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     22、悔恨

 「さ、どうぞ!」


 兵馬が徳利を持ち、橘に酒を勧める。


 橘は俯いていた。肩が小刻みに震えている。上げた顔は涙がぽろぽろこぼれていた。左拳で即座に拭き、


「ありがとうございました。拙者はこれで失礼致す」


 橘は半紙に包んだ金子をぐい吞みの横にそっと置いた。店に入る前から用意してあったのだろう。


「僅かですが飲みしろです」


「それは無用です」


 兵馬は包みを橘に返すが受け取らない。人目もある、問答するわけにはいかない。


「ではお預かり致す。橘殿、気が向いたら又来られるが良い」


 様子に気付いたお静が調理場から出て来たが、橘は店を出た後であった。


 調理場では親爺の重蔵が何故か遠くを見つめるようにして腕組みをしていた。


 重蔵は兵馬と橘が店に入って来た時から気付いていた。来た理由がわからぬだけに、一抹の不安を抱いていた。


 橘は思いが込み上げて来てどうにもならず店を出た。武士が人前で涙を晒すとはと自責の念に駆られた。


 娘御は二十二年前の早苗がそのまま現れたようだった。すまない、許してくれ。歩きながら早苗に謝っていた。


 何度も何度も謝っていた。それは詫びても詫びきれない。人通りの無い柳の木の下で、声を押さえて泣いた。


 少し落ち着くと、娘御のことが気になった。神代(兵馬)殿にはまだ紹介すらされていなかった。


 早苗にあまりにも良く似ていた。そのため心が動転して神代殿から何も聞く事が出来なかった。


 当時、早苗は身ごもっていたのだろう。私には黙っていたが、それは私を家に戻すための配慮だったと思う。


『お家の大事です。お帰り下さい。私のことはお忘れ下さい』


 武家の娘とは言え、心を面には出さず毅然として送り出してくれた。私の方がめそめそしていたかも知れない。


 そのおかげで、橘家八十石は今も安泰だ。誠一郎と言う長子も授かった。


 (一石=一両=一俵)


 あの娘御は神代殿が早苗の娘と言っていたが間違いない。私の娘かも知れない。橘は胸が痛い程締め付けられた。


 しかし、はっきりとしたことが知りたい。早苗は私と別れた後、どう生きていたのだろう。


 別れた当初は気になって何度も近くまで行ったが、訪れる勇気はなかった。


 長屋の前で時々重蔵を見かけて物陰に隠れた。しかし、逆に安心もした。


 明日、早苗の住んでいた長屋を訪ねることにした。何かわかるかも知れない。


 この夜、橘はなかなか眠れなかった。眠り着いたのは明け方である。早苗の兄、重蔵を探し出そうと思った。


 まさか昨日のめし屋に、重蔵が店の親爺としていたとは露ほども思っていなかった。


 橘の勤務は三番勤務の非番月であった。それでも午前に家を出るには気が引けた。昼飯を食べ、ふらりと家を出た。


 行き先は早苗の住んでいた本所の長屋である。着いたのは昼八つ(14時)である。


 長屋が近ずくほどに胸がどきどきと高鳴った。思い切って引き戸を叩いた。声を低めて、


「ごめん!」


 何度か叩いていると、隣の女房が出て来た。


「そこは空き家ですよ」


「空き家?」


「はい、五年になります」


「もしや住んでいたのは早苗と言わなかったか?」


「そうですよ。お亡くなりになりました。かわいそうに娘さんが一人残されました」


「娘さん?いくつぐらいの娘かな?」


「十四、五歳でしたか、綺麗な娘さんでしたよ」


「その娘はどこにいる?」


「叔父さんを頼って深川に引っ越されたようですよ。大家さんに聞けばわかると思いますよ」


 橘は大家に聞いた居所を深川に訪ねた。教えられた台帳通りに長屋があり、意外と簡単に見つかった。


 引き戸を叩いていると、隣の女房が出て来た。


「お留守ですよ。お静ちゃんは、先程出かけましたよ」


「今、おしずちゃん?と言ったか?」


「はい、お静ちゃんのことでしょう?」


「つかぬことを聞くが、一人暮らしかな?」


「失礼ですがどなた様でいらっしゃいますか?」


「いや、身寄りの者だ。久しぶりに訪ねて来た」


「一人ですよ。お静ちゃんは直ぐ近くのめし屋に勤めています。夕方からそこにいますよ」


 女房は親切に場所を教えてくれた。橘は夕方にはまだ早すぎるが、場所だけでも確かめようとめし屋に向かった。


 行ってみると、昨日神代殿に案内されためし屋ではないか。驚いて一度通り過ぎてから引き返した。


 めし屋は暖簾は出していないが、風通しに入口が開いていた。橘は入って行った。


「ごめん!ちと尋ねたいことがある」


 重蔵は調理の手を休めて声の方へ出て行った。二人は息をんだ。まさかの対面であった。


                       つづく

次回は7月24日火曜日朝10時に掲載します