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    20、夫婦の約束

 夕暮れ近くになると肌寒くなった。三か月が過ぎてもうすぐ秋になる。二人には何の進展もなかった。


 今では兵馬とお静は昼食を一緒にするようになっていた。お静は昼食の片付けを終えると帰って行った。


 互いに想いはあるがきっかけは無かった。昼寝を誘うこともなかった。しかし、兵馬はあの日の口づけが忘れられなかった。


 八月は夏の蔵米支給時期にあり、蔵宿師としての兵馬は多忙を極めた。さらに昼間は道場での指南があった。


 その上、橘の探索をした。お静が帰った後、蔵前や番町を探し歩いた。番町に橘は一軒しかないことがわかった。


 それは道場生の橘誠一郎の住まいだった。誠一郎から住まいへ誘われたことはあったが、万一を考え断った。


 蔵宿師として顧客を訪ねることは御法度であった。ましていまさら自分から訪ねるわけにはいかない。


 橘との再会は思いがけなくやって来た。


 その日、道場生の指南を終え与えられた自室に戻り着替をしていると、襖を叩く者がいる。


「神代殿、ご挨拶を申し上げたい。よろしいですか?」


「どうぞ、お入り下さい」


 着替えた稽古着を軽くたたみ、脇に寄せながら答えた。来客は襖を開けた。


 二人は顔を見合わせると言葉を無くした。一瞬の間の後、


「神代殿、覚えておられますか?橘敬二郎です。蔵前でお世話になりました」


「なぜここに・・・」


 兵馬は絶句した。


「今日は先生のお見舞いに参りました。先生が神代殿に是非会って行けとおっしゃるものですから」


 橘が悪意で来たわけでないことがわかった。


「先生の具合はいかがでしたか?先月からお会いしておりません」


「大分体力を落としていらっしゃるようです。まだしばらくは御養生が必要かと思います」


「立ち話もなんです。どうぞお座り下さい」


 兵馬は後ろへ回り襖を閉めて橘の前に座った。同時に橘は両手を付き深々と頭を下げた。


「橘殿、あの節は無理なお願いを受けて下さり、かたじけなく思っております。心からお礼申し上げる」


「どうぞ、頭を上げて下さい。その事についてお聞きしたいことがあります」


「話せることと話せないことがあります。御承知下さるなら伺いましょう」


「わかりました。十両は大金です。もし私が持ち逃げしたらと思われませんでしたか?」


「それはありません。初めてお会いした時、神代殿にお願いしようと思いました。人の善悪は顔に見ゆるものです」


「早苗殿がどうであったか、お聞きにならないのですか?」


「知りたい。しかし、お願いした以上信頼するしかありません」


「お話しましょう。早苗殿はどうしても受け取られませんでした。かなりの病弱のご様子でしたが、微笑みながら、


『お心遣いありがとうございます。元気でおりますゆえご安心下さいと、敬二郎様によろしくお伝え下さいませ』


 と断られました。仕方なく私は、その十両を置いて逃げるようにして出て来ました…その後お亡くなりになられたようです」


 橘はうっとを声を洩らしたが、涙をこらえた。しかし、涙は目から溢れ頬を伝って流れ続けた。


「橘殿、早苗殿とのわけをお教え願えないだろうか?」


「いや、それはご勘弁願いたい」


「実はそのお金は、今も娘さんが預かっている」


「何と!娘がいたのですか?」


「その娘さん、故あって存じております」


「御幾つぐらいでしょうか?」


「今年二十歳になられたようです」


 橘は驚愕した。もしやと思った。


「神代殿、その娘御に会わせて戴けないだろうか?」


「わけがわからないのに、会わせるわけにはいきません」


「お話致そう。恥を忍んでお話致す。実は早苗とは夫婦の約束をしておりました」


                       つづく

次回は7月10日火曜日朝10時に掲載します