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  30、新天地 (最終回)

 夕暮れ時の風がひんやり頬に気持ち良かった。九月も半ば近くになると、暑かった夏の日が遠い昔のような気持ちになる。


「きぬ!大丈夫か?もう直ぐ小田原だ。頑張れ!」


「はい!大丈夫です。今日は温泉に入れるのですね」


「そうだよ。入ったことはあるのか?」


「いいえ、ありません。それを思うと嬉しくて全然疲れません」


「私も初めてだ。楽しみだ。おいおい、急ぎ足にならなくても良いよ」


「まるで子供だな」


「はい!私は一平さんの子供です。可愛がって下さいね」


「おいおい、もう一平さんと言うのは止めなさい」


「だって、恥ずかしいんですもの」


「ちょっと言ってごらん」


「嫌です!何だか恥ずかしい」


 きぬは身を揉むようにして歩く。


「ほら、言ってごらん!」


 誰もいないから、


「あなた」


 小さな声で言う。途端にうつむいて両手で顔を覆った。


「何だあ?もう一回ね!」


「あなた!」


 きぬは恥ずかしそうに一平の背中にすがる。二人はまるでじゃれているようだった。


 後ろから旅人が笑いながら追い抜いて行く。いつの間にか二人の歩調は遅くなっていた。


 一平は京に決めた。昨日は保土ヶ谷泊まり、京への道のりはまだまだずっと先だ。十二泊の道のりである。


 今、一平の心は晴れやかだった。


 三日前、江戸家老が訪れるまでは姉弟に討たれることが最善の策だと思っていた。しかし、残していくきぬの事が心残りであった。


 江戸家老は新見から当時の話を聞き終えると、姉弟に討たれるつもりであろうとズバリ言った。


「いいか、川瀬姉弟はいずれそのことを知る。その時二人は不幸になる。命を懸けた新見の思いは却って仇になる」


 家老は新見をじっと凝視した。


「この度の事は藩政としても正さなければならない。新見にも協力を願いたい」


「はい、私くしの及ぶことでしたら何なりとさせて頂きます」


「うむ、では命をくれ。いや、死んでくれと言うことではない。その命、上方へ移して貰う。江戸の新見は死んで貰う」


「どう言うことでございますか?」


「川瀬姉弟の仇討ちを成就させる。新見、髷をくれ!それと脇差を貰い受ける」


「今でございますか?」


「今だ。刑部手伝え!」


 用人はすくっと立ち上がり新見を促した。


 新見は髷と脇差を差し出した。


「新見、上方に行き思う存分羽ばたいてくれ。上方はどこでも良い。それは聞かない。但し、死した者に足は無いから江戸には戻れない」


 家老はにっこり笑いながら、懐から切り餅を二つ出した。


(切り餅=二十五両)


「これは少ないが餞別だ収めてくれ」


「私はこれからすぐ荒療治にかかる。新見は一両日内に上方へ発ってくれ」


「わかりました。明日一日いただきます。明後日早朝に出立致します」


 翌日早朝、波江と敬一郎は江戸を発った。三日目に藩内に着いた。


 帰宅せずそのまま藩へ直行し、江戸家老の親書を国家老に差し出した。


「敬一郎、でかしたぞ!立派になったな。顔が物語っている。川瀬によく似て来た。いくつになった?」


「はい、十八歳になりましてございます」


「うーむ、まだ十八か、この太平の世に武士の誉れだ。辛苦果てない日々を、姉共々良くぞ堪え忍んだ」


「波江、苦労したね。身体は大丈夫か?」


「はい、ありがとうございます。ご家老様もご健勝のことお慶び申し上げます」


 国家老は我が子を見るような温かい目で、感慨深く二人を交互に見た。


「追って沙汰をする。早く帰って祖父母殿を喜ばせてやれ」


「それとこの二品は持ち帰るが良い、祖父母殿に見せてやれ」


 沙汰は早かった。翌日に二人は呼ばれ、二十石の加増が与えられた。合わせて百二十石となった。


 それから十日後、重職の柳浦と師範代柳浦は改易された。松永、脇村、江本は永蟄居。武村と松野は蟄居が命じられた。


 上方は京を選んだ。京に着いて五日目である。九月も終わりに近く暑くもなく寒くもなくしのぎやすい気候である。


 住まいは直ぐに見つかった。嬉しいことに江戸と違い、一戸建てが安価で借りられた。二間続きと台所に小さな庭まで付いていた。


 仕事も江戸のたばこ屋の紹介状で賃粉切りを明日から始めることになった。


 京は静かな町である。今日も二人は所帯道具を揃えに京の町を歩いた。


「ねえ、あなた。少し休んで行きましょうよ」


 甘味処おしるこ屋と暖簾いっぱいに書いてある。


「歩き疲れたろう。おぶってあげようか?」


 一平は笑いながら冗談に言う。それには答えず、


「甘味ですって、食べたい!寄って行きましょう」


 おしるこを注文する。目の前にお椀とお茶が出された。


「美味しい!おしるこ食べるの初めて、甘くて美味しい!」


「うん、美味しいね!」


 一平はたちまち食べてしまい、手持無沙汰できぬを見ていた。きぬは味わいながらゆっくり食べている。


「はい、半分あげる」


 きぬはにっこり笑って一平のお椀にするすると移す。白玉が顔を出す。


「はい、これも」


「いいよ、いいよ自分で食べなさい」


 と言ったものの一平は嬉しそうに食べ始めた。


 きぬはその姿を見て、温かい幸せな気持ちが心いっぱいに広がっていった。             終わり


長い間お読み下さりありがとうございました。心からお礼申し上げます。

 来週2月20日火曜日から新作をスタートします。

 日頃ぶらぶらと遊んでいる浪人がいた。浪人には裏の顔があった。それは蔵宿師。ご期待下さい。