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     29、差腹

 江戸家老は沈痛な面持ちで波江に問うた。


「勝つことのみが仇討ちではないとはどう言うことだ?」


「はい、差腹(さしばら)致します」


「うーむ、見上げた覚悟だ。して、敬一郎のことはどうするつもりであった」


(差腹=仇を自ら討たず、切腹して仇に遺書と刀を送り切腹を迫る。武士として断ることは恥となり、切腹しなければならなかった)


「敬一郎にも差腹させるつもりでいました」


 江戸家老と用人は言葉を失った。部屋中に静寂が漂った。そしてその静寂を破るように、


「さもあらん。武士の鏡じゃ。しかし早まるでない!」


 家老は毅然として言う。そして、急に表情を柔らかくし、にっこりと笑顔で、


「実は、一昨日新見に会って来た。突然の訪問に驚いた様子もなく静かに招き入れた」


「覚悟を決めていることは、清々しい表情と穏やかな顔でわかった」


「事と次第を話すと、新見は潔く仰せの通りに致しますと承諾した」


 ここで言葉を切り、


「新見は死んだ」


「えっ、どう言うことでしょうか?」


 波江と敬一郎は声を合わせて訊いた。


 用人が風呂敷包みを前に出した。中には白紙に巻かれた一尺程の髷と脇差が入っていた。


 波江と敬一郎は絶句した。


「仇討ちの相手は新見ではない。それはわかっているな」


「はい」


 二人は共に返事をした。


「しかし、藩として今更それを認めることは出来ない。内外に藩の恥を晒すことになる」


「内密に事を治めたいと思う。まずは仇討ちのこと。成就したことにする。この二つの品を証とする」


「新見様はお亡くなりになられたのですか?」


 波江は必死な顔をして訊く。


「姉上、最後までお聞きしましょう」


 敬一郎が諫める。


「いや、もっともなことだ。そこから話しておこう。新見は生きておる。心配するな」


「新見からも当時の事の成り行きと状況を子細に聞いた。この仇討ちが謀られたことは明白だ」


「明るみになれば藩政をも覆すことになり兼ねない」


「新見には仇討ちされたことに承諾させ、その証し作りに髷を切らせた。さらに脇差を出させた」


「急ではあるが、新見は今朝上方へ旅立った。生涯、江戸や藩に戻ることは無い」


「それから、松永、武村、松野はそれぞれに座敷牢へ入れている。一歩も外へ出さない。処遇はこれから決める」


「明日は敬一郎、姉上とこの二つを持って江戸屋敷へ来てくれ。仇討ちを果たしたと報告して貰いたい」


 江戸家老はここまで一気に話し続けた。


「何か聞きたいことはあるか?」


「新見様は、藩で名うての遣い手と言われております。討ち取ったと信じられましょうか?」


「うむ、それだ!」


 家老はそれを聞いて来るのを待っていたようだ。すらりと話した。


「新見は二人の刃を避けることなく身で受けた。新見を知る者なら新見らしいと思うであろう」


「祖父母殿は、心配して二人の帰藩を待っている。帰藩は早い方が良かろう。二、三日内としなさい」


「後のことは私に任せなさい。全てだ」


 江戸家老の言葉『全てだ』に含みと力が感じられた。


 次の日、江戸屋敷は仇討ちの話で大騒ぎであった。しかし、牢内の松永、武村、松野は知る由も無かった。


                       つづく

次回最終回は2月13日金曜日朝10時に掲載します