Shopping Cart
Your Cart is Empty
Quantity:
Subtotal
Taxes
Shipping
Total
There was an error with PayPalClick here to try again
CelebrateThank you for your business!You should be receiving an order confirmation from Paypal shortly.Exit Shopping Cart

     10、火の見櫓(やぐら)

 それは五年前の事であった。その御家人の依頼は十両であった。聞けば札差を利用したことはなく、年三回の蔵米取りは自分で行っていた。


 札差はいとも簡単に十両の金子を貸した。蔵宿師兵馬の出る仕事では無い。それは借用の手解きと同じだった。


 御家人はその十両に二両を足して、


「御貴殿を見込んでお願いしたいことがござる。実はよんどころない事情がありまして、この金子を届けていただきたいところがござる。なにとぞお聞き届け下さりたくお願い申す」


 深々と頭を下げ両手をついた。


 その真摯な態度と強い熱意に動かされ届けることにした。場所は本所の長屋であった。


 一両は礼金の一割、もう一両はそのお礼だと言う。元締めの礼金一割はこれから届けに行くと言う。


 本所の長屋は蔵前から四半刻程の所であり、火の見櫓の近くと言う目印があり直ぐに見つかった。


 丁度引き戸が開いて、十四、五歳くらいの娘が出て来た。呼び止める間もなく反対方向へ急ぎ足で出て行った。


 兵馬は引き戸の前で、


「失礼致す。早苗殿にござるか?」


 小さく戸を叩くと中から弱々しい声で、


「はい!どうぞ、お入り下さい」


 と女の声がした。引き戸を開けると、


「どなた様にございますか?」


 女は寝ていたのであろうか、寝床で半身を起こすと問うて来た。


「橘敬二郎殿に頼まれて伺った」


「どうぞ、お入り下さいませ」


 兵馬は後ろ手で引き戸を閉めた。半間の土間に立ち、


「早苗殿でおられるか?」


 病を患っているのか、やつれて蒼白だが整った顔立ちをしている。歳の頃四十前後であろう。


「はい、早苗と申します」


「これは橘殿からの預かり物だ」


「いいえ、何だかわかりませんが結構です。橘様にお返し下さいませ」


 早苗は立ち上がろうとする。


「私は使いだ。ここに置いて行く」


 兵馬は十両の包みを上がり框に置いて出て来た。その後のことは橘からも連絡なし。いつの間にか忘れていた。


「お静ちゃん、住まいはどこだ?」


「同じ深川ですよ。ここから直ぐ近いですよ」


「そうか、深川か……」


「どうしてですか?」


「いや、ちょっと気になったことがあってな」


「母が亡くなってから、お店に近い今の長屋に越して来ました」


「越して来た!どこから?」


「本所です」


「なに、本所?」


 お静は兵馬の驚いた顔にすかさず聞いた。


「先生、本所はご存知ですか?」


「知らぬことは無いが、住んだことは無い」


「火の見櫓の近くに住んでいました。火の見櫓は御存知ですか?」


 兵馬は絶句した。何か因縁を感じた。


「母上の名は、もしや早苗殿と言われるか?」


 すらりとその名が出て来た。余程記憶に刻まれていたのであろう。自分でも驚いた。


「はい、早苗と申します。なぜご存知ですか?」


 あの時入れ違いに出て行った娘がお静だったのだ。今、お静は二十歳前後だろう。歳勘定も合う。


「お亡くなりになられたのか」


「先生!なぜご存知ですか?お教え下さい。母の事なぜご存知ですか?」


 お静はあまりのことに言葉を繰り返した。


                     つづく

次回11回は5月1日火曜日朝10時に掲載致します