつは明るく振舞い、にっこり笑ってお茶を出す。


「さっきはごめんなさい。わがままでした。一年間頑張って来たのよね。月に二日も一緒に居られるのよ。喜ばなくっちゃ」


「おみつさん、おいらもずっと一緒に居たいんだ。気持ちは一緒だ。もう少し待ってくれ」


「大丈夫よ!無理言ってごめんなさい。それよりお願いがあるの」


「何だろう?」


「あのね、あたしのことおみつと呼び捨てにして欲しいの」


「だって、あたしたち夫婦でしょ」


「そりゃー良いけど、なんだか照れるな」


「ね、呼んでみて」


「おみつ!」


「はい!」


 おみつは自分が呼んでと言ったくせに、下を向いて恥ずかしそうに返事した。声は小さかったが、嬉しさが身体全体に表れていた。


 不思議なことに、おみつと呼んだことで良太の心に何かが変わった。


「おみつ!半年待ってくれ。必ず一緒に住もう」


 良太の顔は決意に満ちていた。


 良太の仕事は、誰よりも早く正確だった。とにかく働いた。働くことがおみつへの想いを忘れさせた。それは仕事の技術を高めることにもなった。


 中でも墨付けは重要な技術仕事だった。しかも正確さを要求される細かな仕事だった。


 いつの間にか重要で面倒な墨付けは、良太に任せられるようになった。兄弟子たちからも、


「良太!これもやっておいてくれ」


 と頼まれる。本来ならやっかみを受けて良いはずだが、誰もそう思わなかった。良太を便利に使った。


 良太はいつでも気持ちよく引き受けた。


 その墨壺は、一昨年暮れ改めて住み込みに入った時、棟梁がわけも聞かず”この道具を使いな”と貸してくれた道具の一つだ。


※墨壺・・・小さな糸車のようなもので、墨の付いた糸が出る。


この 糸を弾いて線を引く道具。


 実はその墨壺は、棟梁が昔兄弟子からこれを使えと貰ったものだった。その兄弟子とは良太の父親である。それは伏せてある。


 今日は三月三十日。


 良太はいつもと違った。仕事は一段と張り切っていた。それは傍目にもわかった。みんなは給金がでるからと単純に思った。


 兄弟子を含め、仕事量に拘らず1日は1日分の給金が出るので、それ以上の仕事をしようとはしなかった。


 良太は時間が過ぎるのを、イライラと遅く感じていた。今日は朝からおみつの顔が浮かぶ、どんなに仕事に徹しても消すことが出来ない。夕暮れが待ち遠しい。


 ぽかぽかと暖かい日だった。桜八分咲き。そよと吹いて来た風に花びらがゆっくり舞い落ちた。


 明日は三月三十一日、商家や職人が多く休む日。花見が一段と賑あうだろう。


 おみつは朝から大忙しだった。今日は良太の帰って来る日。掃除はもちろんだが、布団を干したり、食材の買い物と休む暇もなく動いていた。


 少しも疲れなかった。浮き浮きと心が空を浮いているようだった。


 他に忘れ物は無いかしら? ぬか床を混ぜながら思った。ぬかの良い匂いがした。


 居酒屋門仲で分けて貰ったぬか床は、おみつに馴染んできた。大根と人参は昨日から、きゅうりは今日足した。


 居酒屋門仲を出ると、自然と急ぎ足になった。おみつの心は嬉しくて踊るようだった。この足がもどかしい。


 遠くからわが家に灯りが点いているのが見える。良太さんが帰っている。嬉しい。涙が出そう。


「ただいま!」


 急ぎ引き戸を開けた。良太が入口で待っていた。おみつは良太の胸に飛び込んだ。良太はおみつを力いっぱい抱きしめた。


「苦しいよ!」


 嬉しくて言った。もっと強く抱きしめて!心はそう言った。


「お腹すいたでしょう。直ぐ用意するわね」


 あらかじめ用意してあったから、ご飯が炊けると直ぐ食事になった。


献立は、あじの煮魚、筍の煮物、ほうれん草の胡麻和え、自慢のぬか漬け三種。


 料理は門仲で教わってくるようだが、おみつの作る料理はうまい。大根の味噌汁の味噌加減が良太にとどめを刺す。


「あのね、大事なお話があるの」


 おみつは急に落ち着かなくなった。


「どうしたんだ、何か心配事でもあるのか?」


「ううん、大事なお話なの」


「それはわかった。話してごらん」


「あのね・・・・・・・」


「だから、なに?話してごらん」


「あのね・・・・・・・赤ちゃんが出来たみたい」


                                 つづく

次回は2月28日火曜日です。