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      4、心変わり

 それから四半刻(三十分)もしない内に店の半分の席が埋まった。大工など職人が仕事着のまま入って来た。


 あばれ浪人を見ると一瞬立ちすくみ、思案顔になる。すかさず浪人はにっこり笑顔で、


「昨日はすまなかったなあ。ま、一杯ぐーとやってくれ!」


 浪人は自分の眼の前に五合徳利と湯呑を並べている。客が入るのを待ち構えて湯呑に冷酒をなみなみと注ぎ差し出す。


 さっとタイミング良く渡されるので受け取らないわけにはいかない。


 受け取ったらなみなみと注がれた酒がこぼれないように、口へ注ぎ込まなくてはもったいない。


「うめえ!」


 仕事の後の乾いた喉から五臓六腑に染み渡る。酒も旨いからたまらない。


「源三郎と言うんだ。これからよろしく!」


 とまたにっこり笑う。笑う熊だ。


「さ、も一杯!」


「いや、おいらに注がせてくんな!お侍さん」


「源さんで良いよ。さ、飲んでくれ!」


 とくとく、とくと音をさせながら源三郎は酒を注ぐ。


「親爺さん一本くんな!あっ、冷で良いから直ぐくんな!」


 職人は慌てるように頼む。


「あいよ!」


 と親爺の声が弾む。


 次々と五人の常連客が入って来た。源三郎を中心に宴会のような騒ぎになった。


 お静も酒の運びやおでんの盛り付けで大忙し。さらに三人の常連客が増え、大宴会となった。


 あちこちで源さん源さんと呼ぶ声がする。そのたびに源三郎は五合徳利を手にふらふらと動き回る。とても侍とは思えない気安さだ。

 

この日の朝、兵馬はお静が帰った後、髪を銀杏頭に整え朝五つ半(9時)に長屋を出た。


 腰には両刀を差し、片手に風呂敷包みを下げて颯爽と歩いている。途中浅草の小さな料理茶屋に入った。


 四半刻すると、兵馬は四十歳前後の武士を伴って茶屋を出て来た。兵馬は紋付袴に召し変えていた。


 武士は御家人である。顔色病的に白く、時々乾いた咳をする。横並びに歩いて行く。


 二人は御蔵前片町の札差山戸屋の暖簾をくぐった。手代が直ぐに寄って来た。兵馬の顔を見てはっとしたようだ。


「吉野清右衛門と申す。御主人にお取次ぎ願いたい」


 武士の名乗りに、


「お待ち下さいませ」


 手代は奥へ入って行った。


 すぐに戻って来て小部屋に通された。御家人は驚いた。今まで個室に通されたことは無かった。


「直ぐに参ります。少々お待ち下さい」


 お茶が出された。吉野が兵馬の顔を大丈夫ですか?と不安げな顔で見た。兵馬は平然と茶を啜っている。


「お待たせ致しました。主の山戸屋喜左衛門でございます。隣は支配人の勝三です」


 山戸屋は頭を下げながら、言葉を続ける。


「吉野様には日頃から大変お世話になっております。改めてお礼申し上げます。さて、今日のご用向きは何でございましょうか?」


 吉野は大和屋に会うのは三年前の蔵変え以来の事である。


 隣の支配人は初めてである。見た瞬間、ぞくっと悪寒がした。支配人は頬を削ぎ落したような骨ばった顔である。身体も痩躯であった。


「吉野の用人をしています。神代兵馬です。十五両の先渡しをお願いしたい」


 まさに単刀直入である。


 山戸屋は勝三と顔を見合わせた。そしてほっとしたような顔をして、勝三に眼で合図した。勝三は直ぐさに心得て、


「承知いたしました。御用立てさせていただきます。お支払いは夏の後、本年の大切米でとさせていただきます」


 何の交渉も無く即座に決まった。


(御家人の給与は年三回の蔵米支給。大切米は年度の三回目で十月に二分の一が支給される)


「いや、来年春よりの二年でお願いしたい」


 兵馬は平然と静かに言った。極当たり前のように。


 山戸屋は勝三へ即座に合図した。


「では、今回限りと言うことでお受けいたします」


 すぐに証文が取り交わされた。吉野は十五両を受け取ると色白の顔をほんのり赤らめていた。


 吉野と兵馬が帰った後、山戸屋が勝三に、


「さすが勝三だな。これで済むとは思わなんだ。これからもよろしく頼むぞ」


「いえ、何の。これからもお任せ下さい」


 山戸屋は拍子抜けしていた。少なくとも百両は要求してくると思っていた。落としどころは五十両だと計算していた。


 神代兵馬は札差仲間では知らぬ者はいなかった。山戸屋には蔵宿師として二回目の訪問である。


 対談方の勝三はどう展開するのかと冷や冷やしていた。事実、腹に巻いた晒しを汗でびっしょり濡らしていた。しかし、今回の事は今だに腑に落ちない。


(蔵宿師に対抗する札差側の相手を対談方と言う)


 吉野は料理茶屋に戻ると態度が一変した。今朝の神妙さは無く、横柄な態度になった。


 山戸屋でのあまりにも簡単な成り行きに、兵馬に渡す一割の礼金が惜しくなったようだ。


「神代殿、貴殿の必要は無かったようだ。しかし、約束だから一両お渡しする」


 と勿体つけて渡した。礼金は一割の一両二分である。


 兵馬は何も言わず黙って一両を受け取った。いつもの着流しに着替えると茶屋を出た。


 次の日、そのことを知った差配元締めが青くなって兵馬を訪ねた。


                      つづく

次回5回は3月20日朝10時掲載します