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        6、心の芽生え

 いつの間にか辺りは暗くなっていた。行灯の下で一平ときぬは向き合ってお茶を飲んでいた。


 きぬは一平がそばにいるだけで心が落ち着いた。あんなに怖い思いをした後なのに、この安心感は何だろうと思った。


「おきぬちゃん、お腹空かない?そこに煎餅があるよ食べなさい」


「はい!いただきます」


 きぬは、ぱりぽりと美味しそうな音を立てて煎餅を食べた。


 きぬの心はまだ子供だった。父子だけの長い生活は恋を知らなかった。


 一平も期待したわけではなかったが、きぬは食事を作るとは言わなかった。


 ふと、食べていた煎餅を手元に置いて、


「うっかりしていました。夕ご飯作りますね」


「うん!その言葉を待っていたんだ。お腹空いたね」


「ごめんなさい。直ぐ用意して来ます」


「いいよ、ここで一緒に作ろう。米は私が研いでくる」


 半刻(1時間)後、夕食は始まった。こうして二人で食べるのは、きぬが引っ越して来て半年になるが、初めてのことである。


 熱い大根のみそ汁に買い置きの目刺し、きぬの持って来たぬか漬けのきゅうり。質素だが当時は普通の食事である。


「おいしいね!おきぬちゃん、このみそ汁は同じみそを使ったとは思えない」


「父にうるさく言われましたから」


 きぬは嬉しそうに、得意顔して言う。


「仁左衛門殿の仕込みか?」


「いいえ、何にも教えないんですよ。薄い濃い、だしが効いてない。この三つを言うだけです」


「仁左衛門殿らしいね。私の時も同じだった。刻んだ煙草の葉を見せると、もう少し細くね。もう少しねと何度も言われるままに持って行ったものだった」


「それで良いと言われた時は嬉しかった。初めから見本を見せてくれれば一度で済むものをと思ったが、それは浅はかだった。人にはそれぞれに技量がある。それを見極めていたのだ」


 きぬは父の顔が思い浮かび涙がこみ上がって来た。


「仕事とは言え、出来ないことをさせられると嫌になるものだ。まずは合格点を出せれば良い。後は自然と慣れて上達するものだ。言葉は少ないがそう思ってのことだと、後でわかった」


 きぬは袂で顔を抑えて泣いていた。父が亡くなってまだ1年にならない。父母ともに亡くして天蓋孤独である。どれほどの寂しさ辛さであろうか。一平は胸が痛いほどにせつなくなった。


 立ち上がるときぬの後ろから抱きしめた。細い身体から若草のような匂いがした。

きぬは向き直ると一平に身体を寄せて声を出して泣き始めた。


「泣きなさい、思いっきり泣きなさい」


 一平はきぬを愛しむように両手で髪を撫でた。きぬは泣き止むと両手で一平にしがみついた。しばらく二人はそのままでいた。


 きぬは嬉しかった。一平の胸の温かさが心地良かった。いつの間にか、どきどきと心が動悸を始めていた。聞こえてはいけないと、静めようとしたがますます動悸は大きくなった。


 一平はきぬが不憫でならなかった。せつなくてせつなくて、その心をどう収めて良いのかわからなかった。思わずきぬの口を吸った。


 きぬはびっくりしたが、嬉しかった。そのままじっとしていた。


                             つづく

次回第7回は9月5日火曜日午前10時に掲載します。